社会的企業への批判(米国のベネフィット・コーポレーション批判)

英米での批判の違い

 英米を中心として、ある種、株主至上主義への抵抗として広がりを見せる社会的企業ですが、もちろん批判はあります。株主至上主義を支持する立場からの明確な拒否反応の他にも、いくつかの論点がありますが、この記事では、米国社会的企業であるベネフィット・コーポレーションへの批判を取り上げたいと思います。
 既にNote上に、米国と英国の社会的企業ではそのあり方が異なるという記事を掲載していますが、あり方が違うという事は、当然、それに対する批判の内容も異なるわけです。
https://note.com/mokudaira/n/n766598389fc4
https://note.com/mokudaira/n/na3f2a3f310b8
 
 米国のベネフィット・コーポレーション(Benefit Corporation)は、米国各州の会社法で制定されている法制度です。Bコーポレーション(B Corporation)という民間の認証制度と非常に紛らわしいのですが、今回取り上げるのは法制度の方です。
 
 社会的企業が株式を上場、公開しているような企業を中心に展開されている米国では、当然、それに対する批判も株式公開会社をめぐる会社法的な議論と同じ視点で展開されています。例えば、取締役の責任とビジネス・ジャッジメント・ルールというような、日頃から会社法の学識者の間で議論されている問題がここでも関係してくるのです。
 一方、英国での社会的企業については、そうした視点での議論はあまり聞こえてこないです。なぜなら、英国の社会的企業であるコミュニティ・インタレスト・カンパニー(CIC)は、その在り方として地域の小さな会社が想定されていて、したがって元々、市場を使った資金調達とはあまり縁が無く、通常の大規模な公開会社に関わるような会社法を巡る議論とは異なる文脈でその批判も展開されているからです。例えば任意団体であるようなチャリティの団体に比べて登記などの手続きが面倒で費用もかかる、というようなものが、批判というかCICの欠点として上げられているのです。もっとも、英国のCICについても近年、クラウド・ファンディングの利用などが盛んに行われているようであり、またそれと同時にCICの市場へのアクセスの欠落という視点での批判も増えてきているようです。この点に関しては、英国のCICが資金調達上の悩みをどのように解決しているかについて、別の稿で触れたいと思います。
 本稿は、以下の論文を参考にしています。拙著「社会的企業の法」を出版する時にも目を通していた論文ですが、筆者のKhatib氏は、この論文を書いた時点ではJDキャンディデイト、つまり博士論文の審査中という事のようでしたので、自著である「社会的企業の法」の中ではあえて取り上げていませんでした。しかしながら、客観的に見て良く纏められている論文だと思いますし、その中で引用されている論文も適切なものですので、興味の有る方は読まれると良いと思います。
Khatib, Kennan El (2015) "The Harms of the Benefit Corporation," American University Law Review: Vol. 65 : Iss. 1 , Article 3.

グリーン・ウォッシングの助長

 米国のベネフィット・コーポレーションへの批判は、大きく分けて二つあります。一つが社会的目的がどれだけ達成されるのかというその実効性への疑問であり、もう一つが社会的目的に隠れて取締役がその権限を濫用するのではないか、というものです。
 まず実効性の問題ですが、米国の社会的企業の法制度であるベネフィット・コーポレーションは、法が会社に公的な目的を掲げることを要求し、その達成度について第三者機関による評価を受けることを定めています(州によっては異なります。)。しかしながら、法はその実態面にまでは踏み込めていないのではないかと批判がなされることがあります。つまり、法は社会的目的を掲げることを会社に要求しながら、その具体的な指示をしていないため、似非社会的企業のグリーンウォッシング(greenwashing)に手を貸しているのではないかと批判されているのです。
 グリーンウォッシング(greenwashing)は、上辺だけ環境への配慮を装いながら、環境への配慮などへの関心の高い、いわゆる意識の高い消費者層に商品、サービスを売り込んで行くような行為を言うのですが、ベネフィット・コーポレーションの法制度が要求する水準が曖昧であるため、そうしたグリーン・ウォッシングを行うような似非社会的企業に「ベネフィット・コーポレーション」の称号を与えてしまっているのではないかと批判されています。
 ベネフィット・コーポレーションの法制度に限らず、社会的活動に関しての報告というのは定性的の部分もあるので主観の入り込む余地があります。また、社会的企業に限らず、ESGレポートなどでも、結局その内容がどれだけ実質を伴っているのかという批判は、常に付きまとっています。
 ESGレポートを信頼してCSR投資を行うファンド・マネージャーも、ベネフィット・コーポレーションという称号を信頼してそのサービスや商品を購入する消費者と同様に惑わされていると言えるでしょう。ただ、その事からもわかるように、この問題は社会的企業だけの問題ではなく、CSRやESGなどで求められる報告をどれだけ実質的なものにして行くか、という問題であり、社会的企業だから、特に消費者を惑わしているということにはならないのではないかと思います。ベネフィット・コーポレーションというのが法制度によるものなので、確かに単なる民間の自主的な活動以上に公的機関がお墨付きを与えているというようなイメージはあるのかもしれませんが。
 筆者は元々、社会的企業の社会的目的の達成という点について、過大な期待はしない方が良いと考えていました。企業がそれなりに、社会的な目的を掲げて、その目的を意識した活動をするだけで、それなりに意味があるのだと考えていました。まずは社会的目的を意識して活動を始めていく事に意味を見出していたのです。そうした活動が広まれば、やがてその活動の計測方法や評価についても洗練されて行くのだろうと楽観的に考えていました。しかし、確かにグリーン・ウォッシングのような問題は、消費者や投資家という視点で見れば、世間を欺いているという批判が成り立つものであり、看過できないものだと思うようになりました。
 それでもまだ、社会的企業による社会的目的の達成具合に対する計測方法の洗練化という点は期待ができるとも思っています。これは筆者の専門外ですが、企業活動による外部不経済について、その計量化、金銭換算化は解決不可能な問題では無く、現在も多くの試みがなされています。特に企業の統合報告書に含まれるような環境レポートなどの実効性を高めるためのS&P Trucostなどを使ったデータ分析やデータの客観性の確保にも努力が続けられており、外部不経済の内部化、計量化についてのスタンダードの確立というのは、そう遠くないのではないかと思います。グリーン・ウォッシングの問題も、こうしたESGレポートなどの洗練化と同時進行的に、社会的目的の達成具合の計測方法の洗練化を通じて解決されて行くのではないかと考えています。
 

取締役の裁量

 もう一つのベネフィット・コーポレーションへの批判は、取締役に裁量権の問題です。法制度としてのベネフィット・コーポレーションは、株主以外の会社関係者に対して配慮をしなくてはなりません。ただし、数ある関係者、従業員、取引先、地域などへの配慮のその順位付けは、法は何も言っていないので、結局は取締役に裁量権を与えすぎているのではないかという批判は、法制度化された当初からありました。
 米国の一般の会社でのビジネス・ジャッジメント・ルールの原則は、判例で確立して来ました(Aronson v Lewis, 473 A.2d 805 [Del. 1984]など)。取締役のビジネス上の判断は会社にとっての最良のものであるという推定がなされるというわけであり、会社の広い利害関係者を配慮することも取締役の裁量として認められていると考えられてきました。これに異を唱える場合は、取締役を訴える側に挙証責任が課せられているのです。
 しかしこのビジネス・ジャッジメント・ルールは、企業買収の場面では修正されます。買収防衛策を導入するに際しては、取締役は、会社の効率性を損なうような企業買収であることを証明しなくてはなりませんし(Unocal Corp. v. Mesa Petroleum Co., 493 A.2d 946 [Del. 1985])、具体的な買収オファーに関しては株主にとって最良のものを選択しなくてはなりません(Revlon, Inc. v. MacAndrews Forbes Holdings, 506 A.2d 173 [Del. 1986])。
 さて、ここまで説明したビジネス・ジャッジメント・ルールは一般の米国各州の会社法で設立された通常の営利株式会社に当てはまるものですが、ベネフィット・コーポレーションの場合はどうなるでしょうか。
 米国各州のほとんどの会社法が、取締役が株主以外の会社関係者に配慮してビジネス・ジャッジをする裁量を与えています。この場合の裁量というのは、ビジネス・ジャッジとしての選択の話であり、株主では無い会社関係者への配慮をして経営を行ったとしても、それだけで会社取締役としての責任を問われることは無いという事になります。株主が自分達の利益が損なわれているとしても、その取締役の行為が明らかに株主利益を損なったということを証明しなくてはならないのですから、かなりハードルが高いわけです。しかし、ベネフィット・コーポレーションの場合、株主以外の会社関係者への配慮が会社目的に含まれる場合、それは取締役の義務になります。
 そして、これがベネフィット・コーポレーションが元々内包している欠点というか、批判されていた点でもありますが、社会的目的への考慮が義務になりながらも、目的の内のどれを優先するのかという決まりが無いために、単に会社の経営の自由度が失われ、利益機会を逸することの方が多くないのではないかという不安がもたげてきます。これに先に述べたグリーン・ウォッシングの問題が絡むと、ベネフィット・コーポレーションというのは、従来の会社法がそれなりに株主以外の会社関係者に配慮しながら経営を進める事が出来たところを、単に硬直化させ、むしろグリーン・ウォッシングを助長しているのではないかというのが大きな批判になるわけです。つまり、取締役が社会的目的に縛られるているために、取締役がその達成のために無理矢理、中身の無い報告書を作り上げるインセンティブが生じているという事です。
 
 このように見て来たベネフィット・コーポレーションへの批判ですが、どうでしょうか?わりと解決可能な気がしますね。前者の実効性についてはプラクティスを積んで、それを評価する方法が確立して行けば問題なくなります。また、後者もそのような評価方法の確立に合わせて、その優先順位の付け方などをビジネス・ジャッジメント・ルールと合わせて微調整すれば良い様に思うのですが、果たしてどのくらい時間がかかるかですね。
 このような米国のベネフィット・コーポレーションは、繰り返しますが、株式公開会社であることを前提としている事で、様々な軋轢を生んでいるように思います。良い試みであるとは思うのですが、米国の人の中には、いっその事イギリス型にして、地域への貢献に専念する会社として作り替えたらどうか、という人もいるようです。筆者も社会的企業という意味では英国のCICの方は、よりプラクティカルな感じがしています。米国の社会的企業は、株主至上主義か否かという思想的な論争を呼び起こしやすく、その割に、地域社会への貢献という点で具体的な成果が見えていない気もするのです。

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