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正直者と「上手くやる」の岐路にて

あまりに自堕落だから、せめて毎日noteを書いて気を引き締めようの巻。

ごきげんよう、もくれんです。

かつて営業職だった時、電話は1コールで取るようにしていた。それこそ競って取るくらいの速さで取っていた。そのおかげで、自分が担当じゃないお客さんの怒り狂ったクレームの電話に捕まることもあった。(こういう場合、電話を担当に代わる前にお客様はババ怒りしている。)クレーム対応は前々職の宝石販売でも経験を積んだので(私が悪いときもあれば会社が悪いときもある。)私の経験として無駄にはならなかった。

が、ある時同じチームの男性に「うまくやんなよ。電話取るの止めてくんない?」と言われた。衝撃だった。電話は競ってとるもんだと思っていた。電話ばっか取って仕事が進んでないじゃん、ということを彼は言いたかったのだと思う。「上手くやる」という発想がなかったので心に残った。

それからというものの、何かにつけて「上手くやる」という言葉は私の中でひょっこり頭をだす。例えば「確認します。」と答えたら面倒くさくなる場面で「確認します。」と言ってしまった時。電話をとって、自分が主担当じゃない仕事について「自分もわかることかも。」と思って要件を聞いたら結局おしまいまで自分でやる羽目になった時。誰が回答しても良いチーム全体宛に来たメールやSlackの質問に率先して答えてしまった時。

どうにもこうにも目に入ったものをスルーすることが苦手なので打ち返してしまう。チームには助かることかもしれないけど、私の仕事全然進まなかった。全体最適を考えたら、私の仕事もチームの仕事の一部なんだから適当に無視しておけばよかった。でも無視できない。もうそういうサガなんだと思う。

一事が万事この調子なので、本当に「うまく」ことが運ばない。それどころか「もくれんはレスが速い」という私には嬉しくない評判がふんわり広がり、なんだか個別で送られてくる問い合わせが増える。益々仕事が進まない。「仕事の成果は仕事」だと思っているので、仕事ができるようになるとより面白い≒難しい仕事が降ってくると信じているけど、ただの交通整理役になっていた。

そして私は知っている。「無視できないサガ」なんてカッコつけて言ってみたけど、実際は自分が取り組むべき仕事から逃避するために簡単な仕事に着手しがちなだけだということを。自分がやるべきことについて考えるのはしんどいので、他人にかまけることで私は逃げてる。就活中に、友だちが「女優になりたいけど親に反対されている」という相談をしてきたことがあった。私はそれにどうアドバイスしてよいかわからず考えあぐねていたのだが、それを見た私の母が「アンタは就活したくないから、友だちの相談に逃げてる。そんなことより自分の就活に真面目に取り組め。」と言われた。耳が痛い。私の友だちを思う気持ちをそんなふうに言われて悔しいけど、ぐうの音もでない。だって、その通りなんだもん。

兄が高校生・私が小学生くらいの頃、父が仕事から帰宅すると兄はスルッと自分の部屋に雲隠れしていた。それについて大人になってから兄から「自分は両親と一緒にいたくないから部屋にもどったけど、お前をリビング置いておけば両親は喧嘩しないだろうと思って置いておくようにしていた。」と言われた。大分性格悪いな、私だって仲の悪い両親がいるリビングにいるのは嫌だったのに。そんな意図があったとは知らなかったのでヒドイと思った。つい最近、その話を父に披露したところ「兄は正しいね。別にリビングにいる子どもの数が1人でも2人でも効果が変わらないなら、自分が面倒な場面から去るっていうのは非常に正しい。」と言われた。再びの衝撃。これも兄は「上手くやってる」ってことなんだろう。でも、残された私は?基本的に上手くやってる人の影には、面倒を引き受けてる人がいるのに、よくもまぁ自己中に動けるもんだ。そして、不仲で面倒くさい両親の1人なる父による発言だということも非常に不愉快だった。両親に対して不快になる時、それは天に唾するが如く「私にもその人のDNAが入っている」という抗えない事実が血管を巡って気持ちが萎える。「こうはならないようにしよう。なりたくない。」と思っていても、なぜかどこか似てきてしまう遺伝の恐ろしさ!!!!私が自己肯定感が低く、実は心のなかで世間に怯えているのは「父のような怪物になりたくない。」という恐怖が根源だ。そのおかげで、おそらく父とは違って人の気持ちを慮る人間にはなれたと思うが、年齢は人を頑迷にすると科学的に立証されているので日々戦々恐々である。怪物になっちゃったらどうしよう。

タイトルの「正直者と『上手くやる』の岐路にて」というのは最近良く考えることである。正直者で裏表がないから信頼されているんだとも思うけど、バカ正直って言葉の通り、バカでもある。もっと上手くやってもいいんじゃないかなと思う。お互いがWin-Winで誰も傷つかない嘘や甘えはあってもいいのでは。「上手くやるDNA」はどうやら父から兄へ受け継がれてしまって、私は母から「見たものは全て救って歩く」方のDNAを濃く受け取ってしまった。恋の駆け引きだったら所詮うたかたのゲームだからいくらだって適当に上手くやれるのに。本気の恋愛や仕事や友人関係では、上手くやれない。全然出来ない。

これから就活をする上で、嘘をつかずに言わんでいいことを黙って上手くやることできるだろうか。全部をつまびらかに話すことが、私の「私のことを全部わかった上で考えて欲しい。」というエゴにはならないだろうか。正直と上手くやるがせめぎ合う。「君はそういう不器用な人だから愛されてるんだから、小賢しくなることを目指しちゃいけないよ。」とはカウンセラーの言。

ある意味、めちゃくちゃ長所なんでしょう。私もそう思う。でもなんだか不器用がすぎてつくづく頭が悪いぜ。あと他のことにかまけて本来取り組むべきことから逃げるクセはどうにかしないと。はぁ。

気持ちが暗いのは雨のせいにして、明日はきっと良い日です。おやすみなさい。

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