カエルくん

あの日、あのおばあちゃんは泣いていた。
あの涙が、あの泣き顔がなんとなく忘れられないので書く。

休日の昼下がり、私は外を歩いていた。
近所の道を歩いていて人とすれ違うことはあまりない。
私の住んでいるところは田舎で、車社会。
「ちょっとそこまで」にも車を使うので、車とすれ違うことはあっても、歩いている人に出会うことは珍しい。

おばあちゃんが向こうから歩いてくる。
挨拶する。
すれ違う、と思ったがおばあさんが話しかけてきた。
行きたいところがあるようなので、スマホで検索したがそれらしい場所がヒットしない。
それに、話の節々に少し不自然なところがある。
どうやってここまできたのか、行き先の連絡先はわからないのか、どこに住んでいるのかなど聞いてみる。
このあたりで気がつく。
おばあちゃんは認知症なのかもしれない。

とりあえず、鞄の中身を見せてもらって、迎えにきてくれそうな人の連絡先を探す。
よかった。
見つけた連絡先に電話がつながり、迎えにきてくれることに。

それまで待機。
おばあちゃんとおしゃべり。

お迎えが来て、別れ際おばあちゃんは私に千円札を渡そうとした。
断った。
おばあちゃんは泣いた。
泣いた。
子供みたいに泣いた。
えんえん泣いていた。

もらったら、おばあちゃんは笑顔になっただろうか。
もう一回、同じようなことがあっても、たぶんもらわないだろうけど、すっきりしないのはなんだろう。

おばあちゃんと笑顔でさよならできなかったのは、やっぱり残念だった。
でも、おばあちゃんはきっともうあの日のあの涙のことは忘れているだろう。
私はたぶんしばらく忘れられないので覚えておこうと思う。
いつか、笑顔でさよならできる方法を発見するかもしれない。
笑顔でさよならじゃなくても良かったと心から思える日が来るかもしれない。

正直に生きましょうとか、人には親切にとか、人を悲しませてはいけないとか、そういうことで納得できないことがたくさんある。
答えはないのかもしれないけれど、自分の頭で納得できる答えを見つけようと努めようと思う。

そういえば昔、かんがえるカエルくんという本?だか漫画だかを読んだことがある。
カエルくんもこんな気持ちだったのかも。
カエルくんは、けっこういっぱいいるのかも。

君もカエルくんなのか。