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雨だった

明日の雨は悲しい雨
って、いつも楽しい雨が降る人が言うから、雨が急に悲しくなった

時代劇で医者を呼びに走るときは大体雨だし、下駄は脱げて足から血は出るし、途中で転んでどろどろだし。

そんなときに見る雨より、ずっと悲しい本物の雨だった。お通夜、お葬式の間、静かに優しく降り続いた。

この世界で、誰かがどこかで産まれて、誰かがどこかで死ぬっていうことを知っているけれど、感じることは自分の人生の中でどれくらいあるものなのだろう。この誰かが身近な人であることが、今後どれくらいあるのだろう。その人の顔が浮かんで、目の前の光景が嘘みたいに思えることがどれくらい。

Suicaのペンギンがこっちを見るけど、私が知っているペンギンはピングーだから君はペンギンじゃないって言っておいた。

嫌なことを見たくなくて目をつむったのに、嫌な夢をみた。目が覚めて夢だと気づいたとき、また現実が始まってどこにも逃げる場所がないんだなと、少し怠さの残る体でアラームを止める。

自分の心がもっと広ければと思うことがいっぱい。

死んだ人の隣で仕事をすることは、人生で早々ないと思う。レンタルなんもしない人をレンタルしたら、きっとこんな感じなんだろう。

もう決して笑わない安らかな表情なのに、機嫌よさそうに笑ってる顔しか思い出せない。
終わりが近いときに苦しそうに息をしていたのが嘘みたいに。

最期の、最後の息は大きい。

何もかも忘れるために生きているのかと思うくらい忘れたいことがたくさんある気がする。
生きていればそのうち忘れられると思って生きるけど、結局思い出すし、そのうちにまた忘れたいことが増えるから。

不安。

雨を悲しくしてくれる人さえいなくなったら、どうすればいいんだろう。