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あいさつ/それぞれの読書体験について

 はじめまして、今年木曜会に加入させて頂きました文学部1回生の鹿毛と申します。
 添えた写真は東京都写真美術館で行っていた展示会「TOPコレクション 『覗き見る』まなざしの系譜」で出会った作品で、奈良原一高さんの《インナー・フラワー:ばら》です。
 私は高校時代にCovid-19の流行期がどん被りした世代で、台湾への3泊4日修学旅行が県内半日ツアーになったり、文化祭や体育祭が中止・規模縮小になったりと悔しいこともありました。その頃は運の悪い世代だなあと思ったりもしていたのですが、自粛ムード明けの大学に入学し、数年ぶりだという制限無しの新歓に参加でき友人と心置きなく遊びに行ける状況を享受している今は、逆に運が良かったとすら思っています。結局は今が楽しければいいという話なのかもしれません。
 小説を書き始めたのはそれこそ小学生の頃なのですが、今までは気の向くまま勝手に書き、これまた気の向くままサイトへ投稿していたので、文芸系の部活やサークルへ入る必要性は感じていませんでした。木曜会へ入会した当初の目的も、読書の幅を広げることや書いたものを公開する正式な場を得ることです。しかし入会して活動に参加するなかで、同年代の方々の書いた小説を読んだり自分の書いたものについて意見をもらったりすることがいかに刺激的で楽しいことか、知ることが出来ました。当サークルの元ネタである夏目漱石の文学議論サロン・木曜会からも分かるように、特に創作においては相互交流のもたらす効果は絶大であると感じました。そりゃサークルなんていう運営は面倒なのに形態は寛容にならざるを得ないコミュニティが続いていくわけです。恩恵を受けたからには私も会の存続の力になりたいですね。ところで今回の新人号には二作出しております。ペンネームの候補をたくさん出して悩んでいたところ友人に「本名が一番洒落てるけどね」と言われ、果敢にも本名で発表させて頂きました。どうぞよしなに。
 また話は変わりますが、個人的に思う(小説や音楽や絵画などの)芸術における素敵ポイントの一つは 「内容とその当時の状況とが強固に結びついて記憶に残ること」 です。例えば私は中学生の頃、訳あって一人で飛行機に乗り沖縄へ向かったことがあるのですが、その時に鬼リピしていたwowakaさんの『アンノウン・マザーグース』(宮下遊さんの歌ってみた)を聴くと、当時のワクワクとほのかな不安、そして空港の高い天井まで満ちた清潔な空気の記憶が今でも鮮明に浮かびます。ある作品について語り合うとき、相手がその作品に触れた時の体験も合わせて話すともっと楽しいのではないでしょうか。作品たちが、それに触れた当時の感情や風景や状況などの記憶をみずみずしいまま抱えて個々人の奥底に残っていることは、とてもロマンチックだと思うのです。そしてそんな作品たちに伴う記憶が我々を形作ってきたのでしょうね。
ここまで読んでいただきありがとうございました。あなたの素敵な読書体験を祈って。

(鹿毛)


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