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【介護日記】助けを言葉にする勇気

「あの、母が認知症かもしれないんです」


母の様子が変だと気付いて、約一年。

ようやく私はこの言葉を口にした。

母の物忘れが特別ひどく感じるようになったのは、去年の夏頃から。

一人、部屋の隅で泣いていることが増えた。
身体のふるえがとまらなくなった。
過去の記憶と混同して、この場にはいない家族がいるかのように振る舞った。

ご飯がつくれなくなった。

何かがおかしい。


『60代後半 物忘れ お風呂の入り方がわからない』

『高齢者 不安定』

『高齢者 パーキンソン 遺伝』

時間があればネットに答えをもとめ、でも必ず最後に「専門家に相談しましょう」の文章にため息をつき、まだ大丈夫、まだ平気と言い聞かせた。

私自身、職場が変わり、結果を出さなきゃという一心で働いていた時期で、期待されているポストに就けるよう、無我夢中だった。
楽しくはなかった。

自宅に仕事を持ち帰り、遅くまで仕事をした。
そのたびにこれは私が不出来だからだと責めながら、なんとか結果を出そうと必死だった。

すぐそばでさみしそうに小さくなっていく母を見て見ぬふりをして。

母のそんな姿を横目に、仕事をしながら、夜な夜なネットで情報を探す日々。

私は気にかけてるんだと自分にポーズをとり、また、何でもありません加齢ですよと一蹴されることが怖く、誰にも打ち明けることができなかった。


そうして約一年。

自分の心のコップもひび割れ、あと一押しすれば割れる寸前まできていた。

いくあてのない苛立ちを、一番大切にすべき相手にぶつけ、家の中の空気が淀みきっていた。

その頃には、母はこの場に意識のない表情をすることが増えた。


このままじゃ、だめだ。

そう思ったある日、今までの躊躇いが嘘かのように、この一年間、押すことのできなかった地域包括センターへの電話番号を、無意識のうちに押していた。


気付いたらケアマネージャーさんの前で、母への謝罪の言葉を涙と共に吐き出していた。
ケアマネさんは何も言わず、大きくうん、うんと頷いていた。


その日から今日までの3か月はあっという間だった。

デイサービス、認知症専門の病院受診、介護用品のレンタル、配食サービスが、私たちの生活に新しい風を吹き込んだ。

ケアマネさん、病院の先生、デイサービスの方々。
出会う人全員が、本当によく、母の目をみて、母の言葉に耳を傾けてくれた。

最初は外出を嫌がっていた母も、最近は信頼していい人たちだと(よくわすれてるけど)認識しているようで、ぐずることもない。

私自身、私以外の人が母の存在を気にかけてくれていることが心の拠り所になり、ホッとした。


もっと早くに相談すべき、とか、一人で悩んでても仕方ない、とか重々わかっている。

わかっている、けど、

子育てをしたこともなく、介護をした経験もない。
ましてや人生の中で誰かに助けをもとめたことがほとんどない。
そんな若造にとって、求めるべき先が明示されていても、その一歩が、暗闇の中で進める一歩並みに恐く、不安だった。

もっとがんばりなさい、と手を振り払われるのではないかと怖くてたまらなかった。

言い訳、だと思われても、怖くて身がすくんでしまった自分を私は責められない。


でも、


お母さん、もっとはやくに状況を変えられなくてごめんね。

あなたが私を守ってきてくれたように、私ももっと図太く、強く、あなたを守れるようになるから。

小さくなった背中をさすりながら、『ごめんね、家族なのに』と、がんじがらめの呪文を唱えて、今日が過ぎていく。

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