見出し画像

2.12日本武道館 潮崎豪VS武藤敬司〜過去を超え未来へ〜

トップ画像は@shun064さんの作品です。


いよいよ間近に迫ってきたプロレスリングノアの日本武道館大会。11年ぶりの聖地帰還。ある人は「もう戻れないと思っていた場所」。ある人は「夢の舞台」。またある人は「未踏の地」。選手、裏方、ファン。みんながそれぞれの想いを込める大会。そしてメインイベントを飾るのは「潮崎豪VS武藤敬司」。王者潮崎がレジェンド武藤を迎え撃つ。2020年はまさしく潮崎の年だった。ノアの過去の過去と現在それぞれを象徴する相手を次々と下し、王者として防衛を重ねてきた。


一方の武藤敬司。説明不要のリビングレジェンド。本人が言うように参戦するテリトリーでベルトを巻き、どんな場所でも「金の雨を降らせてきた」レスラーである。IWGPヘビー、三冠、そしてGHCヘビー。これら3つのベルトを巻いたのは、高山善廣、佐々木健介のみである。「こんな老いぼれだけど夢は見ていいだろ?」とマイクで語ったように、その夢は史上3人目のグランドスラム達成か?はたまた「90年代〜00年代のプロレスファンの夢」であった三沢VS武藤なのか?


潮崎は藤田和之という00年の怪物を迎撃し、過去の歴史を塗り替えた。また団体内では「丸藤正道」「中嶋勝彦」「杉浦貴」など現在及び過去の選手を超えてきた。それでは武藤戦は「過去なのか?」「それとも未来なのか?」シンプルに考えれば「過去」である。年齢を考えても武藤は全盛期とは言えない。膝の負傷こそ人工関節でケアができたが、代替としてムーンサルトプレスを失った。ネームバリューとしても決して「現在」を象徴するレスラーではない。またノアとの因縁〜三沢光晴との夢に続き〜を考えても、過去よりに捉えられる。


「せっかくの武道館が武藤戦では未来に繋がらない」という意見もある。しかし本当にそうだろうか?先程述べたように、潮崎は現在のノアの選手を全て乗り越えて防衛を続けてきた(拳王のみドロー)。またベルト奪取も清宮海斗からである。ある意味「現在超えるべき相手」がいない状態である。


ここで一つ視点を変えてみたい。プロレスにおいて、イデオロギー闘争というのは重要な要素を果たしてきた。単純な世代闘争もさることながら、そこにはお互いのスタイルの違いを巡っての闘争も含まれる。90年代の全日本プロレスで言えば「鶴田超え〜三沢超え」の流れ、近年の新日本で言えば棚橋弘至とケニーオメガ。異なるスタイルを持つレスラー同士が、己の信念をかけてぶつかる。そこから発生する熱によってファンが熱狂する。


そこから考える武藤敬司。ハードヒット型でも、派手な技を多用するわけでもない。グラウンドで意地悪に相手を制圧し、そこから自分の間合いで試合をコントロールする。使う技もシンプル。ノアのプロレス「いわゆる小橋建太的なプロレス」とは異なるスタイルである。実際武藤本人も「潮崎の土俵には付き合わない」「俺のスタイルはあれとは違う」といった趣旨の発言もしている。つまり2.12のメインイベントは潮崎と武藤という異なったスタイルのレスラー同士がぶつかる図式である。


かつてノアの勢いが弱まったのは「試合スタイルの均一化」という要素がある。試合の質は高い。しかし試合の系統が似ているせいで、試合ごとの違いが万人に伝わりづらい。そのスタイルが好きなファンは熱狂するが、そこから溢れたファンは去っていく。いみじくも小川良成が、三沢さんは「これがノアの試合」という言葉に怒っていた。正しくは「これもノアの試合」だと語ってた。だからこそ武藤が、今の潮崎の防衛戦相手として相応しいのだ。


「均一化した試合ばかり」という過去を超えて「全てのスタイルを飲み込む」という未来へ。それは三沢が望んだ形であったはずだ。一度は失われた未来の光景。それを再び手にすること。それこそが今回の日本武道館大会の目的なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?