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潮崎豪の300分6秒 終章.すべてを受け止めて〜I am noah

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※トップ画像はTwitterのフォローをさせて頂いている@TACK59089236さんの描いた絵です。

序章〜ノアはお前だよ〜

第一章.1.4「新しい景色は俺にしか創れない」 VS清宮海斗〜27分42秒

第二章.3.29「潮崎選手は漢です」 VS藤田和之〜57分47秒

第三章.6.14「これで負けたけどさ、俺次に進むよ」 VS齋藤彰俊〜29分22秒

第四章.8.5「 I am real noah」 VS丸藤正道〜30分56秒

第五章.8.10「正真正銘1番強いやつを決めようぜ!」 VS拳王〜60分00秒

第六章.11.22「出戻りチャンピオン!」VS中嶋勝彦〜42分35秒

第七章.12.6「I am noahは俺に勝ってから言え!」VS杉浦貴51分44秒

終章.すべてを受け止めて〜I am noah


終章.すべてを受け止めて〜I am noah


2020年の潮崎豪は「三沢光晴を背負った」「ノアを背負った」といった様々な言葉で表現される。それはまったくもって正しい。しかしもう少し踏み込んで考えると「三沢光晴を、ノアを背負ってほしいというファンの願い」。それを背負ったと考えることもできる。2009年の三沢逝去以降、潮崎が一度は担った「三沢を背負ってほしいというファンの願い」。それは当時の潮崎にとっては重たすぎるモノだった。自分のスタイルをこれから築き上げようという段階の彼に、三沢やノアという荷物を背負わせたこと。それは当時のノアの状況を考えれば間違いだったとは言えない。しかしプロレスラー潮崎を構築する足枷になったことは否定できない。そう考えると全日本プロレスに移籍し、己を見つめ直す期間を得たことは潮崎にとってはとても大きな経験だったといえる。

しかしノアに戻ってからの潮崎は、全日本で構築した自分の型を出すも「何かが足りない」という状態が続いていた。誰とでも良い試合をする。むしろチケットの値段以上の試合をする。だが何かが足りない。2019年までの潮崎が清宮海斗と拳王の後塵を拝した姿を見て、私は「もう潮崎が最前線に立つことは無いのか」と感じたこともあった。

そうした空気を一変させたのが1.4のあの新コスチュームだった。三沢を背負う。それは生半可な覚悟で務まることではない。それは他の誰よりも潮崎がわかっていることだ。それでも敢えて緑を、三沢を背負うことを満員の観衆に意思表示した。清宮や拳王が台頭し、三沢の色が少しずつ薄れかけていたからこそ。「誰かに三沢を背負ってほしい」。そうしたファンの深層心理に潮崎がハマったともいえる。もちろん防衛戦を続けるたびに前回の試合を超えた内容を見せる。「ファンの期待」という願いを受けとめてきた。

2020年に潮崎が受けとめたのはそれだけではない。どの対戦相手も様々な想いを潮崎にぶつけてきた。清宮の「未来のノアを背負う気概」。藤田和之の「シリアスな強さ」。齋藤彰俊の「三沢への想い」。丸藤正道の「ノアを背負うことの重さ」。拳王の「強さへの渇望」。中嶋勝彦の「隣ではなく対角に立って戦うという意思」。そして杉浦貴の「真のライバルを求める願い」。そうしたすべての想いを潮崎は正面から受けとめ、そして勝利を収めてきた。

潮崎は結果的に三沢のファイトスタイルを受け継いだ。しかしそれはローリングエルボーやエメラルドフロウジョンといった技ではない。「ファンの想い」「対戦相手の想い」。それらすべてを受け止める。これこそが三沢イズムの、ノアイズムの一端なのだろう。創立から20年がたち、創業者がいなくなっても。それでも「すべてを受け止める」という根幹の部分は、ノアに確かに受け継がれていた。

2020年という特別な1年を駆け抜けた潮崎。2021年2月に帰還する日本武道館大会ではGHCヘビー級のベルトを賭けて武藤敬司と対戦することとなった。武藤のいう「老いぼれの夢」。それはGHCを戴冠し、IWGP、三冠を含めたグランドスラムを達成することか?それとも交わることなく終わった三沢との対戦か?はたまた馬場全日本と猪木新日本のイデオロギー対決の決着か?何れにせよ、そこにはなんらかの武藤の願いや想いが存在するはずだ。奇しくも「いつ何時誰の挑戦でも受ける」と宣言した潮崎は、武藤の挑戦を打ち破ることができるのか?結末は誰にもわからない。しかし勝敗はどうであれ、潮崎の「すべて受けとめる」という試合の形が変わることは無いだろう。2020年の潮崎の戦いはこれにて終了する。2021年新しい戦いで時計の針は進むのか…それとも止まってしまうのか…。2021年2月12日。答えはそこではっきりする。

潮崎豪の300分6秒

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