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2.19三冠戦〜宮原健斗の陥落に思うこと

いやーめっちゃ悔しいですねーーーーーーーーーーーーーー。
スーパーエース宮原健斗が永田裕志に敗北して三冠が流出って…。



難波さんの浄化を求めるくらい悔しい…




さて。今年は三冠戦全部書くを自分のテーマにしていたので、いくら悔しいとはいってもそこから逃げません。しかし本当に悔しい…。

全日本プロレスの三冠王者宮原健斗が新日本プロレスの永田裕志を迎えて行われた三冠戦。私の結論から言えば「試合自体はとてもおもしろかった」という感想です。両者のシングルは全日本では2度目。前回の対戦がいまいち消化不良(というか宮原と永田のコンディションの差が露骨に出た)試合だったことから、私の戦前の予想は「どちらが勝つにしても内容は期待できないかな…」というものでした。しかし試合は大熱戦。私は配信視聴でしたが、満員の後楽園ホールの熱気が画面越しでも伝わりました。これまで全日本ではいまいちのコンディションだった永田ですが、この日はガッツリ体を張って戦っていました。もちろん宮原の持つ空気感を破壊するには至りません。全体的には宮原が空気と試合をコントロールしていたと思います。しかし永田が宮原のブラックアウトや完璧に決まったと思われたシャットダウンスープレックスを跳ね返したのは見事でした。永田がこの一戦に賭けてコンディションを引き上げたこと。宮原の世界観を破壊して完勝することはできなくとも。それでも泥臭く体を張ることで勝利のみを求めたこと。それはまさにベテランの意地でありミスターIWGPと言われた男の誇り。それは強く私も感じました。単純にこの試合だけを見れば永田あっぱれ!祝グランドスラム達成と感じるでしょう。この試合だけを見れば…(ここはとてだい)。

この試合だけを見たのか?それとも去年から全日本を見ていたのか?それによってこの試合の受け取り方は異なると思います。私は後者の立場です。その立場からすると「そもそも永田が今回三冠に挑戦すること自体が?」という意見でした。

去年から全日本に参戦していた永田ですが、私は決してコンディションが良いとは思えませんでした。前提として永田の全日本での立ち位置がかなりあやふやだったことがあります。当初はVMに回帰した諏訪魔に反撃するためのEvolutionの助っ人であったはずが。VMとの抗争が決着する前に王道Tで外敵としての位置になり。それが終わると最強タッグでは全日本のルーキー安齊 勇馬の指南役としてタッグを組む。去年の永田の全日本での立ち位置はずっと不安定でした。もちろん「立ち位置に関係なく良い試合をしろ」という意見はわかります。しかし本人がモチベーションを保ちづらい状態だったことは推察できます。

それが今回は三冠戦。全日本のスーパーエース宮原への挑戦。更にグランドスラムのかかる試合。これはモチベーションが高まる状況でしょう。永田は同時期にノアに参戦していた小島と比較されていましたが、小島には最初から明確な目標(GHCヘビー挑戦)を与えられていたわけで、そこは永田と状況がかなり違いました。※もちろん本人のキャラクターによる違いも大きいですが…。

なので今日だけ見れば「永田あっぱれ」。去年から見ていたら「挑戦者としては受け入れがたい相手にフラッグシップタイトルを奪われた」「それもスーパーエースから」という感想の違いが生まれる。そこは決定的に違います。加えて言えば今の全日本は宮原というスーパーエースが団体を支えている。複数エース制を敷いていない団体という状況なので。複数エース制に慣れた他団体のファンにはその衝撃が理解し難い部分もあるでしょう。良い試合だっただけに悔しさも強い。そんな三冠戦ですね…。




ここからはもう少し突っ込んだ話です。「宮原健斗一強の全日本では上がり目が弱い」「バッドエンドだってプロレスだろ?」「今日の試合を見て全日本に興味を持った人をファンにすればいいだろ?」。そのへんのお言葉すべて理解した上での話です。そしてこれは私の意見でありそれに同調できない人がいるであろうことも自覚した上での話です。



今回の永田戴冠がゼンニチ新時代に必要なのか?結論から言えば「必要とせざる得なかった」というのが私の考えです。今の全日本はスーパーエース宮原を頂点とした形です。今ではないですね。全日本は2019年から20年にかけてのV10時代以降は完全に宮原健斗の団体になったと私は考えています。宮原の「全日本プロレス…最高…」のマイクで大会をしめる世界。それを望む人で団体は支えられています。しかし宮原の存在が巨大になるほど。太陽の照らす力が巨大になるほど。そこに匹敵する存在はうまれずらくなります。20年から22年にかけてはジェイク・リーが宮原と反対の月。「己を問い続ける者」として宮原に追いつこうとしました。しかしジェイクは宮原を追い越すことはできませんでした。直近のシングルでは分が良かったにもかかわらず。「全日本のエースは誰かと問われれば満場一致で宮原健斗」。その印象を崩すことはできませんでした。宮原に試合で勝っても並ぶことが精一杯。いや。並べるのは宮原が無冠のときのみ。宮原の腰にベルトがあれば。誰もが宮原をエースとして捉える。これはひとえに宮原の存在が巨大になりすぎた故の状態です。

つまり宮原に勝っても新しい柱は生まれない。ではどうすればよいか?宮原超えはできないとしたうえで、別のラインで柱になりうる選手を作る。それが今回の永田戴冠かもしれない。つまり外敵から誰かがベルトを取り返すことで、宮原超えを果たさずに新しい柱を生み出す。今回の件をかなり好意的に捉えると私はそこに至りました(自分でも無理くり考えていることは認めます)。

もちろん「団体内部で切磋琢磨しての宮原超えを見たい」「若い選手も多いんだから時間をかければそれもできるだろ!」。その気持は痛いほどわかります。先程も述べたように全日本のファンは明るいハッピーエンドを望む人が多い。少なくとも私はそうです。「バッドエンドだってプロレスだろ?」という声には「それを見たいならそもそも全日本は見ない」と返答したくなります。そして「今回の件で全日本を見ることを辞める」。そうした意見が出ることもわかります。温かい目で見守ることが難しいですよね…。

今落ち込んでいる人を励ますことは私にはできません。少なくとも「プロレスってそういうもんだろ?」と発するにはあまりも重い心境です。なのでせめて私が考えるのは…。次の防衛戦で永田と石川のどちらが勝とうとも。哀しき反逆者と言われた男が三冠に再び挑戦し。「最高や最大という意味を持つ技を炸裂させて」「俺が全日本プロレスをもっと面白くする!」と力強く宣言する姿が。きっと近いうちに見られるだろうと妄想することだけです。

見られるよね?見られるよね?見られるよね…。











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