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投稿(だ)した後にプレデタリジャーナルて気づいたときにやれる10のこと

Open and Reproducible Science Advent Calendar 2020の25日目の記事です。

今,僕は冷静さを欠こうとしています

すっごく大事に大事に蝶よ花よと手塩にかけて育ててきた愛しのマイ論文をバッシィィンと投稿した後に,どうもそのジャーナルの評判をよくよく聞いてみるとプレデタリジャーナルぽいって噂されててどうしようヤバイよツライよって狼狽(うろた)えること,ありますよね。そういう場合にどうやってその研究と,研究者としての自分自身の信用性を保つかについてがこの記事の本題です。一応私の所属大学がプレデタリ論文数ランキングで全国ダントツ1位を叩き出していることもあり,この話題には敏感なのです。あわくっているわけです。

そういうわけで以下に対策を並べてみました。タイトルでは「気づいたとき」と言いましたが「気づく前から」やっとくことも含まれています。この記事の目的の一つには,プレデタリの被害者となった著者たちに何とか活路を見出してもらえればというのもあります。ちなみに,見かけの業績数を増やすためにプレデタリを意図的に利用するクズみたいな糞プレデタリオーサーはこの話の対象にしていません。そういった所業を学術界がどう取り扱っていくかと,その所業に走らせてしまうシステム的問題(Publish but Perishの件など)については別のところでしっかり議論する必要があると思います。

1.そもそもそんなとこに出さない

元も子もないのですがこれがベストです。だいたい,そんなに入念に用意した論文を出す際になんで急に杜撰なジャーナル選択をするのかって話なんですが,意外とプレデタリ情報って共有されておらず,そもそもそういったヤバイジャーナルが自分のすぐ近くに存在していることすら知らない場合がけっこうあります。プレデタリジャーナルの著者への調査でも,多くの人々(なんと7割!)が,自分が掲載されたジャーナルがプレデタリであることに気づいていませんでした。出す前にそのジャーナルのことを少しは調査すべきという非常に基本的な点についてですら「Think. Check. Submit.」というサイトができるほど普及していません。他のアドカレでも話題になったかもしれませんが,この種の出版倫理・オープンサイエンス教育についてはマジで早急に全国で一斉にやるべきだと思います。

2.取り下げる

気づいた後に行うアクションとしてはこれがベストでしょう。「取り下げられれば」それに越したことはありません。しかし,中には取り下げ要請に答えないジャーナルもあれば,正式なレターを出さない限り撤回に応じなかった例もあります(この例だとさらにその原稿がほかの知らないジャーナルに勝手に掲載されていたという怪奇現象まで起きてる)。中には数万円の撤回料まで求めるジャーナルもあり,これはBeallの言葉を借りれば論文を「人質」に取られた状態での「身代金」です。断固とした態度で粛々と正当な手段を取っていけば最終的には取り下げることができた事例が多いのですが,そもそもそんなジャーナルに出しちゃうタイプの人がそういった手段を講じるのもツラいですし,身代金も払いたくないし,かかる労力の大きさを考えるとやっぱり「1.そんなところに出さない」に尽きます。

さて,次からはややテクニカルな話に入っていきます。

3.プレレジをしておく

「また出たよwこいつこればっか。もう聞き飽きたよ」とか「隙あらばプレレジ君だよなこいつ。ペッ」とか「壊れたレコード野郎が」とか言われそうですが,プレレジです(詳細ココ)。プレレジはジャーナルと独立して行えるという点がここではメリットになります。そもそもプレデタリジャーナルは結果にかかわらず出版するという点で出版バイアスを極小にしてくれます(超好意的解釈)。問題は査読が無いせいでその方法や結果が怪しいという点なのです。これをプレレジで補います。プレデタリジャーナルと無関係な場所でプレレジをすることで,ジャーナル側の意図が一切介入しないところで仮説検証や探索方針などの信用性を担保することができるのです。ただこれまた聞き飽きたかと思いますが,プレレジハッキングがあるので過信は禁物です。あとAsPredictedではプレレジ情報が秘匿されたままなので効果ありませんからそれも注意。

4.有料の投稿前査読サービスを受けておく

査読って,別に投稿後にしか受けられないわけじゃないんですよね。原稿のあらゆる段階で可能です。ジャーナルへの投稿前に査読を受ける方法がいくつかあるのですが,そのサービスを有料で提供している場合があります(多くは英文校正会社)。有料査読サービスによる査読はジャーナルと完全に独立していますので,査読に権威的なものが混入した糞みたいなバイアスがなく,エディターの邪魔も入らないので好きなだけじっくり受けることができますし,デシジョンなどをチラチラ気にして変なアピールとか変な修正とかする必要がありませんのでけっこう気が楽です(というかジャーナルでの査読も本来こうあるべき)。

で,査読が終わったらその内容全てをサプリメンタリなどで開示しておけばいいんですが,最小努力(satisficing)をモットーとするプレデタリジャーナルが明らかに余計なものをすんなりサプリメンタリとして載せてくれるかは分かりません。なのでOSFとかのリポジトリにうpっておいて本文でURLとともに開示しておくのが良いかと思います。どうせ本文へのチェックなんか入りませんし,ジャーナル側も別に損はしない(彼らも別に査読反対運動をしているわけではないw)のでこれが確実です。

ただしいくつか問題もあります。まず品質保証がまだ無い。どんな査読コメントが来るかちょっと分かりません。それと有料という点もちょっと問題で,これを実行できるのはある程度金に余裕があるところに限られてきそうです。となるとこのサービスの恩恵を受けられるのは既に金持ってる人々が主で,そうでない人々との間に格差が生じ,マタイ効果につながってしまいます(参考)。

5.コミュニティによる投稿前査読を受けておく

そこで,金のかからない方向を探るのも良いかと思われます。去年あたりから研究者コミュニティがいろいろとプレプリントに対する事前査読みたいなことを始めていて,有名なものの一つにReview Commonsがあります(まあ心理学は対象分野じゃないんですが)。また最近活動が活発化しているのはPeer Community In (PCI)です(まあ心理学は対象分野じゃないんですが)。どちらもプレプリントへの査読を行い,提携ジャーナルが新規査読なしで掲載判断を行うというシステムになっています。後者のPCIの方はさらにRecommenderというものがエディター的に介入し,アクセプト的判断ができた場合に提携ジャーナルへの掲載推薦文も書きます。こうなってくると査読とジャーナルとが完全に切り離されてきます。例えばPCIでRecommendationを受ければあとはプレデタリだろうと何だろうと掲載される場所が関係なくなります。もしもこの流れが主流になっていった場合,もはやジャーナルの存在意義って一体・・・と怖くなってきますが,怖いので今は考えるのをやめておきます。とりあえず,心理学ではこういうのやらんの!?

ここまで挙げた3ー5は,どれも投稿前の話なので,正直プレデタリに出しちゃったかどうかとかは関係なく常にみんなが利用するのが良いと思います。

これ以降は投稿後のはなし。

だいたいここで多くの人がプレデタリの気配を感じ取ることになります。個人的な基準ですが,a)査読完了が異常に早い,b)査読者が明らかに専門外,c)査読コメントが驚くほど少ない,あるいは無い(つまりデスクアクセプト),d)エディターのジャッジがびっくりするくらい甘い,のうち2つ以上に同時に当てはまればそこはプレデタリ確実だと思います。したがって「査読がちゃんとやられたこと」を「他人の目にも明らかにする」必要があるわけで,そのための手段が以下のものです。

6.オープン査読

近年,査読コメントや査読者名を開示するジャーナルが増えてきました。Frontiersとかがすぐに思いつくものでしょうか。私が編集者として関与しているジャーナルでも2つがオープンコメントを採用しています(Journal of IllusionCollabra: Psychology)。しかしどうやらこれらは大変少数派なようです。以下のツイートにあるように。各分野トップジャーナル限定での話ですが,導入は1%程度でした。びっくりしちまったぞ。

実はオープン査読には下位分類があります。身元,レポート,参加,やり取り,および査読前原稿の公開,出版後査読,査読プラットフォームの分離の7つです(詳しくはこれ見てね)。既にここまでにもいくつか触れてきていますね。オープン査読の導入率が低いのは,身元オープンの場合に査読者がリスクを感じてしまうためだと思われます。Frontiersはそのせいで全く(ここは力強く強調したい)査読者がつかまりません。F1000も同様です。やっぱし,みんな匿名で好き放題言いたいんです。まあ相手が権威であっても恐れず問題を指摘できるのがブラインド査読の利点だと思います。ただ,個人的にはそれが非熟練者かつ立場的にも弱者であるECRs(いわゆる若手)相手にフルに発揮されてしまってるんではないかとも感じています。無茶な,過度に強い,感情的な言葉なんかで。・・・話がちょっと逸れました。

で,私はプレデタリ問題に関して言えばその中でも査読レポートのオープン化が重要だと思っています。これはわかりやすい話だと思います。プレデタリジャーナルは査読の存在を偽装している。であればそれをオープンにすることで少なくとも査読の存在を証明することができる,てことです。問題はオープン査読を取り入れているプレデタリジャーナルなんかあるのか?という点ですね(正統派ジャーナルでも1%だし)。今回もリポジトリにうpって本文に書いておく方法しかないかもですね。あとジャーナルが査読レポートを捏造する場合もあるかもしれません。なのでこの手段はかなり利用性と有効性が限られます。しかしキマればなかなか有効だと思っています。

7.査読者追加を要求

前にも触れましたが,プレデタリジャーナルは査読反対運動をしているわけではなく,査読で不意にケチョンケチョンにされた著者がリジェクト(プレデタリではなぜか頻繁に開催される特集号のゲストエディターの場合にこの判定が起こりうる)されたり自暴自棄になって取り下げたりすることで収入を失うことを恐れています。逆に,明確な掲載意思をリプライレターなどで伝えることができれば,査読者の追加に応じてくれる可能性があります(ただし,彼らは最小努力をモットーとしてるので略)。査読が行われなかったのであれば,こちらからサジェストしてでも査読者を追加させることを検討していいと思います。まあ,「できるだけ少ない査読者数で来い!」という通常の著者の期待とは真逆の行為ですが,既に自分の信用性がヤバイ状態なのでこれくらいはトライすべきでしょう。

8.出版後査読

これもオープン査読の一種ですね。先述のように,査読は論文の出版後にももちろん可能です。むしろ出版前査読ではほんの数名の査読者しかチェックしていないのに対し,出版後査読では一般の誰もが査読をできます。捏造などの研究不正の多くが査読中ではなく出版後に明らかになっているのはSTAP事件をはじめよく知られていることです。最近では画像不正の検出に関するElisabeth Bik氏の驚異的な仕事も非常に有名です。我々はこの出版後査読について,それをコメンタリとして業績化したりするフレームワークを既に提案しています。プレデタリジャーナルの論文にも同様のしくみが使えます。つまり査読中に査読がなされなかったのであれば,それを出版後の査読で補うのです。

具体的には,まずプレデタリジャーナルに無査読で掲載されてしまったとします。しかし本文には,出版後原稿をプレプリントサーバーにうpっていることをURL付きで仕込んでおきます(どうせチェックされません)。で,その出版原稿に対してHypothes.is等のアノテーションサービスを使った査読を募り,査読に対応して更新し続けます。これは従来の「プレプリントに始まり,ジャーナルで終わる」という出版システムとは真逆のものです。つまり,まず(プレデタリ)ジャーナルで出版し,その後にポストプリントを更新し続けるのです。実際このフローはソフトウェア開発では当たり前に行われています。どうしても初期不良等があるため,それをエラー報告やユーザーエクスペリエンスフィードバックにより改善していきます。論文にも(ましてや無査読プレデタリなら)初期不良はあるでしょう。同じことが効果的なはずです。ここではECRsのエラー検出能力にも期待したいものです。ぜひともバンバン見つけてゴリゴリと業績を伸ばしてほしいです。(でもまだシステムがそうなってないからマジ急いで略)

9.オープン推薦システムの活用

もう指が痛くなってきましたがもうちょいいきます。読者的には他者のざっくりとした感想であったりSNSでの評判だったりをその論文の信用性の指標として参考にしていると思われます。なので一番簡単にこの種のフィードバックを得るにはSNSに投稿することです。ただし,ツイッター等での「いいね」数はかなりバイアスが強いので大まかな指標にしかならないかもしれませんが無いよりマシでしょう。ちなみに我々の仲間達がツイートすると平均3いいねくらいなのですが(佐々木氏も「脚注4」で言及),他の皆様はだいたいいつも数十から数百いいねついているのを観測します。実に羨ましい。しかし皆様の論文と我々のとでクオリティに100倍以上の違いがあるかというと,「さすがにそこまではない」んじゃないかと思います。まあ,質といいね数の関係は全然リニアじゃないってことです。そう信じたいんです。

なおオープン推薦に関する学術サービスとしてはPlauditが第一に挙げられます。これはORCIDで認証された研究者が自由に論文を推薦できるサービスです。PsyArXivと早くに提携していて,我々のプレプリントにもたまーにendorseしてくれる人がいらっしゃいます。誠にありがたいことで,感涙ものです。

10.業績欄にて査読なし論文扱いにする

プレデタリジャーナルに掲載された論文(正統派ジャーナルに掲載された招待論文なども含む)が査読を受けていない場合,著者は履歴書(または業績一覧)にそれを査読なし論文として記載することで自分の誠実さを証明することができます。この戦略は論文自体の質とは何の関係もありませんが,著者の研究者としての信用性を高めることができます。しかし,プレデタリジャーナルから撤回できてない場合にその論文をプレプリント欄に記載するのは不適切です。プレデタリ論文の痕跡を履歴書から削除することは一種の業績偽装であり,経歴詐称と同じです。載せてしまったのならその事実は包み隠さず開示すべきです。逆に,掲載されてもいないジャーナル(例えばNatureとか)に自分の論文が載ってるかのように偽装することが問題であることはすぐ理解できると思います。履歴書に事実が正しく記載されていない場合は全て不正行為であると考えるべきだと思います(ただし,それが有利に働くものではない「省略」の場合もある。難しい…)。プレデタリ論文は履歴書の適切なセクション(査読付き論文やプレプリント以外のセクション)に入れることが望ましいです。

以上,いろいろ挙げましたが,実行可能性や効果の点でけっこうバラバラです。でも個人レベルでやれることはフルでやっとくのが良いと思います。そしてもちろん同時に,プレデタリジャーナル/出版社への対策を学術コミュニティや機関レベルで議論し実施する時期に来ていると思います。日本版AAASでも研究公正・研究者評価・科学コミュニケーション・ジャーナル等の各WGで何か考えた方がいいのかもしれません。

ということで実践してみました

私も何か論文を書いてプレデタリジャーナルと噂されているところに出して,これらの方法が使えるのかどうかを実験しようかなと思いました。ただ,原著論文だとリソースの無駄が大きすぎてリアルガチで非倫理的行為にあたるので,メモ帳にシコシコ書くだけで済む意見論文にしておきました。というか今回のnoteの内容を論文にしました。マジでメモ帳で書きました。プレデタリ対策の論文をプレデタリジャーナルがどう処理するのかに興味があったって理由もあります。あと,もしもどこにも載らなくても別にプレプリントで出せればそれでいいやと思っており,立派な著名ジャーナルに是が非でも掲載させる必要性を感じていなかったというのもあります。

出し先は少々迷いましたが,ついでに研究者間でなかなか見解が一致しないことでモヤモヤ気になっていたMDPIのどこかにしようと思いました。この出版社のジャーナルに掲載した人はけっこう好意的な反応をしている反面,怪しみまくっている人もけっこういます。当初はBeallのリストに入っていたものの,彼の所属大学にまで強い圧力をかけてそれを撤回させたという経緯もあります。ちょっと前の私のツイートのスレッドを見てもらえればMDPIについての最近の情勢と私の逡巡が分かっていただけると思います。既にこの時点でお試しサブミットを検討していたようです。

おあつらえ向きに,MDPIには「Publications」という火の玉ストレートなお前マジかよ的名称の雑誌がありました。さらに「出版倫理と研究公正」という題の特集号がありました。しかもここはオープン査読をオプションで選べます。なのでここに出すことにして,いつものように疾きこと風の如しスタイルで原稿を準備しました。といっても,ログを見ると実際には2週間くらいかかってたようです。科研が書けん状態と同時並行していたのでさぞかし大変だったんでしょうね。なぜか10月後半の記憶がありません。

まずは「4.有料の投稿前査読」

とりあえず投稿前査読を受けるために,Editageに有料のやつをお願いしてみました。以前から一体どんな査読をしてくれるのか気になっていたのでこちらもトライ的要素が大きかったのですが,結果としてはかなりガチ感の強い査読結果が返ってきました。餅は餅屋というように,やはり英文校正会社だけに普段からこの辺のことを考えてる方が多いのかな。ジャーナル運営や査読の実態に迫ったコメントやら計量書誌学的な観点のコメントやらがけっこう来ました。実際のやり取りはオープンにしてますので興味あればどうぞ(査読コメント:公開許可取得済;私のリプライ:正直きつかったっす)。個人的に今回のテーマについての査読としては十分に満足できるレベルでした。他の専門領域・分野の査読がどの程度のクオリティかはまだ分かりません。いつか試します。

んでこれらの投稿前査読の内容をプレプリントと共に10月から超ひっそりと公開していたんですが,いやー佐々木さんのアドカレ記事のラストにもありましたけど,何であれ論文の形で公開しておくもんだなと思いました。ある日,某ジャーナルのチーフエディターから「プレプリ見たよ〜これウチで出さんかね?」というお誘いをもらったのです(ちなみに今回はクリチェンではありませんw)。ただこの時点ですでにPublicationsに投稿していたため,泣く泣くそのことを説明しお断りいたしました。そしたらいくつかジャーナルのリアル運営的観点からのコメントをいただいたので,それも許可を得て私的査読としてリプライとともに公開しました(これです)。ここでの対応はジャーナルからの査読後のリバイズ時に反映もさせています。

次に「6.オープン査読」と「7.査読者追加」

投稿前のプレプリントの時点から,オープン査読を選択することと,査読者が1名以下だった場合には追加を要求することを原稿に書いて宣言していました(これはプレプリ式の「3.プレレジ」でもある)。結果的に2名の査読者がついたので(当初はゼロすら予想してたので)おやおや普通やんと思いつつ,内心「チッ」とも思いつつ,査読者の追加要求はしませんでした。というか査読がメッッチャきつかったです。査読者ガチすぎ。まあジャーナルがジャーナルだけに,本当の専門家達が犇めいてたんですかね。コメントには私の知らなかった論文などの情報がワッショイワッショイと踊り狂っていて,勉強し直した点がけっこうありました。普通に良い査読でしたよ。しかもリバイズ猶予がたったの10日!(第2ラウンドは5日!)他の論文関係のアクションなどが何重にもカブりまくっていて,暗い研究室で両手上げて回る余裕すらありませんでした。この時期はマジで精神を痛めた。研究室のみなさん,その節はご迷惑をおかけしました。

で,最終結果はまだ出ておりません。このアドカレにギリギリ間に合うかと思ってたんですが,minor revisionを返したら普通に第3ラウンド入りました(@益@ .:;)ノシ おかげでズルズルと公開日を延ばし続けることになり(12/7→12/17→12/25),今日にいたったわけです。聞いてた話と違うよ。プレデタリに投稿したら1ヶ月後に無言でアクセプト通知と請求書だけが届くんじゃなかったのか。ここは最終結果が出たら加筆するとします。
(2021年1月24日追記) 結果的にアクセプトされ,出版されました!
Yamada, Y. (2021). How to protect the credibility of articles published in predatory journals. Publications, 9(1), 4.
うーん,振り返ってみると,本当に普通の査読でした。最後まで査読者とは意見の合わない点があり,お互いに譲れない感じになったので脚注に査読コメントを引用したりもしています。ただ最後の査読コメントに対処するチャンスが無かったため,それにはプレプリント(もうポストプリントか)やOSFの方で出版後査読の一環として既に対応しております。あと,早期投稿や一定のクオリティが条件だったのですが今回は出版が無料でした。今回の実験的な投稿では研究費を無駄にしたくなかったのでこれには安堵しました。私の中ではアドカレがここでやっと一段落ついたのでそれも爽快です。

「10.業績欄」については,査読者から「お前の言ってることは極端だ」ガラれたりもしたので,プレデタリの痕跡を残すべきか消すべきかについては要継続審議と考えます。ただ私の個人的実践としては,もしも首尾よくアクセプトされた場合,今回のはマジで普通にキツめの査読があったので,この論文は査読ありに入れようと思います。査読の様子は公開してますのでさすがにこれは自信持って言えます。「たとえ査読があろうが最終的にこの程度のレベルの論文なのに掲載されるってことがプレデタリなんだよ!」と言われた場合は,精進しますとしか言えません。精神は痛みますけどね。ポストプリント(まだプレプリですが)は置いてますのでコメントで改善点がありそうでしたら修正も行います。逆にもし気に入っていただけたならPlauditでのendorseをぜひに切に積極的に(9.オープン推薦)。

で,MDPIどうなの?

今回はたった1誌を1回しかも特集号への投稿を体験しただけなので出版社レベルの判断は難しいのですが,少なくともPublicationsは,数少ないオープン査読に対応したジャーナルで,普通に2名できっちり3ラウンド(+α?)のガチ査読やってるのは確認できました。それとストレステスト的に,初回査読の返事後にけっこう異常な早さで事務局とエディターにリマインドしてみました。修正稿の投稿後一週間くらいで「いまどう?」,さらにそっから2,3日おきに「はよ結果クレメンス」「結果マダックス」等。そしたら2週間後くらいにきっちりと第2ラウンド突入の査読結果が来ました(しかもめっちゃ丁寧にびっちり)。普通のプレデタリなら顧客がせっついて来たら査読なんかすっ飛ばして即アクセ出すだろうと思いますが,ここはそうしませんでした。またこのジャーナルはWeb of ScienceScopusにも収録されており,プレデタリジャーナルをフィルタしたオープンアクセスジャーナル集であるDOAJにも登録されているところまで合わせて考慮すると,さすがに感情論以外でここをプレデタリジャーナルと呼ぶことは不可能かと思いました。それと実はMDPIとは私の所属機関も普通に掲載料割引契約を結んでいますので,九大もここをOKパブリッシャーと認めてるってことなんでしょう(例の不名誉なランキング1位を払拭したいのにプレデタリと掲載料の契約は結ばんはず)。一点だけ気になるとすれば,今回は特集号だったのでゲストエディターがたまたまそれなりの人だっただけかもしれず,一般投稿でどうなるかがまだ分かりません。そもそもエディターが機能してるのかどうかすらよく分からない(つまりF1000法)。ここは今後のテストが必要。(2021年1月24日追記) あと今回アクセプト(と無料化)されたからヨイショしてるわけじゃあなく,リジェクトされてたとしても同じ感想だったと思います(先述の通り,この論文はジャーナルに出す必要もなかったのでポジショントークになりえない)。むしろリジェクトされてたらこのジャーナルの信用度がさらに増してたかもしれない。それに無料なので血税を無駄に遣うような捕食性が今回は皆無でした。まあMDPIはトップ研究者を無料出版のルアーで釣ろうとして問題になったこともあるので今回もそれだろと思われるかもしれないけど,私全然トップじゃないよね。

糸吉 言侖

結局,ここで言っているのは「オープンサイエンス大事だね」ってことです。プレデタリジャーナルに投稿しようがしまいが関係ありません。ここで挙げた様々な方略が誰にでも常に実施されるようになれば,むしろプレデタリジャーナルというものが存在できなくなっていくと思います。例えばオープン査読が当たり前になれば,査読を公開しない時点で誰も論文を信用しなくなり,査読を偽装して運営していくことが困難になります。PCIなどのコミュニティ査読が普及すれば,ジャーナル自体が形骸化するかもしれません。これとかまさに長い時間かけてオープンで議論しまくって,結局BBSにアクセプトされましたがそれ以前に既にプレプリではありえないほどのダウンロード数とplauditのendorse数を記録しており,もはや雑誌とか関係ねえ状態。まあYarkoniさんはめっちゃ前から十分に目立ってましたけども。と,こんな感じで少しずつですが明らかに学術出版は次のステージへ移りつつあります。

それと同時に研究者評価のシステムを変えていかないといけません。最低でもまずは評価する側の立場の人達全てが「香港原則」を承知して欲しいところです。DORAなんかにも署名して欲しいです。F1000のトップの人が『オープンサイエンスについて話すと、「頼むから研究だけさせてくれ」と言われ』たらしいですが,こちらから言いたいのは,頼むから研究に専念できるようにオープンサイエンスをみんなで実践してくれということです。論文の発表時点ただ一瞬のみに全ての価値を置く考えを捨て,事前登録から出版後の更新まで研究営為のプロセス全体を評価する方向へ価値観をアップグレードし,科学的知識を蓄積するしくみを再現可能どの速度帯を選んでも安全なものへと転換すべきだと思います。ただまあ,個人としてはできる範囲で気楽にやりゃあええんじゃ


そういえばこれがアドカレ最終日でしたね。みなさんメリなクリを。
ご清聴ありがとうございました!


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