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定点観察さくら編ー桃源郷

人込みを避けて名所らしいところには行っていないが、家から歩いて行けるいつもの散歩コースや車を少し走らせて住宅街の公園の桜や木々をのんびり眺めた。前回は街の中心部の公園の桜を堪能したが、我が家近辺の桜も追いかけるように咲いていた。

【いつもの窪地の溜池】

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車道に沿って幅が広い歩道があり、ちょっとした桜並木になっている。まだ木々の芽吹きには早いので下の窪地の沼が桜の間から透けて見下ろす格好になっている。緑が茂る前の、今だけの景色が楽しめる。車道の街路樹はトウカエデでそちらもボチボチ淡い緑の若葉が出始め、明るい景色になっていた。

【桃源郷のような。。。】

窪地への道を下りて行くにつれて、少し前まで冬枯れの景色だったのが同じ場所とは思えない。歩いているうちに、すぐ上の道では車がどんどん走っていることも忘れていた。姿は全く見えないが、鶯や小鳥のさえずりがにぎやかだ。だいぶ上手に鳴けるようになってきた。             淡いピンクの桜、桃の花の様な濃いピンクの枝垂れサクラ、絲桜、山桜に真っ白なコブシや馬酔木、そして柳の黄緑色が美しいグラデーションとなり、沼の水辺も相まって、街中の景色とは趣を異にしていた。

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少し大げさではあるが、「あぁ、桃源郷!」とつぶやいてしまった。   陶淵明の『桃花源記』は高校の教科書にも出ているためか、この季節になると良く聞く言葉である。

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↑は小雨の沼での友人撮影の2枚。まるで桃源郷。

【お立ち台の白鳥のシロ】

としろちゃんバン

羽を痛めて留鳥になっているいつもの白鳥が思いがけず釣り人の特等席を占領してじっと水辺を見つめていた。水の中以外で脚を見せて立っている姿は初めて見た。シロも桃源郷を楽しんでいるのだろうか。         そろそろ水に戻ろうと、飛び込み前の緊張の一瞬のようだ。  良く見るとシロ(この辺りの散歩人によっては、呼び名はいろいろある)の後ろに黒いオオバンらしき鳥が控えている。沼ではやんちゃに水音を立てているシロの仲間だ。「ほら、頑張って」、と後ろから声をかけているようだ。その瞬間、小さく羽ばたいて飛び込んだ。電線に引っかかり羽が切れているらしい。着水するともうこっちのもの、スイスイと泳ぎ始まった。

準備白ちゃん、飛び込み

。泳ぎ白ちゃん

桃源郷とは】                           幼い頃、祖父から、中国の漁師が舟で川を上ってしばらく行くと一面に桃の花が咲いていてそれはそれは綺麗なところだった。トンネルの様なところを抜けると、まるで別天地のような集落があって、現実の事の様ではない不思議な世界に出た。そこが桃源郷と言うのだ、と聞かされていた。詳しくは覚えていないが、「トウゲンキョウ」と言う響きだけは子供心に印象に残った。その話は陶淵明(4cから5cの六朝時代の詩人)の『桃花源記」の事で、桃源郷の語源になっている散文である。                        今更ながらもっとしっかり漢文の授業に取り組むべきだったと後悔している。『桃花源記』の現代語訳は以下の通り。                     

晋の太元年間に、武陵出身の人が魚を捕らえることを職業としていた。舟で谷川に沿って行くうちに、どれくらいの道のりを来たのか分からなくなってしまった。 突然桃の花が咲いている林に行きあたった。桃の林は川を挟んで両岸に数百歩の距離にわたって続き、その中に桃以外の木はなかった。香りのよい草は鮮やかで美しく、花びらが散り乱れていた。
漁師はたいそうこのことを不思議に思い、さらに先へ進んで、その桃の林を行けるところまで見極めようとした。
林は川の水源の所で終わり、すぐそこに一つの山があった。山には小さな穴があり、かすかに光が差しているようである。                           すぐに船を置いて、穴から入った。初めはとても狭く、かろうじて人一人が通ることができるだけであった。
さらに数十歩行くと、急に目の前が開けて明るくなった。土地は平らに開けて、建物はきちんと並んでいる。
良い田畑・美しい池・桑や竹のたぐいがある。田畑のあぜ道が縦横に通じ、鶏や犬の鳴き声があちこちから聞こえる。
その中を行き来したりて種をまき耕作したりしている。男女の服装は、全て外部の人と同じようである。
髪の毛が黄色くなった老人やおさげ髪の子どもが、みな喜び楽しんでいる。
村人たちは漁師を見て、大いに驚き、どこから来たのかを尋ねた。漁師は詳しく質問に答えた。
村人はすぐに誘って家に帰り、酒を用意し、鶏を殺して食事を作った。
村中の人達は、この人がいることを聞いて、皆やって来てあいさつをした。
村人たちが自分から言うことには、「先祖は、秦の始皇帝が死んだ後の世の乱れを避け、妻子や村人を引き連れて、この世間から隔絶した場所にやって来て、二度とは出ませんでした。こうして外界の人とは隔たってしまったのです。」と。
(さらに村人は)「今はいったい何という時代ですか。」と尋ねた。なんとまあ、村人たちは漢の時代があったことを知らず、まして魏や晋の時代を知らないのは言うまでもない。
漁師は、一つ一つ村人のために自分の聞き知っていることを詳しく説明した。それを聞いた村人たちは皆驚きため息をついた。
他の村人たちも、それぞれにまた漁師を招いて自分の家に連れて行き、皆酒や食事を出してもてなした。
漁師は数日滞在した後、別れを告げた。この村の中の人は告げて言うことには、「外界の人に対してこの村の事お話しになるには及びませんよ。(なので、黙っていてください。)」と。
やがてそこを出て、自分の舟を見つけ、すぐにもと来たときの道をたどって、あちこちに目印をつけておいた。

郡の役所のある所に着くと、太守(=郡の長官)のもとに参上して、(村についての)このような話をした。
太守はすぐに人を派遣して、漁師について行かせた。以前つけた目印を探させたが、結局迷って二度とは道は見つけられなかった。
南陽の劉士驥は、俗世を離れた志の高い人であった。(劉士驥は)この話を聞いて、喜んでその村に行こうと計画した。
しかしまだ実行できないうちに、やがて病気になって死んでしまった。その後、とうとう(漁師が桃源郷に入る前に船を泊めた)渡し場を尋ねる人はいなかった。

現代語訳では良さが感じられないが、美しい幻想的な構成で景色の色が目に浮かびそうだ。決して二度とはだれも桃源郷の村を見つけられなかった、と言う点がポイントなのだろう。

さて、また道を上って車道に出たら、私の車が停めてあったのを見つけた。おばさんは満足してそのまま家に戻ったのだった。今だけの桃源郷、二度と同じ景色はない。おしまい。

今日も長文にお付き合いくださりありがとうございました。

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