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【日記】足るを知る~幸せとは何か

昨日、一昨日は久しぶりの2連休だった。7月上旬に友達と京都旅行に行った以来だから、約3か月ぶり。はちゃめちゃな3か月だったと改めて思う。


この生活、いつまでするの?

今回の2連休は、9月中旬にちょっと心身が疲れてきた?と思ったことがきっかけ。夏も終わるし、秋の山に登りたいな~立山に行ってリフレッシュしよう!となんとなく予定を立ててはいた。

先週までは秋山を楽しむ気満々ではいたのに、2連休が近づくにつれて何もしたくない、考えたくない、でもなんか寂しい…みたいな気持ちになってしまった。

結果、この2連休は「嘘だろ!」というくらいにダラダラと過ごした。寝て、久しぶりにテレビをつけて、寝落ちして、ジブリをみて…。昨日は1歩も外に出ないで過ごした。(雨が降っていたからかもしれない)

もやもやした気持ちを抱えながら、「ただゆっくりしていたい」という身体の声に正直に従った2連休となった。

そして今日。リフレッシュして朝早く起きれるのかと思いきや結局昼まで寝ていた。今日は一応仕事の日だけれど、しなければいけない仕事がない。したい仕事も、ない。

仕事の日ではあるのに、結局同じような一日の始まり方。でも気持ちは「起きなきゃいけないのに」「仕事の日なんだから」と気持ちに負荷はかかっている。だから一応休みの日ではない、としている。周りからすれば休みの日に見えるけれど。

「この生活、いつまでするの?」

また、辞めたくなっている自分がいる。なんでここにいるんだっけ?なんで土日も働いているんだっけ?と足元が見えなくなっている。何かが違う気がするけれど、まだその正体が分からない。

「幸せになりたいだけ。」

幸せを求めて、いやなことはやめて、やりたいことを、なりたい生活を。そう思い描いて転職をしたけれど焦ってしまったみたいだ。ここがゴールではないというのは、分かる。

それでも一つ成功したことはあった。それは前の仕事を辞める決意ができたこと。ずっと続けていてはそれこそ、幸せが何か?なんて考える時間も余裕もなかったから。

「変わりたい。」「幸せになりたい。」

そう思って行動できたことは、大きな自信になった。だから失敗ではない!

大事なのはここからなのかもしれない。一体どんな状態が「幸せ」だというのだろう?自分自身をはちゃめちゃに感じるその理由は、「幸せ」の軸がブレているからでは?


コーヒー屋さんになることはわたしの幸せではなかった

やっとコーヒー屋さんの店員になれた。やっとこそつかんだ自由。それなのに、いざやってみたら「違うかも?」と思っている自分がいる。この仕事に「意味がない」はずなんてないのに、「意味のある事をしている」という充足感が得られない。

ショックだった。そうとは認めたくない自分もいた。でも実をいうと、その違和感には思い当たる節がある。わたしはコーヒーを淹れるのが好きではなかったし、お客さんを美味しいもので笑顔にしたくて始めたわけでもなかったから。

カフェという空間が作り出す居心地のよい空気感、安心感、程よい距離感。その空間が好きだから、作り出す人になりたいと思っていた。お客さんとしてではなく、提供する側になりたいと。

でも土日だけのシフトだと、とにかく忙しい。求められるのは速さだし、グループでお喋りを楽しむお客さんがほとんど。飲食業のやりがいは、そこで交わされる「おいしかったです」という言葉やお客さんの笑顔を見ることだとよく聞くけれど、正直、全然やりがいを感じていない自分がいる。

シフトを増やしてみたらどうか?積極的に平日に常連さんとのコミュニケーションを増やしてみようか?と思ったけれど。それをイメージしても、なぜかわくわくしない自分がいる…。

「誰かの一日に寄り添う一杯を届けたい」「そこに行くとほっと一息つく居場所を作りたい」そういう各々のコーヒー屋さんが掲げている信念は素敵だと思う。でも、自分が同じ信念でできるかといったら、「違う」ことがわかった。ルーティンの生活も少し苦手だ。

もしかしたら私のしたいことは「カフェ」ではなくて「人の心を動かすこと」なのかもしれない。例えば、こんな思いで作られた野菜なんです、と私が伝えていく。知っても知らなくても美味しいし楽しい空間なんだけれど、その価値を運ぶことで感動とか興味とか、わくわくするものを届けたいんだと思う。

だから、コーヒーじゃなくても野菜でも果物でも、なんなら絵でも。「作品」をただ届けるのではなくて、作り手が生み出した作品に彩を加えて繋げること。そして繋げたその先の心を動かしたときに、私は大きな充足感、満足感、幸福感に溢れる。思いが思いをつないでいく感じが最高にドラマチックに感じるからだ。

その価値を面白いと感じる人に届けていきたいし、関わっていきたい。「場所」ではなく「人」に焦点を置きたいのかもしれない。

やる前から分かれば良かったんだけど…やったから分かったってのもあるよね、きっと。もしかしたら「今は」ちがうってだけかもしれないし。


足るを知るという生活

30代を目前にして関東へ移住した1年前。あらゆることに翻弄された1年だった…。街を歩くと、お洒落で美人な女性か幸せそうなカップルで溢れているし。(それしか見えない状態)SNSを開くと、おすすめコーデで溢れていて結局どれが可愛いのか自分でもよく分からなくなっているし。情報が多すぎて、自分がどんどんなくなっていくようで、消費されてるな~と感じていた日々。

お金もどんどんなくなる。なくなるから働く。それなのに結局残るのは「孤独感」「疲労感」前職と同じじゃん!!

仕事を変えたり住む場所を変えたりしても、「自分にとっての幸せ」が分からなければ、同じことの繰り返しだ。自分が満足するのはどんな生活なのか、そしてそれは自分にできることなのか。

あれもこれもではなくて、「足るを知る」ことが今の私にとっていちばん、大事なことだ。

毎日を丁寧に暮らすこと
消費するために過ごすのではなくて
季節を感じること
天気を感じること
生き物の声を感じること
ひとつひとつに耳を傾けて過ごすことに幸せを感じられるようになりたい。

多分、さみしいから忙しくしてしまう。自分の楽しいと思うことや人と時間を過ごすようにしよう。そして自分にとって「足る」とは何か…を見つめること。

ひとまず、平日も外食しまくりの生活には疲れたので、一週間自炊3000円生活から。あと、インスタを見るのは昼までに一回!夜は見ない!を。

そういえば、マツコ・デラックスは「他者を介在させないで感じる幸せが本当の幸せだって私、思うの」って言ってたなぁ。


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