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私とお酒と男の人と社会性


私の父はお酒が入らないと話をしなかった。
せめて大切な話の時は、お酒を飲むことを辞めて欲しいと言っても、いつの間にかハイボールを作り始めて、くさい汁などをつまみに作って、私の進路にケチをつけ始めて怒鳴っていた。あまりにも酷い暴言だったので、私が中学生のころまで、母は極偶に泣いていたり、そういえば家出した事もあった。あんなに強い母が泣いていたなんて、今思うと信じ難い。

私はガキなので20歳くらいまで普通に真に受けて怒ったり泣いたりしていた。
何度も何度も話し合おうとしたけど、高校三年生の時、この人はもう、そうやってしか家族と話せないんだとなんとなく気付いた。酔って言った事は忘れてしまうので、どんなにひどいことを言われてもそれを真に受けたら負けなのだ。それはひとつの学びとなるはずだった。


19歳~20歳の1年半くらい、「エスケイさんは飲んでいる時の方が面白いやん」といわれてから、いつしかお酒を飲みながらじゃないと話せなくなっていた。真面目な話どころじゃない。それまで楽しく話していた友達とも、話せなくなった。父親のことを悪くいう資格はなくなってしまった。

元々、社会性が皆無な私はお酒を飲むと自分が生活する上できちんとしなくてはいけない意識を直ぐに手放してしまった。常に若干のストレスがあるので、早く手放したいという気持ちに負けてしまう。暴言を吐いて、人に迷惑をかけて忘れてしまうという付き合い方をバイト先や働いた先で行った。もう父親に文句は言えない。

大学の課題でこんなん作っていたのか…


悲しかったこと

今年、年明けに酔って夜の1時に私に電話をかけてきて、「お前はイタイ」「しゃかいでいきていけない」という様なことを言ってきたおじさんが居た。
男の人、おじさん、お酒、自分は痛いヤツ、社会で上手く出来なかったヤツ、全てが刺さった。彼は言われて傷付く言葉を知っていた。恐らく、彼もその言葉で過去に傷ついたんじゃないかと簡単に想像出来た。私は機械的に笑って、また飲みましょう〜!とスマホに向かって言って、通話を切った。

その後、2時間くらいその言葉達を反芻し、ふと、布団を出た。午前4時だった。ベランダで、転職のために新しく買ったベルトで首を括って、身体をマンションの9階から投げ出してみた。ベランダで首を吊れば、首吊りで怯んで失敗しても、落下死することが出来ると思った。真冬なのに、不思議と寒さが気にならなかった気がする。

呼吸が今まででいちばん苦しくなって、ベルトがミシミシと音を立ててた。

気がついたら、いのちの電話の優しい声色の男性と話していた。今度は首を吊る前に、お話を聞かせてくださいね。と優しかったが、私は見栄を張って嘘をついてもう元気ですとかなんとか言った。こんな時でも正直に話せない、めんどくさい人間だと思った。

じゃがいもをチンすると苦しそうな声が聞こえる


今はお酒は一人で飲んでも何故か酔えなくて、美味しくなくて、人と一緒にしか飲まなくなった。
付き合っていない男の人と二人で飲みに行くのは、その人に好意があると暗に言うものらしい。そうなんだ。知らなかった。窮屈で、難しい。私が思ってるだけかな。
でも、そのふたりが良ければ、それで良くないですか?どっちかに下心があれば、現場で確認して、あ、こっちはその気持ちじゃなかったごめんって言って友達と同じように飲めばいいじゃないか。

だから社会性がないって言われるのか。
社会で生きているのに、社会性が無いのは困る…。

外国でも私は社会性がないのか、知りたくてカナダ人男性と飲んだけど、その人もいきなりナンパしてきたりして社会性が無かったので(私に無かったのか…?)

だから、ワーキングホリデーしようかと計画を立てている。逃げだけども、いいじゃん。英語を話したり読んだりすることは少し好きだから。どの国に行っても変なやつだったら、諦めて大人しく社会性を身につける勉強をしようと思った。

社会人になろうとしている人たち


私がこんなに社会性という言葉を気にし始めた出来事がある。
きちんとしないといけない場面できちんと仕事が出来ず、(ただ、行くだけで辛くなってしまったり、泣いて仕事にならなかったり、全然、全然、出来なかった。今はそれは発達障害の薬で改善されたが、発達障害とは、生まれつきだなんて。理不尽だと思った)

エスケイさんは、頑張ってるんだろうけど、なんて言うか、、ずれてる。大事なところが、ずれている。
と、上司は苦しそうに言った。

私は頑張っていたと、胸を張って言える。ただ、頑張っても、ずれていたのだ。しかも悲しいことに、どこがどのようにズレているのか、分からなかった。結果に繋がらなければ、ましてや頑張った結果から回って迷惑をかけてしまえば、お給料分の働きが出来ていないので、雇う側はマイナスでしかないのだった。
自分が頑張ってマイナスを生むということが、人によってはっきり言及されてしまった、そしてそれを言わせてしまったということが、私にとってはシンプルにとても辛く、情けないことだった。(もちろん、雇う側も辛いだろうし
、ビジネスは私のせいでマイナスになってしまうので、完全に私が悪い。)

子どもの頃、「頑張り屋さん」と言われることが多かった。当時は褒め言葉だと思っていたし、言ってる方に悪気もおそらくない。なんなら言っている方は何も考えていない事がほとんどということは、頭では分かっているけど。
頑張り屋さん。
上手、面白い、すごい、ではなく、頑張り屋さん。頑張ってるのは凄くわかるんだけど…。というどうしようもなさ。今100%です!もしかして、頑張る方向が違いましたか!?120%出しちゃいますか?あれ、もしかしてみんな、40%でこのタスク出来ちゃってませんか?あれ?あれ?
頑張り屋さんなんて言われたくないのに。


おまけ?

弱メンタルの時に「元気?」、「最近どうですか?」って聞かれた時、「元気ですよー!」って笑顔で答えると、涙がこみ上げる時があるし多分笑えてないんだけど、誰も悪くないし、しょうがない。以前は馬鹿正直に「元気無いです…笑」って答えてその場で涙ポロってしていてその場の空気を乱していたから、今は良くなったのかも。

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