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スピンオフ:プロローグ2

「ねえ満月、手ぇちょうだい」
千聖が小さい体をギュッと縮め、苦しそうに息をしている。
満月が右手を差し出すと、それを両手に持って胸に抱えた。
「大丈夫か?頑張れるか?看護師呼ぶか?」
大丈夫じゃない時は、千聖はちゃんと頑張れないと首を横に振る。その時は枕元のボタンを押さなければならない。すると大人がいっぱいやって来て千聖を囲み、時々は別の部屋に連れてゆく。仕方ないとわかっているのだが、大事な千聖のことなのに自分だけ仲間外れにされているようで辛くなる。
今回は、うんと首を縦に振った。頑張れるみたいだ。

 幼稚園で発表会があるから歌を練習してるんだと言うと、その歌を歌って欲しいと言われた。千聖は満月が歌うのを聴くのが好きなようで、いつも上手だねカッコ良いねと褒めてくれ、何回も聞きたがる。
 この発表会の歌はもう何十回も歌っていて、千聖も一緒に歌えるようになった。いつもは息が切れて一回休むところを今日は全部一気に歌ったのだが、歌い終わった後どんどん苦しそうになり、ついに発作が起こってしまった。
 満月は半分泣きながら、残っている手で千聖のふわふわの髪を撫でる。
「ごめんな、ごめんな千聖。俺…っ、こんなになるなんてわからなくて…」
千聖は額に汗が滲んだ苦しそうな顔の下で少し笑顔を作り、ちょっとだけ首を横に振った。胸のところで持っている満月の手を顔の前に移動させ、その手にキスをするように持つ。
やがて発作が収まったのだろうか、顔の前から手を外し、満月に笑いかけた。
「ほら、治った。もう元気。泣かないで満月」
と涙を親指で拭いてくれる。
「ねえ、満月」
そのまま満月の目を見ながら、千聖は言った。
「僕ね、病気を治そうと思うんだ」
残りの涙をゴシゴシと袖で拭き取りながら満月は聞き直した。
「病気が治るのか?」
「うん。胸を切ってね、心臓の悪いところを治すの」
と、首の下から胸の下くらいまで指でなぞる。
「そうしたら来年から一緒に小学校に行けて満月も淋しくないし」
「そんなに大きく切って大丈夫なのかよ」
「大丈夫。…多分」
最後に付け足された言葉に、満月は思わず怒鳴るように言った。
「そんなことしなくてもいいよ!俺別に毎日ここに来てて淋しくないんだから!」
多分って何なんだよ。絶対って言えよ。死ぬかもしれないことなんてしなくていい。千聖がいればそれだけでいいんだから。
けれどそんな大声には1ミリも動揺せず、千聖は言った。
「僕は満月と一緒に学校に行きたいし、いろんなことを一緒にしたい。待ってたって治らなかったから、治すことにする」
 真っ直ぐな強い目だった。
千聖はこうと決めたら動かない。これはもう、何を言っても無駄なのだと満月にはわかった。

 手術の間、満月は千聖が毎日待っているベンチで右手をずっと見つめていた。今日この右手を、千聖はいつもするようにキュッと両手で握って胸に持って行き、しばらくそのままでいた。その手は普段より冷たくて握る力も少し強く、千聖が緊張していることと怖いと思っていることが良く分かったのだ。
 目の前に、例の子どもの地縛霊がずっといる。何もしないように見張っているつもりだったが、側に何かがいることが、それが幽霊であってもありがたい気がした。
 建物の影から足音が聞こえる。
子どもの幽霊が消えたので、誰が来たかわかった満月は足音の方を向いた。
 こちらに向かってくるのは千聖の母親だ。
 千聖は褐色肌かなとわかるくらいの肌色だが母親はがっつり褐色で、モデルのようなスタイルを体の線が出るレザーパンツとTシャツ、ロングコートで包んでいると、僧侶だから丸めているだけの頭がファッションの一部のように見える。
「ここにいたのか」
母親のサンドラは亡くなった夫からうつったという男言葉で話しかけると、火をつけず咥えていた電子タバコを口から外した。
ベンチの横に足を組みながら座ると、顎で植木の間を示して言う。
「幽霊か?」
サンドラ自体は霊感が全くなく、霊が見えない。だが生命力が強いのか、いるだけで悪いものを一掃し恫喝で祓ってしまう。話し合うようにして成仏させる千聖とは正反対だ。
「手術室のとこにいなくていいのかよ」
満月の言葉に、片足を抱えてベンチに寄りかかりながら答える。
「あの場所にずっと1人は…さすがに辛いな」
「長いもんな…」
しばらく続いた沈黙の後、サンドラは呟いた。
「…悪かったなぁ。元気に産んでやれなくて。私が外国人だったからかとか、あの時転んだからだろうかとかさ、まあ色々考えるんだよ」
満月の方を見ると、口の端で笑った。
「私が見舞いに来れない分、満月が来てくれてて本当に助かってる。サンキュ」
ポンポンと頭を撫でるとサンドラは立ち上がり、ああそうだ、と振り返った。
「頑張れるから泣かないでって千聖が言ってたぞ」

 けれど結果的に、満月は手術が終わった時泣き、成功したと分かった時泣き、千聖が目覚めた時は大泣きをしてしまった。ビショビショになりながらハグをしたその背中を千聖が撫でてくれている間に、安心した満月は千聖のベッドを半分以上占領しながら一緒に寝てしまったのだった。


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スピンオフ:プロローグ3〜幼満月幼千聖

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