見出し画像

東京名物百人一首(1) 序文/三越/白木屋/東京電車銕道株式会社

東京の有名どころ(商店・料理屋・名産品・有名人など)の商標や印刷物に、百人一首の替え歌を添えた作品です。明治四十年(1907年)出版。

序文

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

京極黄門 藤原定家卿、小倉の山荘に在て、百人一首を撰み給ひしより後見に擬するの歌集、世に出しもの其数殆ど枚挙に遑なきほどあるならむ。就中、近藤助五郎清春がものせし道化百人一首の如きは、よく其当時の情態を写出し、弐壱百年のむかしを追想せむるの感あり。

㕝に於て、予思ふに現時、東京に在りて最も繁栄なる商家、喰物店、名家に及び人物尊を挙げ、百人一首に擬し、紙中に商摽、或ひは其家に関せし印刷物 貼付し置かば、後世に至り必ず清春の道化る人一首を今見るの思ひあらしむるならんと。● 寝の余暇にこれを著し、名付て東京名物百人一首となれり。

明治四十年八月 清水晴風しるす

※ 「京極黄門 藤原定家卿」は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家・歌人、藤原ふじわらの定家さだいえ。『小倉百人一首』の撰者。京極殿、京極中納言と呼ばれました。
※ 「黄門」は、中納言のこと。
※ 「近藤助五郎清春がものせし道化百人一首の如き」は、江戸時代中期の浮世絵師、近藤こんどう清春きよはる(通称 助五郎)が書いた狂歌集『江戸名所百人一首』のこと。国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。『江戸名所百人一首』📖
※ 「清水晴風」は、明治時代から大正時代にかけての玩具研究家、清水しみず晴風せいふう


三越

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

天智天皇
商人あきひとの 泰斗の家は ともあらみ
     ころもでも 三越にて買ふ

【元歌】
  秋の田の 仮庵かりほいほの とまをあらみ
    わが衣手ころもでは 露にぬれつつ

※ 「泰斗」は、泰山たいざん北斗ほくとの略。ある分野で最も高く評価され、尊敬される人のたとえ。

時好
第四巻第四號

※ 「時好」は、明治36年(1903年)から発行された三越のカタログ誌『時好』のこと。


白木屋

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

持統天皇
すぎぎて 夏の陳列かざりは 白木屋の
      ころもほしてふ 数多あまた 人山きやくやま

【元歌】
  春過ぎて 夏きたるらし 白妙しろたへ
    衣ほしてふ 天の香具山

白木屋  呉服店 洋服店
東京日本橋通壹丁目 電話本局八一八二八三(特)四七五
SHIROKIYA TOKYO
SILK & WOOLEN SOTRE


東京電車銕道株式會社

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

柿本人麿
あし曳の 山の手かけて 電車道
    なが/\引も ひとり独占

【元歌】
  あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
     ながながし夜を ひとりかも寝む

東京電東銕道株式會社
回數来車幣 三十囘
通行税とも  金九十五銭
使用期限 明治丗八年 ● 月末まで

※ 「東京電車」の「車」は「東」という字に見えますが、「車」のことと思われます。



筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖