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【古今名婦伝】加賀の千代

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『加賀の千代(古今名婦伝)

加賀かが千代ちよ

千代ちよは、加賀国かゞのくに松任まつとうなる 福増屋ふくますや六兵衛ろくべゑといへる旅店はたごやの女なり。いとけなきときより風雅ふうがこゝろざしふかく、行脚あんぎや俳人はいじんいへ止宿ししゆくさせて 俳諧はいくわい をたのしむ。廿三才のとききやうにのぼり、勢州せいしうにいたり、麦林舎ばくりんしや乙由をついうもん人となり、廿七才のとき ふたたび    上京じやうきやう  す。そのゝち 雉髪ちはつして、千代尼ちよにまた素園そゑんといふ。

※ 「いとけなき」は、いとけなき。
※ 「勢州せいしう」は、伊勢国のこと。
※ 「麦林舎ばくりんしや乙由をついう」は、中川なかがわ乙由おつゆう。江戸中期の俳人。伊勢の人。麦林舎は別号。
※ 「雉髪ちはつ」は、ここでは剃髪のこと。

加賀千代女かがのちよじょ 江戸時代中期の俳人
元禄十六年(1703年)-  安永四年(1775年)

容皃ようぼうにして つね閑静かんせいこのむ。北越ほくゑつ呉俊明ごしゆんめいまなびて 草画そうくわをよくす。ひろ俳士はいしちなみて、その 海内かいだいかうばし。干時ときに 安永あんゑい四年九月八日じやくす。年七十四、金沢かなざは専光寺せんくわうじそうす。松任まつとうえき 聖興寺しやうこうじあり。

辞世じせい
  月も見て 我は渡世を かしくかな

※ 「呉俊明ごしゆんめい」は、呉浚明ごしゅんめい。江戸時代中期の画家。越後の人。
※ 「海内かいだい」は、四海の内という意から国内、天下のこと。
※ 「かうばし」は、ここでは評判がよい、名声がすぐれているという意味。

俳句を思案する千代女の手に、扇と筆が見えます。

文机に置かれた扇に書きつけられているのは
千代女の代表的な句

百なりや蔓ひとすじの心よりひゃくなりや つるひとすじの こころより

越前 永平寺の長老に一念三千の意を句に作るべしと求められて詠んだものです。(百なりの 瓢簞ひょうたん も一本の蔓から成るように、人の言葉やふるまいも一つの心から出ているという意)

安永四年九月八日寂す
月も見て 我は渡世を かしくかな

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※ 参考:国立国会図書館デジタルコレクション『ほまれ 花の巻(加賀の千代女)』『近世畸人伝 : 選評(加賀千代女)』『肖像集7(加賀千代)』『小倉擬百人一首(加賀千代)』Wikipedia「加賀千代女

筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖