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夏に出会ったあたしのおばけ。


こんばんは。のまるです。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。
もうすっかり寒くなって、雪が積もっている地域もだんだん増えてきているのではないでしょうか。

私は最近、この好きな冬が得意じゃないことに気づき、それでも世界は冬なので、必死こいて生きている最中です。


今日は、私のある夏のお話をしたいと思います。

今現在は進行形で冬ですが、冬に関するお話がないので、夏のお話で、どうにか潜り抜けようかなと。企みました。笑

大丈夫です。怖い話じゃないですよ。
題名も、ホラー要素ゼロなんです。おばけって書いておきながら。



私はもう今は大学生ですが、ちゃんと高校生でした。

私立校に通っていて、更には当時の校長先生が勉強面にとても力を注ぐ方だったので、今思えば恐ろしいほどの頻度で外部模試を受けていました。

だから、模試の結果を返されても、それがいつやったどんな問題の出た模試なのかわからない、なんてザラ。いい思い出です。
結果良くなかったし。笑

あとは部活。
今回のおばけの話は、この部活から引っ張ってきてます。

元々演劇部にいた話はしているので割愛しますが、私は高校二年生の梅雨あたりから高校三年生の夏まで、直射日光の真下で部活をやっていました。

思い入れしかないですし、正直しんどくて面倒なことも多かったですが、楽しかった、そんな部活でした。

引退したのは夏。
某ウイルスによって、私は何もできないまま終わりました。

部の関係者で疑いが出て、検査を行うからと、次の日は試合に行けず。
陰性だった知らせを受け、父親がかっ飛ばしてくれた車で会場に向かうも、そこで、私の引退は決まりました。

前日の夜。11時くらいだったでしょうか。

寝る準備を済ませて、ベッドに横になって。
普段はずっと触っているスマホを置いて、早く明日に備えて寝ようと思っていた。ちょうどそのタイミングでした。

顧問から電話がかかってきて、わからないけれど、嫌な予感がしたことを、ぼんやりですが覚えています。

私の代は私だけで、同期はずっといませんでした。

だからこそ苦労したし、うまくいかないこともありました。

休部寸前で何故か滑り込んできた私を受け入れてくれた。
そんな先輩たちと先生がいたから、どうにか、頑張れていたんだと思います。

でも、電話で行けなくなったと聞いて、どこか漠然と、終わったのかもしれないと、思いました。

部の先頭に立つ私に真っ先に連絡してくれた先生の声が、いつものような芯のある声では、ありませんでした。

いつも「やる気」と言って笑い飛ばして、先生の前で泣くことなんてなかった私も、その時ばかりは不恰好に泣きました。

何も言えませんでした。

疑いになってしまったことを責めることなんてできない。
なりたくてなったわけじゃない。

それでも、終わってしまうという感覚が、苦しくて、どうしようもなくて。

父が会場まで連れて行ってくれたことは、誰にも話しませんでした。

ただ、正装になることもできずに、人目も憚らずに泣き喚く姿を、見られたくなかった。

それだけでした。

目の前で何もできないまま決まった引退を受けて、ただ本当に、苦しかった。

顧問からすぐかかってきた電話も、ろくに、返事はできませんでした。

ひたすらに謝る顧問の声に、呻き声を上げることしかできずに。

どれだけ悔しくても、私は引退でした。

もう二度と、正装になることはできない。
先頭に立って、全てを背負うこともできない。

会場に向かうときとは変わって、ゆっくりとした運転の車の助手席で、何も考えることができないまま、その会場を後にしました。

それからしばらく、両親に気を遣わせたと思います。

ふたりとも経験なんてしたことのない絶望を、私は思い切り目の当たりにしてしまったから。

どうにかして前向きな話にしようとしてくれていました。

でも、それさえも苦しくて。

褒めてもらいたいだけでした。

最後は残酷だったけれど、それまでの努力と悔しさを全部まとめて、頑張ってきたことを、褒めてもらいたい。

それだけでした。

当時の私はそれに気づけなかったけれど、今ならそう言えます。

夏休み明け、少しは立ち直った私のことを笑う人もいました。

大袈裟だと、たかが、と。

あの先生からしたら、大袈裟かもしれません。
長い高校生活の、たったの一部かもしれません。
あの人からすれば、そんなに落ち込むことではなかったのかもしれません。

それでも、私は全てを懸けていました。
夏が本業だから、そこで、全力で散ってやろうと。

それが許されなくて、どうして、笑っていられるのでしょう。

卒業式の日、職員室にいた先生を電話で呼び出して。

父と会って最初に先生が話したのは、私の最後のことでした。

私の最後が無惨だったことを、覚えていました。

引退から約一年が経った日、後輩たちを見るため、ひさしぶりにあの会場に行きました。

色濃く残っている記憶と、もう誰も覚えていない先頭。

それが悲しくて、寂しくて、もう戻れないのだと、ちゃんと突きつけられました。

私が立っていた場所には、私と先生が信頼して後を任せた、大切でたまらない後輩がいて。

私たちが素手で触ることさえ許されていない高貴なそれは、新しい手によって、丁寧に扱われ続けていて。

一年前、泣きながら死んでいった私のおばけが、そこにはいました。

もう戻れません。やり直すことなんてできません。

ただ、それが悲しくて。

息の詰まるような感覚と共に踏み入れた会場で、どうにかひとつ、大きな深呼吸をして。

もう二度と立てやしないのだと、わかって、泣いてしまいたかった。

大声を上げて、座り込んで、誰のことも考えずに。

自分がいたあの場所に縋り付くようにして、ただ、ずっと。

子どものように泣いて、それを、許してほしい。

一生そこから離れることのできないあたしのおばけと、夏になるたび、出会ってしまうから。

汗っかきで暑がりで嫌いなくせに、人一倍得意な夏。

そこで、出会ってしまう。

それが、愛おしいのに、やっぱり、苦しいのです。

今でも、思い出すと苦しいばかりで、一生抱えていく記憶なのだろうと、もう諦めはついています。

あれから時間も経ち、久々に会った先生から、同窓会へのお誘いをいただきました。

歴史のある、お偉い方が多く在籍する、同窓会です。

若造の私にはとてもじゃないけれど、わからない世界があります。

でも、先頭に立っていたことだけは、変わりない。

情けなくて、先頭には更々向いていなかった私を信じてくれたのは、先生と、先輩たちでした。

それだけ言われても、馬鹿にされても、肩書きを捨てることはできなかった。

先生と先輩たちに、私のおばけの話はしたことはありません。
まず、する話ではないのですが。

それでもどうか、私の尊敬してやまない彼らの中に、かわいそうな先頭という記憶で残っていなければいいなと、思うばかりです。

いつか、ちゃんと泣ける日が来るのでしょうか。

そのいつかが、訪れてくれればいいなと、願って。

やっぱりあたしは、引退しても、情けない元先頭だったようです。

いつか愛せればいいね。

みんなでそれぞれのこと。頑張りましょうね。

どうかご自愛ください。


のまる👾

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