くさいものにはフタをしたい

自我、「私」の特性は色々あるが、

一つに

自分をわかって欲しい
理解してほしい

というのがある。

本当はそんなの簡単な事で、
思った事をそのまま話せばいいだけのことだと思うが、

ややこしいのは、この「自分をわかって欲しい」とは

「理想的な自分として自分を認識して欲しい」

ということで、

汚い部分は隠したいのだ…。

しかし、コレが苦しみになる元に往々にしてなる。

「みんな、汚い部分あるよね」
と言いながら、自分のは見せられない。

なんなら、
汚い自分が見せられない自分が汚い
などと、ややこしさは増してゆく。

時々、罪を隠していた犯人が
「捕まってホッとした」
と言うのを聞くが、

隠すことがないというのは
とても清々しいことであったりする。

清濁さらけ出す
というのは、「自分をゆるす」ことの一つの形だろう。
これは自己肯定感に繋がると思っている。





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