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02 母親って超偉大-1

私のプロフィールに書いてある通り、ひとりっ子で母子家庭だった私には
今戸籍上家族はいません。
この話が私の不幸自慢でもあり、私が誰かに褒めて欲しいことでもあります。

不幸自慢ではあるのですが、
自分的には周りの人や環境にめちゃくちゃ恵まれていて、
「自分は不幸だな…」と感じたことはありません。
もっと苦労している環境の人もいると思うので。

あとは、20代後半になって人から褒められる事も減ってきているので
自分からアピールしようってやつです笑

ちなみに父親とは今もたまに会うし連絡も取ってます。
なんなら結構助けてもらってます。
めっちゃ似てるし、未だに喧嘩するし、ほんとごめんなさいって感じです🤘🏻(ちょけんな

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私の母は52歳でこの世を去りました。
病気でした。
見た目も若かったんですけど、世間的にはやっと子供が20歳超えて働き出して、手が掛からなくなってきたぐらいで
人生これからやんってタイミングだと思います。

私の家庭は、私が物心ついた時から
父親が単身赴任でほとんど家に帰ってきておらず
友達とか従姉妹にめっちゃ好かれていて
たまに帰ってくると従姉妹と「レアキャラ」と呼んでいて
自慢の父親でした。

私が学生の頃、母と2人暮らしで
毎日言い合いして、母の何もかもが受け付けられなくて
同じ空間にいたくなくてずっと部屋に篭ってました。
部活をしていたので、7:00に家に帰ってきて
作ってくれてるご飯を当たり前に食べて
その少しのご飯の時間でも喧嘩して
ドアをバーン!って閉めて部屋にこもって朝また学校に行く。
そんな生活でした。

私が成人式の前撮りをした頃、11月だったと思います。
何故か最近ちょっと体調悪そうだなって感じてて、でも見た目がめっちゃ変わってた訳じゃなかったのと
その話すらできないぐらいの反抗期でした。
家に帰ったら、従姉妹のお母さんとおばあちゃんが来てて
お母さんと4人で食卓に座って話をしました。

その日、病院に付き添いにいって先生の話を聞いてきたと。
本当はもっと前から体調に違和感を感じてたけど
とにかく成人式があるから、それまで仕事も休めへんし頑張らなあかんって思っていたらしく
かなり進行してしまっていて、今すぐにでも治療を始めないといけない状態という事を聞かされました。

今、仕事をしている側になって、お母さんも居なくなって
ようやくこの状況の大変さ、それでも仕事を続けたお母さんの凄さを感じます。


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一旦今日はここまでにします。
ちょっと仕事帰りの電車の中では書けなかった…笑

思い返すと本当に何も考えていない、親不孝な娘で
改めてお母さんに謝りたいし、もっと病院にも付き添ったり寄り添ってあげたらよかったし抱きしめたかったなって思います。
本当にこんな娘でごめんなさい。

この文章を残すことで、母がどれだけすごいか
一生残すことができるなと打ちながら思いました。
生きていたら「恥ずかしいからそんなんやめてよ笑」って言うと思うんですけど
母には一度も言ったこと無いけど、私が尊敬できる人は母だなと改めて再確認して、前を向いて地に足つけてしっかり歩くために必要な時間だと思います。

拙い文章だけど
何か伝われば良いなと思いました。

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