03 タレントを目指したきっかけ-01

幼稚園に行っている時、いわゆるテレビっ子でした。
中でも「天才てれびくん」とか12チャンネルばっか見てた(そういう年頃)
どんな内容の番組かいまいち覚えてないけど、
洋楽を日本語にアレンジ?した曲歌ってたり
ちょっと年上のおねえさん、おにいさんたちが
なんかわちゃわちゃしてて楽しそうで
私もこれやりたい!って思っていたみたい。
テレビ戦士募集の画面になった時に、当時ちょっと太めのテレビの下に名前を書いた紙を差し込んでたらしいww
かわいいww

でも幼稚園でも小学校でもそんなに目立つ子では無かったし、手挙げるのすら苦手で
テレビ戦士の夢なんてすぐ忘れてた。

小学生の時も、特になりたい物もやりたいこと、夢もなくて
将来の夢何回も聞かれるから
そんなに本気で思ってなかったけど、看護師か幼稚園の先生になりたいってとりあえず言ってた笑

でも、このまま地元の中学に行くんじゃなくて
中学受験したいって何故か思って
母親に言ってみたらOKしてくれたので
特に滑り止めとかも設定せず、偏差値とか他にどんな学校があるかも見ないまま
大学附属の中高一貫校を受験しました。

今考えると、私立の学費がかかる学校だったし
塾とか家庭教師とか色々合うやつ試してくれて
お金出してくれた親には本当に感謝しかないです🥲❤️‍🔥

受験が自分の中で1つの転機になったんですが、
小学校まで外ではあんなに大人しかったのに
中学で色んな所から通う同期たちと話して、ハードめな部活に入って
なんかだんだん『騒がしおとこ女』になっていきました。笑

当時ずっとkpopの男の人の写真を見せて髪切って貰ってた

女子校だったので、毎年クラス替えのたびに女の子の友達いっぱい出来て
毎日楽しい学校生活を送っていました。

学校の行事で、ダンスの発表会とか文化祭の時に出し物を披露できる場があったりしたので
習ってないけど、youtubeとかを見て覚えるのが好きだったダンスを張り切ってました。
中3の時にクラスでAKB48の曲を踊る事になって
その時に当時の仲良かった友達とNMB48に応募しました。

今考えたらなんでNMB?って感じやけど
その時は踊るのも歌うのも好きやったので
送る写真はお互いで学校内で撮りあって
ノリで的な感じでした。
結果は言わずもがな書類審査落ちです✌️
本当に受かったらどうなるか、全く考えて無かったので
絶対無いけどもしアイドルになってたら全然違う人生だっただろうなと思います。(そらそうなのよ

高校1年生のとき、広告に出てきた写真を撮って送ると
適職診断ができるっていうのがあって
その場でイキった自撮り撮って送ったら
それがたまたま芸能事務所のサイトで、忘れた頃に急に連絡きてびっくりしたの覚えてる笑
所属オーディションがあるので受けてみませんか?って連絡で
「あの写真はいいと思って送ってくれたの?」みたいなこと言われて、めっちゃ恥ずかしかったwwww

親に相談してみたら、一旦受けてみてもいいんじゃ無いかって言ってくれて
全くの未経験やったけど、演技でオーディションに参加する事にしました。

オーディション当日、受付で一言のセリフが何個か書かれた紙貰って
ドキドキで順番待ってた。
審査員何人いて、その時受けに来てる人何人いたとか全く覚えてないけど
自分の番になって、セリフを言う時
なんか込み上げる力を感じて
思ってるより3倍おっきい声出たのだけ覚えてる。
母親が付いてきてくれたから、走って合流してどんなんだったかいっぱい話しながら帰りました。

家に合格通知の賞状?みたいなのが届いて
スクールに通えますっていうのと、数万円免除しますって書いてて
受かると思ってなかったからびっくりして
結局、部活辞めないととか、たくさんの人に見られる覚悟と、
県外のスクールに通う勇気?が無くて、お断りした笑

そこからは特に変わりない学校生活を過ごして
でもダンスは好きで披露してて
みんなが「覚えられて凄い」って言ってくれるのが嬉しくて
調子ノリノリやった笑

そのまま大学生になって、バイトとか、まあ色々経験して
就活するぞって時に
初めて自分がやりたい仕事って何やろ?って考えた時に
エンタメ系一択やった。
でも、自分が出る側になるのは覚悟がなくて何回も挫折してたから
タレントを支える方になりたい!っていう気持ちになった。

一番は、東京でマネージャーになりたくて
何社も受けたけど、上手くいかなくて
周りがどんどん決まっていくけど焦って
一般企業も少しだけ受けたけど
結局、給与も安くて待遇とかも特に良いわけでもない大阪のテレビの制作会社に入社しました。



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長すぎるので続きはまた書きます。
ほんじゃ!👋🏻

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