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【コラム】ももばちのヤミとアイ

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ももばちが大切にしている「ヤミとアイ」の価値観を、コラム形式で配信します。
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記事一覧

【コラム】生きることがしんどいあなたへ

生きるの、しんどい。 そう言い表される感覚も、人によってそれぞれで、私のしんどいとあなたのしんどいはもちろん別もの。 だけども、同じ感覚ではないと分かりながらも、生きることのしんどさを今感じているあなたに、どうしようもなく伝えたい思いが溢れて、この文章を書いています。 * * * * * * * * * 私自身、小学生の時から、自分の人生にもこの世界にも絶望して、「なんで生きなきゃいけないんだろう」って、何度自分に問うてきたか分からない。 この世界を生きていくことは

【コラム】いろんな感情が爆発した、静かなる波乱万丈な1日

なんでもない、普通の日常なんだけど、 あれ、私って、一日の中でこんなにもいろんな感情、感じれるんだーって、 苦笑いするような、そんな1日でした。 小中の時の友だちと3年ぶり?くらいに会ってランチして、 こっちに帰ってきてるって噂は聞いてたけど、その後どうしてるのかは全然知らなくて、 お互いに尽きることのない話で盛り上がり、気づけば3時間近く話してた。 中学生までは正直嫌な思い出ばかりだから、何となく小中の同級生と会うことには、たぶん私の中でちょっと抵抗があって、 この子

【コラム】「自分のために生きる」を追求して、人のためにも生きている

突然ですが、質問です。 あなたは今、誰のために、何のために生きていますか? 家族のため、大切な人のため、自分のため、 そんなこと、考えたことないよって方も多いと思います。 私自身はというと、よく勘違いされるのですが、究極的に自分のために生きています。 究極の利己主義です。 でも、やっている事の大多数は、結果的に他者のためになること。 私と関わってくれた人が、ちょっとでも生きやすく、幸せになってくれたら、ほんとに、心の底から幸せだなぁと感じる。 だからきっとまわりか

【ももばちのヤミコラム】ワクワクギラギラの自分と、何もできずにうずくまる自分。同時に存在する両極端の自分の話

最近(...と言っても私にはよくある話だが)、 仲間と一緒にやれそうなこと、自分という人間の可能性に挑戦してみたいこと、 やりたいことがたくさん見えてきて、ワクワクから生まれるあたたかい芽吹きのエネルギーを感じている自分と、 それとは反対に、何もする気になれない、1人になると心も身体も重苦しくなって、ひたすら布団にうずくまるだけの自分が、 同時に私の中に存在している。 オンラインでもリアルでも、人と話す時には前者のモード全開で、エネルギーに満ち溢れた気持ちになる。

【ももばちのヤミコラム】「これは甘えなんじゃないか」という葛藤

3日前、38.8℃の高熱を発熱。 病院でもらった解熱剤で平熱に戻ったかと思うと、薬が切れるとまた39℃近くの高熱に。 そんな高熱とのたたかいも3日でおさまり、4日目の今朝は全く熱もだるさもなくなり、けろっと元気に。 食欲も戻って体力も回復。これもう仕事できんじゃんとパソコンを開こうか考えている自分とは裏腹に、何故か布団から頑なに出ようとしない自分がいる。 結局、布団の中で1日が終わり、「ほんと自分に甘いよな」「これはただの甘えでしょ」という、耳にタコができるほど聞いたあ

人のヤミが好きなだけのももばち誕生秘話から、ももばち企画としての事業を始めるまで

人のヤミが、どうしようもなく愛おしい。 そう思うようになるに至った経緯を説明すると、私の幼少期の生育環境まで遡る。 山小屋のような家で、森と戯れて遊んでいた子ども時代私は、岩手県遠野市の山奥、父が地域の人たちの力を借りながら、木材を使って自力で建てた、山小屋のような家で育った。 水道は湧き水で、下水はため池で自然浄化していたため、「池のカエルさんが死なないように」と、我が家の洗剤やシャンプー類はすべて天然由来の石けんのみ。 トイレ、生ゴミはコンポストで堆肥にして畑にまき

自由なアート表現で、私たちはもっと自由に生きられる(絵の苦手なももばちがアート活動を広げる理由)

最近になって、誰もがアート表現やものづくりを楽しめるシェアアトリエ・工房や、アートを身近に感じてもらうためのワークショップ、自己表現アートをきっかけに対話を深めるアート対話ワークショップなどを始め、自分自身も自分で描いた絵を販売するという試みを始めたももばちですが、ほんの少し前まで、絵を描くことにずっと苦手意識があって(今もなくなったわけではありませんが)、 まさか自分がアートに世界に足を踏み入れるなんて、ましてや自分が絵を描いて販売するなんて、想像すらしていませんでした。

【コラム】愛されたいすべての人へ

「愛されたい」 それは、意識しているいないに関わらず、多くの人が持っている根源的な欲求だと思います。 もちろん、人から愛されたいなんて思わないっていう人もいますが、その中には、「自分は愛されない人間だ」っていう諦めや開き直りの気持ちが背景にあったりする場合もあります。 これまで私が話をきいてきた人たちの中にも、親から愛されなかった傷をずっと背負っている人、誰からでも愛される人でいようと「いい人」を必死で演じて疲れてしまっている人、自分は愛されない人間だと半ば諦めながらも

【コラム】ほんとは、愛がほしい。

私だって、 ほんとは、愛がほしい。 ほんとは、助けてって叫びたくなる時だってある。 でも、愛がほしいとどんなに願っても、満たされることはないと分かっているから。 この世界には、そんな気持ちを隠しながら生きてる人が溢れてると知っているから。 私は、この世界に愛を溢れさせる。 ほんとは愛がほしいと願いながら心の悲鳴を噛み殺して生きている人のまわりが、あたたかい愛で包まれているように。