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私が親のお金を盗んで思ったこと。

教典  143  「私が親のお金を盗んで思ったこと」

ちょっとタイトルが刺激的なので、写真は、「みんなのフォトギャラリー」からではなく、私が直にとった写真です。

熱田神宮へ行った時の写真。

ほんま、まさに

罰当たりも甚だしい!

ですよね。

うちは、いわゆる貧乏でしたが、私は、それを全く感じたことはありませんでした。

なぜなら、父と母が、ほんまに、朝から晩まで働きに働いて、私と妹を大学まで行かせてくれたからです。

どのくらい働いたかというと、小学生の頃の運動会、来たことありません!私は、親戚の家族にまじって運動会のお弁当を食べました。

母が学校に来たのは、授業参観と親子面談の時だけ!

授業参観も、もちろん、途中で帰る。

学校が終わった後は、父方のおばの家に両親が迎えにくるまでお世話になって過ごす。

なので、「家族の食卓」というものが、1年に1回あるかないかというくらい、働いていました。

で、本題ですが、

私が中学生のころになると、私も物欲というものが、強くなってきたんですね。

かわいいあれが欲しい。みたいな。

けど、うちの両親は、やたら「うちは貧乏だからダメ!」って言うわけです。

けど、その頃になると、さすがに

「いや。お金あるやん!」と思うわけです。

まさに

親の苦労子知らず

です。

ある時、私は、母の小銭入れから、数百円、盗みました。

それで、欲しかったものを手に入れました。

感想は、今、思い出そうにも、何を買ったかも思い出せないくらい、たぶん、嬉しくはなかったと思います。

ただ、恐ろしいのはここからで、最初は、物を手に入れるために盗んでたのが、だんだん「お金」そのものが欲しくなった。

だから、お金のためにお金を盗んでいました。

最初は、100円。300円。500円。700円。。。

次第に「盗み癖」がついてました。

別に、何に使うわけでもない。

しかも、自分のお金じゃない。

だけど、手を出してしまう。

自分でも何やってんだろ?って感じです。

正直言って、最後の方は「お金」という感覚はなく「物」といっしょでしたね。

おはじきと100円玉が同じみたいな感覚。

そうこうしているうちに、私は、盗んだお金を母の前で落としてしまったのです。

私は、平静を装って

「あれぇ?どうしたんだろう?」と言って拾い上げたのを鮮明に覚えています。

そして、無言の母。



それから、私は一切、盗みを犯さなくなりました。(当たり前)

なぜか?

まさに

目が覚めた!

感覚です。

何も言わなかった母は、きっと、私が盗んでることを知ってたと思います。

それでも、何も言わなかった。

たぶん、こっぴどく叱られたら、私、盗みやめなかったかもしれません。

実際

お金盗んでるの知ってて、なぜ何も言わないんだ?

また、私が盗んだらどうするつもり?

って思ってるのに、不思議と、それから手が出せませんでした。



お金の価値って、やっぱり自分で働くなり、行動をして、自分の手で手に入れて、初めて意味のあるもの。価値のあるものなんだと、心底実感したエピソードでした。

これは、なにもお金に限ったことではありません。

テストの点数にしたって、

物を手に入れるにしたって、

成功するにしたって、

何事も

その過程が重要である!

ってことなんです。


今の世の中、本屋さん。

スーパー。

コンビニ。

いろんなところで窃盗事件が起きてます。

私は、言いたい。

それで、あなたの心が満たされることは絶対にない!

満たされるよって言ってる奴。それ、嘘だから!

満たされるわけないんだよ。

絶対に。




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