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感謝されるためにやってるわけじゃないけどさ。

教典  145  「感謝されるためにやってるわけじゃないけどさ」

人から「ありがとう」と言われて、怒ったり悲しんだりする人はいない。

人から「ありがとう」と言われて生まれる感情はひとつ。

自分もうれしい。


うれしいことをされてうれしい。

うれしいと言われてうれしい。

みんながみんな、毎日、こういうサイクルで生きていたら、ダントツで幸福度、世界一になれるのにね。


けど、世の中そううまくはまわらない。

私が10代20代のころは、

人に喜んでもらうために。

ありがとうと言ってもらうために。

人に感謝されるために、行動してた。

けど、そのほとんどが、

無反応。

最悪、「余計なことするな!」と叱られることさえあった。


きっと、

そんな気持ちで行動すること自体が間違ってるんだよ。

ありがとうと言ってもらうために?人に感謝されるために?

おこがましいんだよ!

って思う人もいると思う。


たしかにそうかもしれない。

けど、その頃の私には、それがわからなかった。


だから、無反応だったり、良かれと思ってやったことに対して、まさか叱られたりしたくらいなら、生まれる感情は

怒り(逆ギレ)、怨み、憎しみ。。。。


ドス黒い感情でいっぱいになった。


相手の立場にたって、行動したら?

相手の気持ちになって、行動したら?

っていう人もいるけど

それがわかれば苦労しない!


何に対して相手が困っているのか?

相手の立場に立った上で、こうしたら喜んでくれるんじゃない?って思うわけでしょ?

それが、やってもらって当然。みたいな態度とられたり、同じ物でも、本当はこっちのメーカーの物が良かったんだよね。とか、もうちょっと大きい方が欲しかったんだよね。とか言われたら?

私なら



お前には二度と何もしてやらない!

って思っちゃう。

私、人間できてないんで。


ただ、この歳(44歳)になって、

もう、そういうことにも疲れた。

親切の押し売りっていうの?

私がいけないとか、相手が悪いとかじゃないんだよね。

やってあげる。とかやってもらうとかでもない。


ただただ、自分がやりたいことをやったことで、たまたま相手が喜んでくれればラッキー🌟

くらいでいいんだよ。

ハッピーラッキー🌟ってやつ?

たまたま相手が喜んでくれて、思いがけず自分もハッピーになれて、ラッキーみたいな。

だから、まずは、人に何かをやってあげるとか、助けてあげるとかじゃなくて、感謝されなくてもいいから、自分が助けたいから助ける。

自分が傘を差し出したいから差し出す。

それで、相手が「けっこうです」って言っても、「あら。そうですか」でいいんだよ。

「せっかく親切に差し出してあげたのに」じゃなくて、自分が差し出したいから差し出した。

ただそれだけのこと。

で終わり。

もちろんね。目の前で言われたら、一瞬、「ムッ」とすると思う。

私、人間できてないんで。(苦笑)

でも、その後、自分が差し出したいから差し出したって思ったら、ムッとはするけど、怨みや憎しみまで発展することはない。




そういう心境に至ってしまった私は、やっぱり心が狭くなってしまったのだろうか?







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