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仕事をするのに「腰が低く」「顔が怖い」に越したことはない

以前Xで「仕事ができる偉い人は、誰に対しても腰は低いけど顔が怖い人が多い」みたいなのが流れてきて、自分の周辺を見渡してみたら確かに!と膝を打ったのでなんでなのだろうと考えてみました。

まず誰に対しても腰が低いという面ですが、「実ほど首を垂れる稲穂かな」ということわざが生まれているということから、大昔から変わらぬ普遍的なものなんだろうと思います。

自分の周囲を観測してみると、そのような腰が低い偉い方は、人を動かすのが巧いという共通点がありました。

確かに立場が上になればなるほど、動かす人間の数が多くなってきて比例してエネルギーが必要になってきます。全方位に対してちゃんと気遣いをしていないと、自分の不敬不遜な態度という、いわば「余計なこと」でエネルギーを食われれば動かせるものも動かせなくなっていきます。また、言いにくいこと、やってもらいにくいこと、さらには高圧的な内容(人事面や制度面で押し切らなければならないようなこと。想像ですが)で他部署や部下にお願いをするケースが多くなるのだろうと考えると、高圧的で不遜な態度で言っても聞き入れてもらえないのは想像に難くありません。

また、時代の特徴も関係しているのかもしれません。以前は人を動かすには権威勾配や今でいうパワハラというコミュニケーションコストが安いものでなんとかなっていたものが、今は権威の持つ力が弱くなり、否、むしろ逆転しており、上司の人間性による部下との関係性や部下の自主性自立自律を促すマネジメントに変化してきたことで、そのような腰が低い人が重宝されて、高圧的な方は淘汰されてきたと考えると合点納得がいきます。

どちらが先なのかはわかりません。腰が低いから人を動かすことが巧くて偉くなっていくのか、もともと腰は低くなかったけど偉くなったら人を動かさなくてはいけない状況におかれ、おのずと腰が低くなったのか、人により状況は異なりますがいずれにしろ腰が低いに越したことはないのだろうと推察します。

腰が低いだけに関わらず、挨拶をするとか、メールの返事をするとか、期限を守るとか、人の気持ちを慮るとか、そういう基本がちゃんとできている人は強いですし、基本のキを蔑ろにしているような人は人を動かすことはできないのです。

とはいえ、これはあくまで手段なのだろうと思います。腰が低いことによって「みんなに嫌われないこと」「みんなに気に入られること」「パワハラをしないこと」が目的になってしまうと、そもそも人を動かすことはできません。

目的は「結果を出すこと」です。自らの役割の責任を果たすことです。そのために、自分も腰が低くいたいと思います。

さて、腰が低い、という事象に関しては何となく理論立てて説明ができると思っていたのですが、顔が怖いは人の外見であり、果たしてどう説明がつけられるでしょうか。

あくまで私の周囲の「人を動かすのが巧い腰が低く、顔が怖い」方々を観測してみると、日々改善を考えていること、そして覚悟が決まっている方なのではないかと予想しています。

note作家の猫山課長も(ご自身の勝手な印象という大前提で)おっしゃっていましたが、苦労は顔に出る、という理論です。

生死を分けるような状況に置かれて非常に強いストレスがかかったり、精神状態が極限になると人相が変わるのは想像に容易いと思います。

そこまで行かなかったとしても、二進も三進も行かず、上層部と現場と患者さんに板挟みになるような苦労の中で、答えと思われるものを出し、すべての方々が納得できるような落とし所を考えていく。なんていうストレスフルな状況に日々置かれているとしたら、しょうがないことなのかもしれません。それでも自分の持ち場で、粛々とやっていくという覚悟の現れもまた、その方の人相を悪くしているのかもしれません。

あくまで、これらは想像です。顔が怖い仕事のできる方々にインタビューをしたわけでも、エビデンスがあることではありません。しかし、納得のいく理論なのではと思っています。

「仕事ができる偉い人は、誰に対しても腰は低いけど顔が怖い人が多い」という話は実しやかな都市伝説のような話ではありますが、仕事ができるできない偉い偉くないに関わらず、日々常に腰は低く、覚悟を決めて日々考え抜いていくようにしましょう。そうすればすこしは仕事になるのではないかと思っています。

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