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心を殺すと生きやすい

こんばんは、もぬんこです。「話せばわかる」は幻想でも書きましたが、基本的に諦めがちの人生です。何でそうなのかという話をしていきます。

感情のコントロールが下手過ぎるので心を殺す

最近、「ロジカルで感情的にあまりならないよね」と言われることも多くなってきたのですが、実際は感情の塊みたいな人間です。だからこそ、感情が入り込んだなにかに対して、怒や哀の感情が芽生えてしまった場合、時間をかけて解いていくしかありません。これがとてつもなく面倒臭いのです。そして疲れます。

バンドをしていた時は、喜怒哀楽そのものが自分の糧になり、音になると感じていたので、人より表現の激しいうるさいやつだったと思います。
暑苦しいやつだったと思いますが、あの時の自分は魅力的だと自画自賛したり(笑)

感情に左右されないようにとった行動が"心を殺す"でした。
完全に殺すことはできないのですが、私という器に私を入れないで生きているような感覚です。それが私にとって"生きやすい方法"と気づいてからは、そうするように傾けていきました。

心が折れたら修復しない

心は一つではなく複数あると思っています。たくさんの心が私の中には存在していて、少しずつ少しずつ心を殺しているようなそんな感覚です。

心が折れたら修復せずにそのままにします。
折れた心を治しても元の心にはなりません。折れた形跡は残るんです。心が砕けるのは、折れた心を修復するからだと感じています。何度も何度も折れて治してを繰り返すことで、ツンとつついただけで粉砕する瞬間がうまれてしまうんです。だから修復しない。
誰よりも心を大事にしているからこその防衛本能です。

人と違うけどおかしいわけではない

心を殺すという行為は、幼少期から当たり前にやっていました。

幼少期~高校生:心殺モード
大学生~26歳:感情爆発モード
27歳~   :心殺モード
※どうでもいいですけど心殺モードって厨二病っぽくて良いですね(笑)

大学に入ってからしばらくして、メンヘラになったんです。テンプレにも程があるレベルで。

最終的にとても素敵な心療内科(先生)に出会い、カウンセリングをしてもらったところ、幼少期から逃避行動(防衛本能)が働いていたことがわかりました。嫌なことは見ない(受け止めない)というのもその一つでした。
ヒアリングの結果先生が伝えてくれた言葉を記載します。

あなたの話してくれた内容は、他の先生も言うように確かに逃避行動です。
精神疾患と診断された方に見られる行動の一つでもあります。
ただ、この行動があるからと言ってあなたが精神疾患であるという診断にはなりません。特に幼少期に気づかずに行動をとっているということより、あなたが生きるためには逃避行動が必要だったのです。
確かに他の人とは違う感覚かもしれない。おかしいと言う人もいるでしょう。でもあなたには必要なのです。だからこの逃避行動を治す必要なんてない。これからもあなたが生きるためには必要なものです。大事にしてください。

大丈夫、あなたはおかしくない。おかしいと思わないで。
他の先生たちはやぶ医者だ。あなたに処方する薬はありません。
ただ、一つだけお守りとして「1錠」処方します。どうしても不安で、苦しくて、コントロールできない時、この1錠を飲んで私のところに来てください。
きっとあなたはこの1錠を飲むことはありません。

本当にその1錠を飲むことはありませんでした。そして、現在に至ります。
私なりの生き方で良いとわかって、生きやすくなりました。
だから「心を殺す」という語弊のある行為もお伝えできるようになっていきました。

失う衝撃を受けたくない

色んなことを書きましたが、心を殺す最大の理由は、「失う衝撃を受けたくない」です。

基本的に誰かに依存して生きてきました。そしてすごく幸せでした。でもその幸せのほとんどは私の手元にありません。失うということは、感情のコントロールができない私にとって耐えられない辛さなのです。

だから仲良くなり過ぎない、居て当たり前だと思わない、そういう風に考えています。失っても衝撃のない形で人と関わって生きてきています。
友達でも恋人でも家族でも同じです。
ほんの少し甘えられるようになるだけで、生きるのはとても楽だし楽しいとわかってはいるんです。それでも三度目の喪失は耐えられない気がするんです。

ただ、全力で守りたいものは守ります。そういう友達が何人かいて、それが私にとっての宝物です。

こんな生き方をしていると「なんか掴めない人」と言われたりしますが、実態のない人くらいの感覚でお付き合いいただけると嬉しいです。

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