映画「嫌われ松子の一生」

さて、何から書き始めればいいのだろう。
観終わった後に放心状態となるような作品は久しぶりだ。

連続ドラマとして放映されている時に見ていたのだが、
最終回を見逃してしまい、ずっとそのままになっていた。
映画はその半年ほど前に公開になっていたので、
存在は知っていたし、主演が中谷美紀さんというのも魅力的だった。

ただ、なかなか観る機会がなかった。
ずっと気にはなっていたし、いつか観たいと思っていた。

家事の隙間時間にネトフリを開いたら目について
「ああ、そういえば」と何気なく再生した。

結論から言うと、「家事の隙間時間」に観る作品ではなかった。

2006年の映画なので、もう15年も前の作品なのに、
全く古い感じはしない。
内容的にも昭和40年代から始まっているので
松子の洋服や髪型などで時代を感じさせるものの、
テーマは普遍的なものだからか、どの時代で観ても古びていないのだろう。

そう言う意味では人間は進歩などしていないな、といつも思う。

「嫌われ松子」というのは晩年の呼ばれ方で、
本人は嫌われようとしたことなどなかった。
むしろ「愛されたかった」。

父の愛、恋人の愛。

彼女は自分が注ぐ愛と同じだけの愛を返して欲しかったのだろう。

病弱な妹へ注がれる父の愛情を自分へも向けて欲しいと
いつも健気に待っていた松子。

同僚からデートに誘われた事を妹に話したことで
父から苦言を呈される。

「病弱で恋も出来ない妹になんて話をするんだ」と。

ただ、その日にあった嬉しかったことを素直に妹に話し、
妹も楽しそうにその話を聞いていただけだったのに。

このシーンを観て、私の脳裏には「バッテリー」がよぎった。

「バッテリー」の中でも主人公の弟は病弱で、
弟を案じる母親の言葉に
巧が腹を立てるシーンがある。

「野球を見せつけないでって言ってるでしょ」

病気がちの兄弟がいることは不幸ではない。
ただ、その子を思うあまり、健康な子にキツイ物言いをする親は
意外と多いのだ。

私も弟が病弱だった。
赤ん坊の頃から何度か大変な目に遭ったが
今はそんなものあったか、と言う程の健康体になっている。

だけどその当時は、弟の世話に必死な母親が
私をそれほどかまってはくれなかった。
自分が母親になったら理解できるのだが、
子供心に寂しい思いをしたことは何度もある。

ただ私は、根っからの楽天家だったし、
祖父母の家に行けば、叔父・叔母にも可愛がってもらえていたので
それほど道を踏み外すこともなく生きて来た。
屈折した心も持ち合わせていたが。

「バッテリー」の巧も野球にモヤモヤをぶつけている。
映画では最後に母親が応援に来たことが彼の屈折した心を溶かした。

さて、松子は。

松子も素直で人を疑わない、綺麗な心の持ち主だ。
受けられなかった愛情を男性に求めるようになる。

DVでボロボロになっても、幸せだと言う。
まさに「共依存」の典型のような人生に
彼女は自らハマって行った。

中学校の教師をしていたほどだから
頭もいいだろうし、とてもまじめな性格なのだ。
そう言う人ほど転落していくのもよく聞く話だ。

ミュージカル映画というカテゴリに入っているので
要所要所で歌ったり踊ったりがある。
映像も華やかで色彩が鮮やかなのも印象的だ。

話だけ拾い上げれば、かなり悲惨な人生だ。
だけど何度打ちのめされても松子はめげない。
きっとあの「カラフル」な景色は、
松子の見ている「この世」そのものなのだろう。

転落の仕方はまさに「ベタ」だ。
中学教師の職を追われたあと、
DVをする作家志望の男と同棲し、
その男が自死をした後は、
ライバル関係にあった男の愛人となる。
そしてその愛人関係も解消した後は
風俗嬢になり、殺人を犯して服役中に資格を取得して美容師となるも、
極道の女になり、最後は一人引きこもってしまう。

「絵に描いた」ような転落人生だ。

だけど、彼女は不幸そうな顔をしない。
小さな幸せを見つけては歌う。

どんな状況でも「小さな幸せ」を見つける達人だ。

彼女の人生が「不幸」の一言で片づけられるだろうか、と考えてしまった。

もし、あのまま中学教師を続けていたら。
平凡な結婚をしていたら。
子供を産んで家庭を築いていたら。

果たして「幸せ」だったと言えるのだろうか。

「嫌われ松子」とは言うものの
彼女を愛した人はいる。

妹は彼女を大好きだった。
父親が言うような「可哀想な子」ではなく、
姉の話を楽しそうに聞いて、
そんな幸せそうな姉が大好きだった。

自暴自棄になった男たちも松子を愛した。

一番は親友のめぐみだろう。
彼女は晩年ギリギリまで松子を気にかけていた。
そして彼女が希望の光となったのに、
その目前で、松子は帰らぬ人となってしまう。

松子が天へ召される時、
出迎えたのは妹だった。
このシーンはとても感動的だ。

そして伯母の人生を辿る甥もまた、
人生の端っこを歩くような毎日だったが、
めぐみに「松子に似ている」と言われるくらい似ている。

直接出会うことのなかった二人だが、
笙は伯母の松子に興味を持った。

同じ東京に住んでいた松子と笙。
もしもう少し早く出会っていたら。
めぐみと疎遠にならなければ。
あの時あの人と会わなければ。
あの日、嘘をつかなければ。

松子の人生は「じゃないほう」ばかりを選んでしまう
不器用なものだった。

でも不幸には見えない。
晩年は少し可哀想ではあるが、
彼女はいつも自分の力で人生をガシガシと生き抜いていた。

愛に餓えるがゆえに、他人へ愛情を注ぐ人もいる。
壁打ちの様に必ず自分へ返ってくると信じて、
愛情を注ぎ続ける。

松子はまさにそんな人なんだと感じた。

親からの愛情を一身に受けて育った子供には理解不能な松子。
だけど、彼女ほどの壮絶な人生ではないものの、
出発点がちょっと私と似ている分、
なんだか凄く共感できる部分があった。

思い込みが激しい分、
期待したものが返って来ないと衝動的にいろんなものを捨ててしまう。
もう少しズルい性格なら、彼女はもっといろんなものを得たのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?