ミッドナイトスワン

ネタバレを含みます
未鑑賞の方はご注意下さい

「ミッドナイトスワン」
公開前からかなり話題になっていた
本当は先行上映も舞台挨拶も行きたかったが
残念ながら仕事が入っていたので
やっと本日、9月28日に観ることができた

とにかく最初から最後まで
「救われること」がないほど
ヒリヒリとした空気が漂う映画だった

なのに観終わった後に残る優しい気持ち
登場人物すべてに寄り添いたくなる気持ちになった

凪沙と一果のぎこちない生活が
徐々に変化する過程
その感情の揺れや動きが
とても静かに
だけど激しくスクリーンから伝わる

一果にバレエの才能があるとわかり
凪沙はお金を稼ぐために
男性の姿に戻る

私はそのシーンが
一番「母性」に溢れていると感じた

自分のために凪沙が不本意な偽りの姿になったことを
怒り悲しみ苦しむ一果を抱き留めた時
その髪を撫でる仕草が
「母」そのものだと感じた

女性の姿でいる時よりもずっと
「母性」を感じた

そして夜
一果のバレエの練習に付き合う凪沙の目は
すでに「母親」だった

「私にも教えなさいよ」
と二人で踊る姿に
たまたまそこにいた老人が拍手を送る

朝になるとオデットは白鳥に戻る
という言葉を残して

LGBTQ+の現実なんだと感じた
差別的な言葉を悪気なく口にする客たち
その度に傷つく凪沙たち

身体が男性として生まれて
心が女性だということで
「異質」なものとして扱われる

彼女たちがなりたかったものは
「女性」として生きて行く権利だけだっただろうか
ただ毎日を大切な人と笑い合って暮らす
そんな穏やかな日常が欲しかっただけではないか

凪沙にとってはその「日常」が
一果との生活だった

大勢でいても孤独は感じる
お金が余るほどあっても満たされない気持ち
愛して欲しい相手から邪険に扱われる悲しさ
ただ一緒にいたいだけなのに
引き裂かれてしまう絆

そういうものがずっと散りばめられている

現実はそう甘くもないし
優しくもない

だけど何故かこの映画を観た後は
優しい気持ちだけが残る

観ている間にずっと感じていた
あのヒリつく感情と
ずっと棘が抜けない感覚は
なんだったのだろうと思う程
柔かい何かで包まれたような気がした

私は結構序盤からずっと泣いていた
彼女たちが一生懸命になればなるほど悲しくて

当事者にしかわからないことを
こちらが不用意に声を上げてしまうのは
してはいけないことだと
私は思っているが

なりたいものになる権利
好きなものを好きという自由
それを笑わないで受け入れることが普通
そういう世の中になって欲しいと思う

「自分の人生は間違っている」
と感じた人が修正する自由もあるはずだから

悲しいニュースが続いた今だからこそ
たくさんの人に見てもらいたいと思う


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?