後藤ひとりは「金の羊毛」を得たか?
君は『ぼっち・ざ・ろっく!』を見たか
『ぼっち・ざ・ろっく!』がマイブームだ。TVアニメのシーズン1の3周目を見ながら、結束バンドのアルバムを買ってしまう(タイトル画像)ほどだ。
初めて見たときは、ありふれた低予算の手抜き作品かと勝手な思い込みがあったが、見直してみると当初から気合を入れて作りこんだ作品に思えてきた。視聴者の主観は気まぐれなものである。
『ぼっち・ざ・ろっく!』は放映されたシーズンのNo.1作品だったとする評価もあるほどの人気作品だが、今となってはそれだけの潜在力を十分に秘めた作品だったと感じる。
ちなみに、何かの結果を知った後で
「オレは最初からそう思っていた」
と感じるのは『知識の呪い』と呼ばれる認知バイアスの一種だ。何かの知識を一度得てしまうと、人間の脳はその知識を得る前の思考パターンを再現することができないため、このように感じてしまうのだそうだ。
それはさておき、最近読んだ『SAVE THE CATの法則』(フィルムアート社)を参照しながら、『ぼっち・ざ・ろっく!』が視聴者を引き付けた理由の一端を考えてみたいと思う。
SAVE THE CATの法則
『SAVE THE CATの法則』はハリウッドでプロの脚本家として活躍する著者が「売れる映画の脚本構成には一定の規則やルールがある」としてそのノウハウを紹介するものだ。有名な著作なので中身の詳しい紹介は割愛する。
もちろん、ハリウッドが作る映画と4コマ漫画が原作のシーズン物アニメでは大きな違いがあるが、人間が本能的に好む様々な物語には共通要素があり、その共通要素から外れた作品は多少の注目を集めることはできても、多くの視聴者の賞賛を得ることは困難だ。そのため、ハリウッド式のルールで『ぼっち・ざ・ろっく!』を分析することにもある種の意義はあるだろう。
「SAVE THE CAT!」は作品が備えるべきルールの第1位に挙げられているもので、同書では次のように説明されている。
つまり、視聴者が作品と付き合っていく中で最も接する機会の多い主人公は、視聴者の共感を得られる人物、つい応援したくなる人物であることが絶対だというのだ。そしてそれは、作品の冒頭で速やかに表現される必要があるとも書かれている。
『ぼっち・ざ・ろっく!』を振り返ると、主人公・後藤ひとりへの共感や応援したくなる気持ちを生み出している要素は次のようになるだろう。
陰キャでコミュ障という、特別ではないキャラクター
キラキラした世界へのあこがれ、今の自分から変わりたいという強い思い
ギターを毎日6時間も練習する努力家
CDやバンドグッズをもって周囲の気を引こうとするお茶目さ
でも、自分からは声をかけられない内気な性格
友達がいなくても学校には毎日行く折れない心
これらがアニメ第1話の早々に描かれている。誰もが「がんばれ!」と応援したくなる主人公・それが後藤ひとりなのだ。
後藤ひとりはルーク・スカイウォーカーである
『SAVE THE CATの法則』は数多くの映画をジャンル分けすると、すべてが10種類のジャンルに当てはまると主張している。そのジャンルは次の通りだ。
家のなかのモンスター
金の羊毛
魔法のランプ
難題に直面した平凡な奴
人生の節目
バディとの友情
なぜやったのか?
バカの勝利
組織のなかで
スーパーヒーロー
わかりやすいのは「家のなかのモンスター」だろう。このジャンルに属するのは『ジョーズ』『エイリアン』『ジュラシック・パーク』『13日の金曜日』などだ。あー、なるほど。
で、『ぼっち・ざ・ろっく!』が映画ではないことを理解した上で、どのジャンルに当てはまるのかと考えた場合、私は「金の羊毛」だと思う(異論は認める)。
「金の羊毛」とは、
この「金の羊毛」に属する作品は『オズの魔法使』、『スター・ウォーズ』、『ロード・トリップ』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などとされる。
もちろん、『ぼっち・ざ・ろっく!』が旅を主体としてないことは知っているが、人生自体が旅だとすれば、主人公・後藤ひとりは日々の人生で色々な人に出会い、様々な経験をし、そして成長していく。まさに、上記の定義そのものだと思う。
アニメ・シーズン1の最終回でエンドロールが流れ切ったあとの短いセリフ、
「今日もバイトか」
に後藤ひとりの確かな成長が表現されていると思う。
バイトに行くのが嫌で嫌でたまらず、氷を入れた水風呂に入って無理やり風邪を引こうとしていた彼女はもういない。
成長したぼっちちゃんの姿を見ながら、われわれ視聴者は「今日もがんばれよ」と心の中で小さくつぶやいて彼女の人生を応援するのだ。
これからも後藤ひとりに幸あらんことを!そして、シーズン2、はよ
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