小さい頃から人を疑うことが当たり前の生活をしていた。
大人になって人を信じることを初めて学んだ。
そんな私が思うのは
「人は、私が疑うほど悪い人ばかりではないし、私が信じるほど良い人ばかりではない」
ということ。

人は良くも悪くも自分中心でしか生きられない。
他人の人生を生きることはできない。
自分の感覚しか知ることはできない。
知識として、物語として、人の歴史を知ることはできる。
でも、実感することはできない。
だから、どんなに優しい人だったとしても、その人自身の人生では その人が主人公。
他人が主人公になることはできない。
どんなに僻んでいたとしても、誰かに成り代わることはできない。

環境によって、人は善にも悪にもなれる。
性善説とかなんとかって きっとなくて、遺伝子と環境によって 人は形づくられる。

すごく良い人がいたとして、その人が 心から愛する家族のために罪を犯さなければならなくなったら、どんな選択をするだろう?
「愛する家族ならわかってくれる」と言って、家族を見捨てるかもしれないし、はたまた 罪を犯すかもしれない。
じゃあ、その罪に被害を受けた人はどう思うだろう?
事情を知らなければ、大半がその人を悪人と決めつけるだろう。

そうやって、人は状況によって判断を変える。
良くも悪くも人は自分の都合で判断を変える。
だから「人は、私が疑うほど悪い人ばかりではないし、私が信じるほど良い人ばかりではない」と思う。

学生の時に どんなに仲良くしていても、大人になってから一切連絡を取らなくなるように、人は状況で人を判断する。
そのことを、ずっとずっと覚えておきたいと思ってる。

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