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涙は言葉の先の想い

夜中に。

バックオフィスや仕事とはまるで関係のない話です。

涙が出るのはどんな時なのだろうかと考えたことはありますか?

もしかしたら、そのような研究されている分野ではあたりまえの事かもしれませんが、

涙を流すという行為は、言葉の向こう側だと思っています。

言葉に表せない気持ちが涙となって溢れるのだと思います。

どんな言葉にも治らない。あてはまらない。

涙という言葉を使って自分の中から出ている感情なのだと思います。言葉の先にあるもの(言葉ではいい表せない)

言葉で説明できるのなら、言葉で治めれば良いのです。涙を流す必要はない。

でも、言葉では治らりきらなくて、溢れ出た喜び、悲しみ、憎しみ、怒り、嫉妬、妬み、恥ずかしさ、惨めさ、その他もろもろ。

涙を流すという事、感動するという事はどういう事なのか。と考える事が多く、自分的に出した答えは

言葉ではいい表せない気持ちを感じた時(気持ちの限界を超えたとき?)人は涙を流すのだという事。

言葉で表せる気持ちを超えた時なのかなと思います。わかりますでしょうか。言葉でいい表せる範疇を超えている時に涙が流れるのではなかろうかという事です。

泣くのはストレス解消に良いというのはこのためです。言葉で表せない気持ちを解放して外に出すからストレスが解消される。

今日はあるバイオリニストを通して感動を頂きました。

涙が出ました。

それは、なぜかというと、特に詳しく知らないめちゃくちゃ難しい曲のなかで、その作曲家の言いたかった事に触れられたからです。

それが何とは言い難いのですが、その人(作曲家)のいいたい事が心の底で少し分かった気がした。という事です。本気で。それが何なのか、具体的に表せるわけではありません。だから涙がでるのですね。あっ。こういう事なのかなと気付かされるわけです。

今日、私は日本最高峰のクラシック音楽コンクール「日コン」全国大会を聴きに行っていました。

その作曲家の気持ちが垣間見えたような気がする。伝えてもらった。そう思う演奏をした方はやはり、1位になられていて、先週も別のコンクールで、これはと涙を堪えられない演奏をした方が2位になっていました。

私の耳もあながち間違いではないのではないか。

そんな事を思い、完璧に自分の趣味の話をしました。

明日もがんばろう!

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シオザワモモコ

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