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こんなものがあったらいいな〜。

昨日は整体で先生と、与えることについて話していた。 

自分の持っている知恵や情報を共有せずに囲い込む人がいるね〜と。
でも本人は表向きでは「これを広めたい、たくさんの人に知ってもらいたい。」と言ってたりする。大矛盾が起こっている。
そうだねえと思いつつ、これは他人事ではないなあとも思っていた。

 

私が以前お世話になっていた気功の先生は、施術だけでなく、日頃のセルフケアも教えてくれた。他にもさらに専門的なことを教えてくれる塾もやっていて、私も一時期通って学んでいた。先生はよく、
「僕が普段みんなに伝えていることは、まわりで必要だと思った人にもどんどん伝えてあげてね。」と言っていた。

私はそんな人たちをすごい人だと思っていて、私はそんなことができるだろうかと思っていた。

私はどこかでいつも何かが足りてないと感じていて、何かを失うことを恐れていて、気づいたら囲い込むような考えで物を作って売ったり、表現活動をしていたように思う。

何かを提供して売れた自分に価値を置いていて、売れなかった自分には価値を感じないという思い込みを持つ私。


ライブ、本番まで1週間を切った。1ヶ月前くらいにチケットの販売を始めて、薄々そんな自分がまだいるなと気づいていた。数字となって教えてくれるからわかりやすい。チケットを売ることが一番の目的でないとはいえ、これに対して自分が感じる「違和感」があった。自分の中にそんな現実を生み出している何かがあるなあと。

「こんなものがあったらいいな〜」を、童心に帰って作る。
私がすごい人だと思っている人たちはこれが共通している気がする。
「見てー!聞いてー!こんなんができました!こんなん思いつきました!」って、ただ楽しそうに伝えている。それだけだ。
それが結果的にたくさんの人の手に渡ったり、知られたりすることが多い。


自分を癒すことで精一杯だったライブハウスでの音楽活動時代。
当時の私の目的は、今思えば自分が癒されることだった。
その私のエネルギーを良いと思って受け取ってくれた人もいたけど、そもそも目的がそんな感じだったから、拡大していきたいと表向きでは言っていても、なかなか難しかったのかなと思う。あの時の私は私でよくやっていた、うん、責めて凹んだりはしない。

マインドやスタンスが、与える前に(与えるってのはなんか上からに聞こえるかもだけど、別にそういう意味ではなくてね)受け取ろう、貰おうとする、得をしようとする、稼ごうとする、満たしてもらおうとする。
これではなかなか挑戦したり、拡大していきたい人は困難だと思う。

そもそも受け取る人というのは、与える人がいるから存在するので、与えることをしてはじめて世界は回りだすのだろうなと、今更ひしひしひしひしと感じている笑


私はまだ「癒されていない自分」に執着していたんだ。
傷ついているということを選んでいる。


ライブ前にたくさんのことに気づく毎日。
私の世界に現れる存在。教えてくれる存在。
私の目の前に現れるということは、私もそうなれるということ。

「こんなものがあったらいいな〜、ふふふ」
ただそんなふうに思って、楽しく創っていきたい。
与える人になろう。
こんな曲があったら私だったら嬉しいなって。

まだ間に合うかな。

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