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3月9日


2月に入ってからレミオロメンの3月9日が頭から離れない。


3月に息子2人がそれぞれ卒業を迎えました。長男は大学、次男は中学を。

例の感染症で入学式がなかったり、修学旅行が中止になったりなど影響はありましたが、特に悲観する事なく、ないなりに順応して学校生活を楽しんでいたと思います。緊急事態宣言で学校がしばらく休校だった時なんかはめちゃくちゃ喜んでいました。3人でマイクラをやったことを昨日の事のように覚えています。

レミオロメンの3月9日は卒業式によく歌われる曲ですが元々はメンバー共通の友人の結婚式用に作られた曲でその結婚式が3月9日だったからとか。

そんな歌を2月からほぼ毎日聴いていると色んなことを思い出したり、気づかされた事がありました。この記事を書きながらも3月9日を聴いてます笑

今まで私には恩師なんていないと思っていましたが、歌を聴いていて急に思い出したというか頭に流れてきたんです。あ、あの人恩師やんって。その先生は専門学校の時の先生で40代の女の先生でした。いつも背筋がピンと伸びていて女優の八千草薫似のとてもお上品な人でした。「おほほ」と笑うのが印象的でした。

私は今もですが自分の胸の内を言うのが苦手で、心を開いた相手に対しても言えません。だけど、そんなことをしていたら息が詰まってきてそのストレスが胃腸にきてご飯が食べれなくなりました。当時、寮に住んでいてその先生は寮母でもありました。体調が悪く、テスト期間が重なり勉強どころではありませんでした。案の定、テスト結果も悪くほとんど赤点でした。それで益々体調が悪くなり一時期学校を休んでいました。心配した先生が私の部屋を尋ねてきました。ただでさえ口数が少ない私はさらに口を閉ざし話しかけられても何も喋りませんでした。先生は根気よく話しかけてきます。私は口を閉ざしたままです。早く出てってくれないかな、なんて思ってました。それでも先生は話しかけてきます。私は口を閉ざしたままです。だけど何故だかよく覚えてませんが、急に涙がポロポロ流れてきたんです。「つらい」って言えたんです。でも先生は勘違いをして赤点だったのがつらいと思ったらしいんです。いや、そうじゃないと思ったけど、「まあ、いっか」ってなって不思議と心が軽くなりました。それからご飯を食べられるようになり、追試の結果も良好で先生も喜んでくれました。何故あの時涙が出たのか、つらいって言えたのかわかりませんが、きっと先生の気持ちに触れたからなのかなと。

先生とは一度、プライベートでお出かけした事があります。美術館に行き、ランチはホテルにある中華料理を食べました。行く前日に「めーいっぱいお洒落してきてね」っていう先生の笑顔を今でも覚えています。


3月9日の歌詞の中で

花咲くを喜びを
分かち合えるのであればそれは幸せ

が好きです。


もう4月なのでこの記事を書き終える頃には私の頭の中から3月9日は離れていくでしょう。と書きながら3月9日を聴いています笑。








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