rimo

保育士。 衣食住を愛おしく、人には笑いと知識と行動を✩.*˚

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最近の記事

自分が映画の主人公になる瞬間

車窓に座り、クラッシックを聴いた瞬間にそう思った。わたし、映画のワンシーンに登場してるみたい!って。 今は、斎藤工が自身のラジオでおすすめしていた小曽根真さんのピアノの音色に包まれている。 この感覚って、カフェじゃないと集中出来ないとか図書館が落ち着くって思う時と一緒かもしれない。 わたしはこうゆう時間が定期的にないとシャキンとしない。旅の途中とかも、1人で早起きして散歩したり。 現実を客観的に見れる時間なのかもしれない。 わたしはそんな時間が好き。

    • 母と2人暮らしのはじまり

      2021年12月23日に渋谷から実家の宇都宮へ引っ越しして一か月近く経った。以前、2020年に緊急事態宣言を受けて2か月自粛した時や有休消化で3週間くらい家にいた時よりも今回は一日が終わるのが早い。 それは母と暮らしているから。 一人暮らし二十年にピリオドを打ち、今がある。 母は、脊髄腫瘍の手術をして3か月入院していた。首の骨の上から六番目の骨のあたりから切開し腫瘍を取り除いた。3年近く足の痛みがあって歩けなかった理由が腫瘍のせいだった。腫瘍が首の神経を圧迫し、足や尿の

      • SNSを離れたくなるとき

        時たま、そうゆう時がある。 心を見直したい時かもしれない。あと、ワクワクしていない時なのかもとも思う。好きな人が出来ると自分の気持ちを記録に残したくなる衝動がある。記録に残しておくと、あとで見返した時に冷静な気持ちを取り戻せることもある。 わたしは恋愛したいんじゃない。20代からずっと結婚したくて恋愛してた。それは間違えだったんだって気づいてきた。 結婚は男性がこの女性としたいと思って始まる。たとえ女性からプロポーズしたとしても男性が決断することで進んで行くんだと思う。

        • 愛って、、

          親から愛をもらえなくっていい 身近な人に愛をあげたら きっと愛がもらえるよ 子どもの頃の記憶は 思い出として 受け入れて認めて 忘れられる過去は灰                                                      ただ、ありがとうって 言われたいだけなのに なんでこんなにこじれる気持ち わたしは貴女に何をしたら喜んでもらえるのかわからない ただ元気な心で笑って過ごしてほしい 稼ぐことがわたしの今までの罪滅ぼし になるのなら 精一

        自分が映画の主人公になる瞬間

          わたしを渋谷にとどまらせてくれたコロナくん

          コロナがこんなに流行る前、2020.1月半ばに母は膝に人工骨を入れる手術をした。わたし以外家族はいないので立ち会うことになるため帰郷した。 仕事を辞めることを9月から上司に話していたので夏からずーーっと有給消化の計画を立てていた。なのに、今年度に5人退職することを聞いたこと、1月にキックボクシングしたら思いのほか楽しくて、まだここで続けたいなーって火がついて家着いてすぐに上司へLINEして交換条件みたいな提案した。 母の介護休暇を1ヶ月半もらって4月からまた働きたいと。

          わたしを渋谷にとどまらせてくれたコロナくん

          執着

          おねがい わたしを執着のせかいへ連れてかないで あなたを知りたくて あなたを求めたくて  ただそれだけなのに 甘い苺のかおりが現実 ごめんね わたしの正直が あなたを困らせる あなたに寄り添いたくて あなたと共有したくて また自分よがり 新しい窓の景色が真実 あのね もう連絡しないよ 自分から あなたの呼吸とこころへ あなたの自由にエールを 未来はあなたのものだから わたしはいつも受けいれるよ

          わたしの名前

          私は父の名前から付けられました。仁美。父は仁史。弟も父の名前から付けられ、仁。 このことは小学生の私にとって、とてつもなく誇らしいことでした。なので、作文にも書いた記憶があります。今の時代にこんな名前の親子っているんでしょうか?80年代に流行っていたのでしょうか?(笑) 名前は父が決めたそうです。私は生まれた時から目が大きくて、瞳と掛けたということも聞いていました。 2021年現在、父と弟は亡くなっています。私は書道をするとき、最後に小筆で自分の名前を書くときにいつも弟

          わたしの名前

          おりがみ

          へばりつく 泥の海に埋もれて 自分の想いを吐き出せず いつもいた人が目の前に居なくなるとき 人は愛を知り 生きてゆく 角を重ね 真っ直ぐに折り目をつけて 前へ進むことに誇りをもってきた私たち それが生きるしるし 色とりどりの 正方形 でも裏はみんな同じ スクランブルの 行き交う折り紙たち 指を使って折り進めると 期待膨らむ形 愛を感じて着飾ってる

          おりがみ

          おじいちゃん

          おじいちゃんは、私が生まれた時から二人とも亡くなっていて、存在を写真でしか知らなかった。もしかして、それが物心ついて男性に甘えることに対して、なかなかできない自分がいた原因なんじゃないかと最近になって思う。 物心ついた時には、父はアルコールに溺れていた。なので、父に甘えることはできなかった。そのかわり、父に頼まれて焼酎4ℓペットボトルを弟と一緒に買いに行く時にいた酒屋のおじちゃんが、あの頃の私にとってのおじいちゃん的存在だった。 何を話していたのかは覚えていないんだけど、

          おじいちゃん

          またホームセンターで働きたい!!“姉さんの恋(ドラマ)を観て”

          高校一年生の時、土日祝日のみで地元にしかないホームセンターでバイトしていたわたし。レジ打ちは、電卓式のレジで打ち間違えに気を付けなきゃならないし、レジ袋に入れるのも店員の仕事というレジ店員としてはハードな方なんだけど、何故か楽しくて何だかんだで短大時代まで働いていた。 そして社会人になり、転職のつなぎとして派遣業をした時に掛け持ちでまたホームセンタ―のレジ打ちの仕事をすることになり、学生時代のことを思い出しながら仕事したのを覚えている。 ホームセンターがどうして好きなのか

          またホームセンターで働きたい!!“姉さんの恋(ドラマ)を観て”

          ずっと渋谷の街から逃げていた

          渋谷区に住んで4年目にして、やっと気持ちが解き放たれた。 30代は、東京という街そのものに避けていた自分がいた。どうしてなのかはわからない。本能的なものなのかもしれない。だから、京王堀之内にも6年住んでいた。実家の宇都宮のようで居心地よかったから。 今は、渋谷の街に慣れてきたっていう部分が大きいんだと思う。渋谷といってもわたしが好きな渋谷は、代々木上原とか山手通り沿いとか奥渋のゆったりとした時間が流れている場所。 渋谷で苦手な場所もある。渋谷駅付近や恵比寿、初台方面は落

          ずっと渋谷の街から逃げていた

          なぶり合い

          キムタクが「教場II」で“なぶる”という言葉を教えてくれた。「嫐」=おんなが男を困らせる 「嬲」=おとこが女を困らせる ドラマでは、いけないことという意味で捉えてたけど、よく考えてみたら 困らせ合う=恋愛 ではないのか。困らせるアクションで、相手を思いやる気持ちが芽生えたり人間関係を深める方法を考えていく過程は恋愛なのではないか。困らせるって言葉がネガティブに聞こえる。困らせる=ストーカーみたいに。 もしかすると、お互いが好きだったら「なぶる」って言葉は使わないの

          なぶり合い

          罪の声という作品に出会い…

          最近、映画を上映初日の朝ーに観に行くことが増えてきた。コロナで朝、映画館が空いてるっていうのもあるし、映画館の空気もキレイなのかもしれない。今回は、たまたま、平日休みが初日と重なりラッキー気分で向かった。朝の渋谷は、清々しい。テキパキした元気な人々が動いているから好き。コーヒーを買おうかと思ったけど、上映時間ギリギリになりそうだったのでやめた。 この映画は、ノンフィクションが好きな芸能関係のお仕事している知人がおすすめしていたし、久々の小栗旬くんの作品に興味があった。その知

          罪の声という作品に出会い…

          ナルシストという言葉の罪悪感

          なんでこんなに世間にとって良くない言葉になっているんだろ。たしかに、過度に自分が大好き!!というか、誰も寄せ付けないくらいの自分命!を醸し出している人には近づきたくないし、コスプレとか好きな人たちの集いの中で分かり合える人がいるんだと思うので否定は全くしません(^^) ただ、流行語になった言葉の威力がずーーと続いてゆく世の中に対して、 みなさん成長してください!って思います。 ナルシストって自分が好きってことでしょ?それがダメってなってません?自分を好きでいることが人に

          ナルシストという言葉の罪悪感

          声フェチ

          今までも自覚があったけれど、わたしは人の声で人を何かと判別しているなぁと、最近再確認した。「あ、この人、今本音話してないな」とか「今の声、癒されるー」とか。それって、自分にとってかなり重要!って気づいた。 歌もそうなのかもしれない。聞き惚れる感覚は、ずっと聞いていたいという感情と共に幸せにあふれる。 人が発する言葉が日常に溢れている中で、意識してみるだけで違う世界を感じられるのかもしれない。そう思うと楽しくなるよね。 五感を感じて過ごすって、お金のかからない娯楽なのかも

          声フェチ

          プロフェッショナル 仕事の流儀《黒柳徹子》を観て

          涙が出た。 テレビの中ではウソはついてはいけない、ホントを届けたい。 ずっと40年そうしてきた黒柳徹子さん。 人に対してもウソがなく、テレビが開局した時からずっと変わらないスタイルでテレビと向き合っている徹子さん。 仕事に対して、真っ直ぐ生き抜く女性でいたいとわたしは覚悟した。保育士という仕事を考える。今できること、今近くにいる子供たちに何ができるか。心から笑って、時には悔しくて泣いて、ありがとうの感謝の気持ちも表せて、とにかく素直に成長してほしい。本能のままで。その

          プロフェッショナル 仕事の流儀《黒柳徹子》を観て