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「三体」読了

フラットランド、スクエア氏の冒険、超ヒモ理論・・・
この辺りの本を読み始めてから、SFを読まなくなった。
それまでSFばかり読んでいたのに。
たぶん現実の理論の方が、ぶっ飛んでいて面白かったのだ。

私は、本は何度も読まない。
例え完全には理解できなくても、結末がわかってしまった本を読み返すのはつまらないと思ってしまう。(それは損だし問題だと思うけど、また別の話)
しかし、割と長く生きたこの人生の中で、何度も読み返した本が1冊だけ存在する。
小松左京の「果しなき流れの果に」というSFだ。 

地球の始まりから遠い未来まで、壮大な時空を駆け巡る物語。
自分の理解を超えた設定と理論に、わからないのに何度も、何度も、せめてわかった気持ちになれるまで読んだ。
「三体」はさらに壮大な、地球という星が遠く霞むほど、人類という存在までも霞んでしまうほどの、あまりに遠大な宇宙の終焉までを描ききった。

こんな感じの小話を思い出した。
とある南の島の住人は、ぐうたらであまり働かない。
都会から来た男が、もっと働いたらいいのにと言う。
どうして?と、問う島人。
お金が手に入る。
お金が手に入ったら何ができるの?
南の島でのんびり暮らせるよ。
それだったら、今やってますよ?

日々の生活にさざ波はあるけれど、今の私は、こんな時間を過ごしている気がする。
できる範囲で働いて、小金を稼いで、梅干しを漬けて、時々プリンも作る。
先のことは不安だし、頑張っても思い通りにはならないし。
でも光年先の宇宙、遠い時空の向こう、絶望的な努力の果ての果てに、見つけられるものはきっと、今の私と同じようなものかもしれない。
合わせて5冊、かなりの物量を読み切った後、思ったのはこんなことだった。
そういえば「果しなき流れの果に」でも、日当たりの良い縁側でお茶を飲んでいるようなシーンがあった気がする。
そう思ったら、泣けてきたんだ。
何で泣けるのかもわからないんだけど。


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