切愛の欠片を抱えて

俺が「愛してる」と言うと、真奈は少し困った表情を浮かべ、俺の背中に爪を立てる。
一瞬だけ強く、爪を立てた真奈は、これ以上俺が言葉を発するのを許さないと言わんばかりに、いつも俺の唇を塞いだ。

何度「愛してる」と伝えても、真奈はその返事を言葉にして伝えてはくれない。
だけど、俺の背中に爪を立てて応えるという行為そのものが、俺には真奈の声にならない言葉をだとわかっていた。

俺たちが出逢ったのは、夏の終わり、雨が降る夜だった。

一目惚れだなんて、そんな一言では片付けられない。
ただ、黙って雨降る夜空を見上げる真奈のことを美しいと思い、抱きしめたいと思った。

真奈の名前を聞く前に、俺は真奈に口づけた。
自分の名前を名乗る前に、俺は真奈を抱きしめた。

きっと、前世で俺たちふたりは、ふたりでひとつだったのだ。
真奈の声も吐息も、すべての行動が俺を欲情させ、俺を満たしてくれる。
真奈の見えない心の叫びが、俺の眠っていた情熱を掻き立て、心を乱し、真奈の心の穴を埋めようと必死だった。

完成目前で、足りないことに気づいた大きなジグソーパズルの最後の欠片だった。
俺たちは、すべてにおいてピッタリだった。

でも、真奈は決して俺のものにはならなかった。
俺がどんなに真奈の上で欲情しても、真奈の心が見えない気がした。
ふたりの距離を縮めれば縮めるほど、爪ではなく真奈の言葉が欲しくてたまらなくなっていった。

鏡の前で涙を流す真奈は、ベッドの上では見せない表情をしていた。
俺は、そんな真奈をいつも、抱きしめることしかできない。
鏡の前では、嘘をつくことはできなかった。
真奈のことを愛してるはずなのに、鏡越しで真奈のことを見つめると、その言葉が声にはならなかった。

夜が明けて、朝が来る。

「真奈」

「愛してる」と、真奈を抱きしめて、いつもと同じように言えばいいだけのこと。
俺の背中に爪を立てることができないこの状況で、真奈はどうやって俺に想いを伝えてくれるのだろうか。
どんな風に応えてくれるのだろうか。

鏡の中で真奈との視線が絡む。

俺たちは他人だった。
何度もひとつになろうとしたけれど、所詮は他人だったのだ。

「真奈」

伝えられない想いの代わりに、もう一度真奈の名前を呼ぶ。

どんなに愛しても、真奈は決して俺のものにはならない。
時には俺をその身体に埋め込み、ひとつになろうとする。
だけど、真奈と俺は本当にひとつにはなれないのだ。
遠くに離れない代わりに、これ以上近づくことも許されない。

真奈は俺の手の甲に優しく口づけた。
そっと触れるだけ。
でも確かにそこには真奈の優しい感触が残った。

夜が終わらなければいい。
そしたらずっと、真奈とひとつになっていると錯覚したまま、真奈の愛を背中で感じることができるのに。

錯覚でも構わない。
俺は真奈とひとつになりたい。
この心も身体もすべて、真奈と溶け合いたい。


fin


イラストはKojiさんよりお借りしています。

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