淡恋ジンジャー

グラスに氷を四ついれて、ジンジャーエールのボタンを押す。

私よりも全然大人のくせに、卓巳が選ぶのは、いつもジンジャーエール。
普段だったら、なんの躊躇いもなくコーヒーを選ぶ私も、コーヒーカップを戻して、グラスを手に取ると、こちらに背を向けて、窓の外を眺める卓巳に誘われるように、自分のグラスにもジンジャーエールを注いだ。

二つのグラスをコトンとテーブルの上に置くと、卓巳がゆっくりと私に視線を移す。
その時に見せてくれる卓巳の表情は、ちょっぴり淋しげで、何を考えていたのかわからなくて、時折私を不安にさせるんだ。

「……あれ、真奈、コーヒーじゃないなんて、珍しいじゃん?」

「たまには、ね。ほら、卓巳いつもジンジャーエールじゃない? だから一緒に飲んでみたくなっちゃった」

子供のころ、それこそ、まだコーヒーなんて飲めなかったころは、私もいつもジンジャーエールだったっけ。

ジンジャーが生姜だってことを知ったときは、想像とはあまりにも違うその味に驚いたけれど。

グラスにストローをさすと、氷がカランと音を奏でて落ちる。
その音が、初めて付き合った彼氏と聞いた風鈴の音に似ていて、ジンジャーエールの味と一緒に、私をあの頃へとタイムスリップさせた。

「……ジンジャーエールって、初恋の味に似てない?」

「ん……? 何だよ、それ」

卓巳の淋しげな表情が、笑顔に変わる。

「初めて付き合った彼氏がね、ジンジャーエール大好きで。私もその頃はコーヒー飲めなかったから、二人でよくジンジャーエール飲んでたなーって」

懐かしい過去。
淡い恋の想い出。

大人になった今、こうやってジンジャーエールを飲むことなんて、ほとんどなくなってしまったから。
久しぶりの味は、シュワッと口の中に甘さを残すと同時に、胸の中にも甘い疼きを残した。

「……俺のジンジャーエールの想い出も、真奈と似たようなもんだな」

何かを思い出すように、窓の外に視線を移した卓巳。
さっきまでの淋しげな表情に変わる。

一緒にいるのに、お互いが別々の時間と空間にいるようで、卓巳の口から紡ぎ出されようとしている言葉が、私を不安にさせた。

「俺が初めてジンジャーエールを飲んだのって、大人になってからなんだ」

「え? ……そうなの?」

意外な事実。
私が知ってる卓巳は、いつだってジンジャーエールを飲んでいたような気がしたから。
卓巳の顔を見つめると、すっと私のジンジャーエールに手を伸ばしてきた。

そのまま自分のグラスではなく、私のグラスに入ったジンジャーエールを飲み干した卓巳は、空になったグラスからストローを取り出すと、自分のグラスにそのストローをさした。

「……やっぱり、覚えてないんだ?」

「え……? 何、を?」

どこか不安げな表情に、胸をわしづかみにされたように呼吸が苦しくなる。
トクントクンと脈打つ心臓の鼓動。
何を考えてるのか、見えない卓巳の表情。

不安な気持ちだけが増幅していく中、それを溶かすように、卓巳が私の手を握りしめた。

「……初めて合コンで会ったとき、間違えてきたジンジャーエールを、一緒に飲んだだろ?」

そういえば、確かにそんなこともあったかもしれない。
卓巳と出会った合コン。
みんながお酒を頼んだ中、間違えて一つだけ運ばれてきたジンジャーエール。
その場の雰囲気を壊したくなくて、ジンジャーエールで乾杯した私に、卓巳だけが気づいてくれたのが、仲良くなったきっかけだったっけ。
あの時は、ストローこそなかったけれど、二人で一つのグラスで飲んだ、ジンジャーエール。
初恋の淡い想い出が、卓巳と出会ったときの想い出に塗りかわる。

「……もしかして卓巳、あの時初めて、ジンジャーエール飲んだの?」

「そうだよ。だって、あの時俺、真奈に一目惚れしたから。間違ってきたジンジャーエールだったのに、文句一つ言わず受け取って、場を盛り上げて。生姜ジュースなんて、大人になるまで、抵抗あったけど、真奈が飲んでたから、俺も飲んでみたくなったんだ」

グラスの中の氷が、少し溶けて小さくなる。
カランと奏でた氷の音。
卓巳がゆっくりとストローで掻き回す。

あの夜、たった一杯のジンジャーエールが繋いだ二人の恋。
あのときと同じように、二人向かいあって、一つのグラスの中のジンジャーエールを飲み干した。

「……それなのに、真奈のジンジャーエールの想い出は、初恋の男なんだ?」

意地悪っぽく笑う卓巳は、やっぱりどこか淋しげで、私のおでこをコツンと小突いた。

「……え、あ……ごめん。そんなつもりじゃなかったの」

「俺、淋しかったんだぞ? ジンジャーエール飲んでも、真奈が全然あの時の話に触れないから」

「……だから、本当にごめん、」

素直に淋しいと言ってくれた卓巳に、自分の手を重ねる。

包み込むような卓巳の優しさは、私だけの居場所なんだ。
あの、ジンジャーエールで始まった夜からずっと。

「俺、今度からジンジャーエール飲むのやめるわ」

「……え? どうして?」

「真奈が初恋の男、思い出すから……」

「……いや、もう思い出さないよ。ジンジャーエールは、卓巳との恋の始まりだもん。だから今度は、一緒に飲もう? ジンジャーエール」

過去の恋なんて、卓巳の存在に比べたら淡いもの。

「あぁ、仕方ないな」

卓巳は嬉しそうに笑った。

fin

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