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私は4次元を生きることができない

水曜。週に1度来る、掃除の人。

きょうはその人が来る、水曜だ。

つい昨日も掃除にきてたような気がするけど、もう1週間たったってことか。

こういう何かしら、一定の周期でくること
(例えば、友達の家が毎週水曜がカレーの日で、それをインスタのストーリーで見ることで、1週間たったことを感じる、とか)
で、比較的大きな、時間の流れを感じる。

もしこういった、周期的にやってくる目印がなかったら。カレンダーもなく、ただ毎日日が昇り日が沈む中で暮らしていく、それだけだったら、
もっと人生が長く感じるのだろうか。
こんな、1週間が一瞬で経ったりしない?
このまま、1年も一瞬でたってしまう気がする。

当たり前のことではあるけど、今生きることができるのは今日この日、この瞬間だけで、昨日、まして先週からの時間の流れを絶対的に感じ取ることはできない。日づけ、カレンダーとか、掃除の人がやってくるとか、太陽が昇って沈んだ回数を数えるとか、そういう相対的な視座にいかないと、わからない。

どこまでも私たちは、3次元にしか生きられない生き物だな、と思う。

毎年、毎月、毎日を数えていて、誕生日が来るとか、付きあい始めて何ヶ月経ったとか、大きな時間の流れを可視化して、嬉しいこともあるけど、
人間の寿命が統計的にわかっちゃって、
「人生」に対して、地球の回転を基準とした時の流れの単位、絶対的な時間で「人生」の長さが決まっていて、今自分はその「人生」の何割を終えているか、目に見えてしまう。
あぁ、もう20歳になってしまった、
(想定される)人生の約4分1を終えてしまった、と。

体感時間としては、「今まで」は全部、一瞬だった。大学受験も長くて苦しかったけど、「今」の私にとっては、「一瞬」なんだよ。

私は記憶力が全然なくて、なんでも記録して外部デバイスに依存しているタイプだからかもしれないけど。本当に、4次元に生きることができない。

もしかしたら絶対的な時間の流れを可視化しない生活の方が幸せかもしれないし、生きることに対して「これで十分」と思えるようになるのかもしれない。

そしたら時間の流れの感じ方は全部「自分」基準になって、たぶん変化の数だけ、成長の数だけ歳をとる、という感覚になれるのかな。アラフォーだから、周りと比べて生活レベルがどう、とかじゃなくて。仕事上での役割が変化した、とか、ライフスタイルが変わったとか、閉経したとか、環境、精神的なもの、生理的なものひっくるめて、自分の時間で人生を、生きることができるんじゃないか、と思う。

まぁ、そんなことしたら現代社会、しかも森の中とかじゃなくて東京で、生きていくには不便すぎるから。やらないとおもうけど。むしろちょっとした時間の流れに積極的に翻弄されて、生きていくミクロなレベルで4次元で生きていくことを選択していくと思う。FXでお金を転がして小づかいを成したりとか。そんな感じで。

たまにね、たまに、この大局的な感覚を、思い出せたら、
それでいいかな。

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