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10年ぶりにmixiにログインしてみた理由

それはなぜnoteを始めたのか?につながる。

小学校4年生だっただろうか。クラスの文集で、「◯組◯◯ランキング」なる特集が組まれていた。さまざまな「◯◯な人ベスト3」を募り、集計した結果がその冊子の見開きを飾るのである。

小学生の頃の私は特に目立つ存在ではなく、成績も運動神経も中の下だった。絵が上手いわけでもピアノが弾けるわけでもなく、印象がうすい存在だったと思う。そんな私なのでどんな項目であれランクインはあり得ないと思っていた。

それでも、「可愛い人」の3位くらいに入ってたりして!なんて期待を極わずかに持ちながら、できあがった文集を開いて驚愕した。

堂々の1位をかざっていたのである。

・・・何らかの流れでたまたまこの文を読んでいる方はこう思っているかもしれない。

「作文が上手い人」1位に選ばれて、目立たないと思っていたあなたが文才に目覚めたのね。はい、おめでとー。よかったね!

生温かく受け流して離脱するのを少し待ってほしい。

私が選ばれたのは作文が上手い人でも可愛い人でも、早く結婚しそうな人でもない。


文句が多い人


・・・第1位だった。

地味に、目立たず、かと言ってクラスの平均点と対抗リレー等で著しく足を引っ張らない、というポジションをキープしていたこの私が、突然公開処刑された。

親も見てるんだぞー!

こういった文集でワーストランキングの槍玉にあがるのはお笑い担当のお調子者男子と相場が決まっており、将来浮気しそうな人、ニートになりそうな人などが該当する。

「えー◯◯くん浮気しそー」

「しねーよ俺は真面目だよ!」

とかなんとか、もう勝手にやっててほしい。

どっちにしろそっちは"イメージ"じゃないか。イメージと実態が乖離しているというのはよくあるし、それがギャップとなってかえって好感度が上がるなんてこともあって逆においしいことすらある。

それに対して「文句が多い」は事実を根拠にしたダメ出し。ランキングの項目は決まっておらず、各自が好きに「◯◯な人」を選出していたのだが、偶然にして、私のことを「文句が多いな」と思ってランキングにした人が数人いたということだ。

というか、担任(編集長)!

個人攻撃・悪口、許しちゃいかんだろ!だいたい文集というものは生徒の普段見られない(プラスの)一面を見せるもので、ほっこり思い出になるのが目的である。成績に影響しないんだし、良いことだけ書いてあればいいのだ。ここからいじめに発展することだってある。編集方針に問題あるとしか思えず、まったく文句のひとつも言いたくなる。

それがきっかけで編集業に興味を持ち、現在にいたるーーー

なんてこともなく、ただただ担任の先生を恨んだ。

とは言えその時、自己認識と他者評価が意外に異なるということを目の当たりにし、そこからなんとなく自分が置かれた状況を俯瞰でみるクセがついた気がする。

それから大人になり、新卒で入った広告・出版社の新規営業が嫌で一年半で退職したり、次に拾ってもらった小さな新聞社でも営業が嫌で突然中国に行きたくなって一年足らずで辞めたりしたのだが、いずれも気が向かない仕事を避け、嫌なことから逃げ、小学生4年生の頃に友達からダメ出しされた「文句が多い」というのは極めて妥当な忠告だったのだなと思い知らされた。

溜め込むことができない。どこかに発散先を求めてしまう。

そんな私の性分にぴったりなサービスが、ちょうどその頃誕生した。SNSだ。

最初に始めたのはmixiだった。2000年代初めだったか。mixiで日記を書いたりコミュニティに参加して趣味を共有したりして発信欲を満たしていた時期があった。

mixi楽しかったな。あの頃マイミク(懐かしい!)だった人はどうしているだろうか?

そう思って、ほぼ10年ぶりにmixiにログインしてみることにした。

メールアドレスとパスワードを奇跡的に覚えており、無事ログインできた。

久しぶりに開くmixi。面倒なのでアプリなんか落とさずブラウザで開いたのだが、なんとも使いにくい。そういえば、mixi全盛期はスマホはなくて、パソコンで見ていたのだった。そこも懐かしい。

mixiの私は変なニックネームをつけていた。かすかに覚えている。マイミクさんはというと、みんな退会しているのではないかと思いきや意外にもほとんどの人が残っていた。もちろんログイン履歴はほとんどなく、私と同じ放置アカウント状態なのだろうが。

当時リアルでも友達だったが今となっては連絡先もわからず消息不明の人もいる。そんな人ともmixiでは今でもつながっているのだ。頑張れば連絡とれるのだろうか?ニックネームが難解すぎて誰だ誰だかわからなくなっているので難しいか。

そして、あった懐かしの足跡!この足跡が嫌だったりちょっとドキドキしたりしたものだ。今は足跡残さない方法があるらしい。

コミュニティを覗くとほとんどが更新を停止していたが、唯一、江頭2:50のコミュニティだけは、健気なファンが更新を続けていた。なぜ私は江頭のコミュニティに入ったのだろう・・・謎だ。

私は行ったことなかったが、コミュニティのオフ会とか結構盛んだったことも思い出した。そういえば、当時好きだった芸人が作ったコミュニティで芸人本人とやりとりしていたこともあった。あの芸人さんは今どうしているのだろう。

そしてこれがメインイベントなのだが、あまり気が向かないが当時の日記を読んでみることにした。

初投稿は2004年春だった。17年前か。

「ずっと学生でいたい」などとトイザらスのCMのようなことを長々と書いていてあきれた。日記を読み進めると、当時好きだった芸能人への愛をしたためたり、合コンで飲みすぎてゲロ吐いた話などを恥ずかしげもなく公開しており、どうにかしてやりたくなるのだが・・・・・・何より17年たった今も当時から1mmも成長していないことを目の当たりにして落ち込んだ。

落ち込みながら最後に書いた日記を読んで、記憶が混乱した。投稿したのは2012年だ。

結婚が決まった。20代ギリギリ滑り込み。彼が実家に挨拶にきた日、寿司屋で会食となったわけだが、父は「あ、そういう話だよね」ってかんじでやや構えてて、わたしは彼が今切り出すかどうか、とジリジリしてたのに、母と来たら独壇場、マシンガントーク繰り広げて、、まったく空気が読めない。なんとかタイミングを図って、結婚するお許しを~となったときは食事開始から2時間近く経過していた。その時の父の反応というと、「ふたりで覚悟決めたのならそれだけだ」とかなんとか。というわけで、無事に嫁にいく。

いや、私、2012年に結婚してねえ。

どういうことだ、誰だ君は。

両親に結婚の挨拶までしているということはそれなりに覚悟を決めているはずだろうに、そんな覚えはない。

アカウントを乗っ取られたことまで考えたが、文面の口語感と言葉遣いの雑さを見るに、紛れもなく私だ。

一生懸命記憶をたどった結果、仕事が嫌で無理矢理結婚に逃げようと、とりあえず親に挨拶したことを思い出した。

しかもそれは付き合って間もないころだったはず。典型的な舞い上がり&逃げ婚だ。まったく私らしい。私も私なら相手も相手なのだが、金なし定職なし若さなしのどう考えても結婚すべき相手ではなかった。

結局、付き合いたての浮かれた気持ちが落ち着くと同時に、相手の怪しさも見えてきた。結婚したら仕事を辞めても大丈夫だと言っていたはずだが、男はプー太郎だった。結婚しても仕事からは逃げられないではないか。そのあたりでようやく我にかえり、仕事を踏ん張ってみるか!と腹を括ったのだった。当たり前だがその男とは別れた。

あの時結婚しなくて本当によかった。頑張れない私がギリギリで頑張った結果、今もあの時と同じ会社にいる。そして、mixiの衰退と平行して私もmixiからフェードアウトし、かわりに仕事で執筆できるようになっていった。

今私がnoteを書くのは、mixiの頃のようにただ気持ちを発散し、かつコメントやいいねがほしいという欲求だけではない。自分を客観視し続けることと、気持ちをできるだけ丁寧に言葉にすることを習慣にしたいと思ったから。そしてできれば、私が書いた文章を誰が読んで一瞬でもクスッと笑ってくれたら嬉しいな、という願いを込めてのことだ。

とはいえ、仕事とは別にありのままに書きたいことを書くのが単純に楽しいから、なのかもしれない。10年ぶりに読んで赤面しないような投稿にしよう。












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