私にとっての「歌う」こと
暇すぎる時間ができたので、書いてこうかなと思います。
最近私のことを知って下さった方は、私の歌で知ってくださってると思います。
今でさえ皆さんに「歌が上手な子」と覚えてもらえるほどに成長出来ましたが
昔は本当に音痴でした。笑
WiiUのカラオケゲームでは、声が入らず音程バーは反応してくれず
持ち歌は学校で歌っていたカントリーロードと小さい頃から歌っていた涙そうそうだけ。
妹が「カラオケ行きたい」というのに「カラオケなんて楽しくないから行きたくない!」と言っていました笑
中学校3年の夏、声優を目指しだした私は
「やべえ 声優 歌えないとだめだわ」
という事に気付きます。笑
母親に突然の「私歌上手くなる!!」宣言をし
高校受験勉強そっちのけで歌の練習を開始しました。笑
その時の母の
「おし、わかった!!
じゃあまり、音取ろうか!!!」
という言葉を今でも覚えています。笑
つまり、私は14、15まで音さえ取れない音痴だったということです….笑
私の歌の練習方法と言うと、とにかくこう歌えるようになりたい と思う人の真似をして歌って、それを録音しまくるという方法でした。
妹のために母が買ったボイスレコーダーが運良く2つあり、声優の演技の練習でそれを使って録音していたので、その流れで歌にも使ってました。
あとは録音した自分の歌をひたすら聞きます。
それをずーっと続けていたら
いつの間にかステージで歌っていました笑
妹に昔「その気持ち悪いビブラートやめて!!!」と言われたくらい下手くそだったビブラートも
今では私の売りになりました。
ずーっとメインでアニソンを歌っていた私ですが
演歌をずっと歌っていた妹と美空ひばり記念館に行ったことにより、昭和の歌好きに火がつきました。
そこからというものの、カラオケでは昭和の曲ばかり聞き
レコードを集めて聞き
学校への行き帰りにずっとちあきなおみさんや弘田三枝子さんなど、好きな昭和の歌手の歌を聞き続けました。
オールディーズや昭和の曲が好きな祖母に、泊まりに行った時に深夜まで曲を教えてもらったり、祖母と「この曲が好きなんだよ〜」と2、3時まで語り合うこともありました。オールディーズを聴きだしたのは祖母の影響です。
その辺りで、ゴリゴリアニソンの癖があった私の歌い方が今の昭和歌謡などに合わせた歌い方になりました。
そんなこんなで今の私の歌はあるのですが
私にとって歌は、ここ数年の自分の武器でもあり
生きていく上で無いといけないものでした。
自分を認めてもらえるひとつでもありました。
でもここ数ヶ月「もう歌いたくない」って思うようになってしまって、ちょっと離れてました。
でもやっぱり まりのちゃんの歌を聞きたいって言ってくれる人がいて
歌を辞めないでねって言ってくれる人がたくさんいて。
すごく元気をもらったし、やっぱり歌いたいって
思うようになりました。
10月から半年 オーストラリアに英語を学びに行ってきます🇦🇺
オージー英語ってちょっと変わってますが、英語だし!!笑
英語の発音めちゃくちゃよくなって、上手くなってやろうと思っているので、帰ってきたらまたどこかで歌えればいいななんて そんなことをぼんやりと考えています。
また皆さんの前で笑顔で歌えるように
頑張りますね
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?