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【定期】比較による卑屈モード発動

人生何回目だろう。
人と比べて、私はダメだ…と落ち込み、あわよくば比較相手が堕ちてくれないかな〜などと極めて卑劣なことを思ってしまう、この現象。(流石に名前ついてる?)


比べたって仕方がない。
相手は相手、私は私。
それぞれが独立した人生なのだから、相手が堕ちたからって私が上がるわけではないので、自分が上がる努力をするしかない。
また、相手は相応の努力をした結果あのように素晴らしいわけで、頑張りきれていない私が「堕ちてくれ」なんて思うのは甚だおかしい。
表には見えてこない苦労もあるのだろうし。
私だって、見る人が見たら羨ましく思える要素があるのだろうし。
本当に、人と比べて落ち込むことほど「無駄」で「非生産的」なことはない。
そればかりか相手の失墜を願うなど、あまりに恐ろしい。

と、わかってはいる。
頭では十二分にわかっているし、人と比べて落ち込んでいる人を見ると「アホやなぁ」と思うのに、なんでか毎回ちゃんと落ち込んで卑屈になり、よろしくない嫉妬をしてしまっている。


あぁ。
なんで私はこうもダメなんだろう。
本業もなかなか成果を出せていない。自分からやりたいと手をあげて社内でたくさんの人を巻き込んで進めている新プロジェクトも後ろ倒し後ろ倒し、オフトラックオブオフトラックで。
コーチングも87人以上の方に練習につきあってもらったのに、なんだか腕が磨けている実感がない。
自分の事業も、「本業とコーチングでHPが底を尽いているので」と言い張って、100人コーチングが終了する8月中旬以降からやろうと決めているくせに、「進んでいない」とずっとモヤついている。
インフルエンサーの端くれだと自認しているくせに、発信を頑張ることもできていない。InstagramやVoicyが悲惨なのは前からだが、最近はTwitterまで開く頻度が下がってきてしまった。情報を仕入れるのもなんだかしんどくて、他の人の発信もあまりチェックできていない。
PR案件が来ると、「私なんかに頼まないでくれ、ROI悪いからどうせ」と不貞腐れながらスルーしている。

パートナーとも喧嘩が多い。しかし親からは定期的に進捗確認がきて、地味にしんどい。

最近ちゃんと自炊もできていない。キッチンに立ってもTKGやパスタばかり。
せっかく3-4月に落とした体重もあっという間に戻ってしまった。二の腕を出す服が好きだが似合わない。妊娠7ヶ月か?ってくらい、下っ腹も出ている。醜い自分の体を直視するのが嫌で、風呂場の鏡は意図的にしばらく水アカだらけのままだ。それでも日々の楽しみはやはり食事とお酒で、これをやめるのはつらい。無理。

そういえば、育てやすいと噂のシソとオリーブと多肉も全滅した。

部屋の片付けもできていなくて、いろんなものを積み上げたたくさんの小山がアルプスのようにそこここにあり、視界がうるさい。
おしゃれな部屋にしたくてイエローグリーンのカーテンを買ったのにサイズが違って長さが足りていないし、一緒に買ったオレンジのソファも洗濯物置き場と化していて座れない。
あぁ、寝具も洗濯しなきゃ。毎日あんなに汗をかいているのに…どれだけ雑菌が繁殖しているのか想像もしたくない。
トイレも「サボったリング」ができて久しい。ずっとサボってるリングに進化している。
お風呂の排水溝は、髪の毛がつまってほぼ毎晩お湯が流れなくなる。
そもそもお風呂に入るのがだるくて「ほぼ毎晩」は嘘だ。
毛量の多さゆえ篭りやすいのか頭皮の匂いが気になりやすいので、Aesopのルームスプレーを頭に振りかける始末。
洗濯も面倒なので、着る下着がなくなってからようやく回す。そして回したことを忘れてドーナツ状に固まって湿っぽいイヤ〜な臭いを発する洗濯物をもう一度洗濯したりする。


…と、このように自分のダメさを挙げ始めるとキリがなく、何もできていない救いようのないクズのように思えてくる。(思えてくる、というかクズである)


ちなみに、こんな時は人に相談しても無駄だということを、私はよくよく理解している。
私の周りにいる人たちはとても優しいので(優しい人しか周りに置いていないので)、私が自分はクズだ何もやる気がしないもうダメだと嘆くと「そんなことないよあなたも頑張ってるじゃない」「たまには休息も必要だよ」と温かい言葉をかけてくれるに決まっているから。

その言葉たちは確かに嬉しい。ありがたい。
でも、自分でも思いつく範囲内というか、自分で自分を慰めるために「ダメになったときに自分に言ってあげる言葉集」に入っているので、それを自分に言ってあげた上で現状それでも「私はダメだ」が上回っている状態である以上、あまり意味はないのだ。

私も側から見たら頑張っているように見えるんだろうし、人間たまには休息が必要なこともわかっている。
ただ実態は大して頑張っていないし、わりと休んでいる。それは私が一番よく知っている。
で、このザマなわけだ。手のつけようがない。

よって、共感も擁護も激励もいらないのである。


欲を言えば、私のことをプラスにもマイナスにも評価せず、私の卑屈モードを深刻に捉えず、まぁ酒でも飲もうぜと言ってくれる、全く関係のない話で盛り上がれる、そういう相手を求めている気がする。
「ふぅん、てか猫カフェ行かね?」くらいのラフさが恋しい。

卑屈モードから現実逃避させて欲しいのだと思う。
相手さえ間違えなければ叶うのは早いし、なんなら卑屈モードになっていることを話さなければもっと早いのかも。

その相手は極力好き勝手生きている人が理想的だ。
逆に、意識高く頑張っている人には、この卑屈モードの時には会わない方がいい。どんな未来が待っているかわかりやす過ぎる。


ということで、比較による卑屈モードになった時の私のアクションプランとしては、自分の中にブワーーーーッと湧き起こる葛藤を「おうおう盛り上がってんな」と野放しにして好きなだけ騒がせておき、その傍ら、好き勝手生きてる友人に声をかけ飲みに行く。好きなものを食べ酒を飲んでよく寝る。以上。

それがちゃんとできれば大体1〜2日でこのモードは終わり、まぁ私は私なりに頑張って生き抜いていこぉ〜くらいのゆるいテンションに戻っていることが多い。

改めて、卑屈モードの時は誰のどんな良いニュースも歓迎できないので、なるべく早く脱するに限る。と、つくづく思う。

本当は私だって、友人の良いニュースは心から100%の純度で一緒になって祝いたいし、そういう気持ちから出てくる真っすぐな言葉を贈りたい。
ただ私のコンディション次第で、友人の良いニュースが卑屈モードのブースト剤になってしまうことがわかっている。非常にやるせない。私が未熟なばっかりに。
いつ良いニュースが飛んできてもいいように、常に自分を整えておく必要がある。
まぁ、それが難しいから何年も卑屈モードと戦っているわけだけど。


つらつらと書き殴ってみました。
今、卑屈モードになってる人がいたら握手しましょう。そしてお互い早めに脱したいですね。
ここ最近私に飲みに誘われた人は、そういうことなので、ぜひ気楽に適当に飲んでもらえたら嬉しいです。笑

(また、誰のためにもならなさそうなものを書いてしまった)


ではまた次回!

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