最内翔
その時々のタールのように重く生々しい想いを、感情を削りだすように言葉に乗せた記事達。 他のマガジンにそぐわなそうなのを雑多に放り込んでいるので数が多い。 実は無いがドロドロとした感情だけが煮詰められている。
③活動の流れ/過去に試みては投げ出してきた試みの軌跡。 今はやってないものが多い。 読みづらい物も多いが、ここ数年のターニングポイントに書いた記事を選んでいる。
引きこもりや、HSPという特性を持った自分の経験を元に、 その心の構造や、問題点を分析した論説的な奴です。 ひたすら内省して出た答えを削りだして言葉という形を与えている。 ピックアップ記事にするほどきちんと纏めていないのが多いので読みづらいかもです。
②どんなことを喚いている人物かを知るならこのマガジン/ 時たま書いている見出しなどで体裁を整えている記事を集めている。 書いてる内容はわりとファンキー。
①自己紹介や特性なのを確認するマガジン/最内翔の自己紹介や、活動についてまとめた物です。 始めて最内翔を知った方は、まずはこちらからお読みください。 自己紹介を何度か書いているという感じなので、読みやすそうなのを選んで読んでください。
唐突ですが、HiÐΞとレンタルニート先生という活動を始めました。 HiÐΞはweb3.0に対応したnoteみたいなブログサイトです。 以降、多くの記事をHiÐΞとnote両方に投稿したり、noteをHiÐΞに転載したりしていきます。 HiÐΞの初回投稿として、ニート先生についての記事を投稿しました。 以下その転載です。 レンタルニート先生、開始!①レンタルニート先生とは ふと、誰かと話したくなる時ありませんか? でも今すぐ話せる友人は、意識高い話題に乗っ
世の中には正義が溢れている。 ・誰々が脱税をした ・政府は○○を是正すべきだ ・今の苦しい現実は××の怠慢にある こんな話は掃いて捨てるほどネット上に溢れていて、往々にして過激な言葉で目を引く。稀に気まぐれで開いて見ては、正義は我にありと声高に叫んでいるのが目に怒鳴り込んできてゲンナリする。 まぁ、ただの愚痴だ。 誰かを糾弾して息巻いている人たちは、いったい何がしたいんだろうか。 正直、まともに考えてはいないがまぁその人達が言っている内容は、きっと道理なのだろ
最近、思うことがある。 人は、結局の所好きなようにしか生きられない。 厳密には己を枉げた生き方をすることも出来るがそれはいずれ歪みを生み、他者の生き方をも歪めようとする人間になる。 世の中はそういうもんなのだという価値観を他者に押し付ける人間に。俺も諦めたのにお前だけズルいぞと、認めないという人間に。 だからやっぱり、好きなように生きた方が良いのだとは思う。 だが、当たり前だけど誰もが好き勝手に生きられるわけではない。 世の中の殆どは思い通りにならないことばかり
おそらく、俺にとって「甘え」という概念は一生涯のテーマだと思う。 俺は甘ちゃんだ。高すぎる理想を諦めきれず、現実逃避をしたまま三十年生きてきた人間だ。 人は、色んなものを諦めながら大人になっていくという。 逆に言えば、色んなものを諦めて身の丈を知り、現実を受け入れた人物を大人というのだろう。 齢三十にもなってまだ現実から目を逸らし、空想の中に耽溺している俺は、きっと嘲笑に値するクズなのだろう。 今、また何度目かも分からない足踏み期に入っている。 方針が決まっ
現実を識って尚理想のために戦える人でありたい。 一方的正しさや理想論ではない。 現実に頭を垂れ反抗する人を嗤うのではない。 世の中はこんなにも思い通りにならない。 誰もが更なる何かを欲していて、いつも不満を感じている。 飽くなき人の欲望は、今あるものを当たり前と感じて足りないものを夢想するから。 でもそれが最終的には人類にとって良い未来に繋がると思うから、俺はその欲望を肯定したい。 人の一番の力は数だから。最終的には多くの人が幸せを感じられる優しさが、多
この世は嘘で満ちている。 欲で塗り固めた泥の地面を偽善の苔で覆い、虚飾の花で飾った地上に更にそれらを積み重ねて文明は成り立っている。 その地表を少し剥がしてみれば、混沌の沼。人間の本性がある。 僕ら人間もその文明と同じく、混沌の沼の泥を捏ねた人型であり、偽善の服と虚飾の宝石を身に着け互いに笑い合い、時折その本性を覗かせる。 今の一見平和に見える世界なんて、薄氷の上に建てられた砂上の楼閣にしか見えない。見えなかった。ひとたび窮地に陥れば、乱世になれば、食うに窮すれば
あと一週間なので今年も振り返りを行っておこう。 そう思って過去記事を見ると、成程、これが俺の変遷か、と感じた。 どうにも昔の俺はまだ余程人間らしい。人間らしい葛藤と情動が垣間見えた。 行動 今年どんなことをしたかと問われれば、まぁ大きくは変わっていない。 変わらず基本的にはひきこもりで、自立訓練施設に通っているといった具合だ。それも後数か月で期限が切れるので、そこを見据えて準備をしなければならないが。 後は昨年までと比べて、幾分仕事をした、というのは変わったとこ
先程このシンポジウムをオンラインで視聴してきたので、色々と思う処を纏めていこうと思う。 基本的には当事者である自分自身の経験と分析を基にした私見であることはご了承いただきたい。 まず最初に断っておきたいのは、私個人としてはひきこもりにオンラインを通じたアプローチを試みること自体はそう悪く無いアプローチだと思っている。が、それ以上ではなく特別効果的なアプローチとまでは思っていない。 ひきこもりがオンラインと相性が良さそうだと思われる理由は幾つかあるが、最も分かりやすい
何が「正しい」のか、或いは「正解」なのかが分かっている時代。 そう今を表現できると俺は思う。 どうすれば効率が良いか、どうしなければならないのかが、自分で試す前から調べれば分かる時代。或いは、念入りに刷り込まれている時代。 何が正解か分かっているというのは一見悪い事でない用にも思えるが、その実結構デメリットも多い。 分かっているが故に、「分かっていてなんでしなかったのか」と非難される。それを恐れて何もしなくなる。 自分で失敗しないと何故その正解以外の選択をする
昨日、KOMORIBITI FESというのに参加してきた。詳細については以下参照。 参加した感想を一言で言えば、「面白くなかった」だ。 当然これは、楽しくなかったという意味ではない。COMOLY内で知り合った方々とちょっとしたオフ会みたいなのも出来たし、参加者の発表も楽しめた。色々と学ぶところも大きかった。 ただただ、「自分が賢し気に見切りをつけた企画がそれなりに終わったのが面白くなかったし、そんな自分への自己嫌悪に呑まれた」というだけの、極めて浅はかな感情だ。
結局のところ、俺が最後に諦めなければならなかったのは、やっぱり自分なのだろう。 俺は、格好いい人間になりたかった。 ぐぅたらで、面倒くさがりなわりに計算高くて、力はあって、でも最後に残るのは誰かを守りたいという熱い甘さ。 一ノ瀬グレンやルルーシュの名を並べるまでもなく、俺はずっと、そんな主人公に憧れ続けて生きてきた。 だが、まぁ。なんというかこれはダメだ。俺には無理みたいだ。 根本的に俺は人を見下している。信用していない。 俺自身も含めて全ての現実から、理想に
先日、東京ゲームショウに行ってきた。本来こういうイベントには縁のない人間なのだが、たまたま友人がチケットを沢山もらったということで譲ってくれて、それならばと体験してきた感じだ。 表向きの綺麗な感想を覗けば、実を言うと見て回っている最中の俺の一番の感想は「金が掛かってるし、金が掛かるな」だった。 最新の技術に沢山の演者、広い会場に大勢のスタッフ。美麗な3Dがグリグリ動き、大画面でVtuberが笑っている。ステージでコスプレをしたがダンサーが踊り、有名プロデューサーが生講
昨日寝る前にふと、俺はどうやって自己受容を進めたんだろうと振り返った。 俺は、自己肯定感は低い。自己否定が基礎にあることは変わっていない。だが自己受容は概ね完了しているとは思う。まぁ、相当回りくどい手順を踏む必要はあったが。 ①自己受容とは明らめ 自己受容は、自己肯定とは違うと俺は認識している。自己肯定は「良いじゃないか」の精神、自己受容は「仕方がない」の精神といった具合だ。 自己受容は自己否定から出発している。自身のあれこれを否定し、望ましくないものを望ましくないま
ここ最近、優しさについて考えていた。 自分の言葉が、論理が力を持ちすぎているのではないか。 他人の在り方を枉げてしまうのではないか。 そんなことばかり考えていたけれど、少し答えが見えてきた。 既に出していた答えに何度目か、行きついた。 結局のところ、俺のそれはやはり優しさではなかったということだ。 ただの自己陶酔に、自己顕示欲に過ぎなかったということだ。 「俺の考えた完璧な哲学を知らしめたい。理解して欲しい。尊敬して欲しい。」 そういった我欲に過ぎなかっ
最近繰り返し思うことがある。 「望まぬ結果に意味を見出すのが人間」 これは、機械を対比対象としての言葉だが、やはり人間と言う奇妙な生物の本質であり、俺にとっての人間礼賛の根拠なのだろうと。 俺は親ガチャという言葉が嫌いだ。社会不適合者という概念を鼻で笑う。大量生産大量消費に物申す。幸せという基準に、待ったを掛ける。 繰り返し主張していることではあるが、人の一生に優劣は無い。良し悪しを決められるのは自分自身だけであって、他者の人生を評価出来ず己のただ一つのサンプル
私は賢く、経験豊富だ。 並外れては居ないけど、人並み以上には悩んで乗り越えてきた。 凡その人がそんな風に自身を評価しているのではないかと、ふと思った。 凡その人、即ち「凡人」。 自分は人生というものが分かっていて、社会を分かっているという、自負。或いは、思い込み。 そしてこうも思っているんじゃないだろうか。 別に頭が良いとは思わないけど、冗談や自虐ネタではバカだとは言おうとも、今聞いた話に対する理解力は普通に人並みであると。 世の中の会議の半分以上の時間は