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あの時のひとに、僕はなっているのかも知れない

上の子がおしゃべりが上手くなってきた4歳くらいの時、子どもが話す言葉が可愛く、限られた語彙の中から選ぶセンスが楽しくて、インタビューと称して、いろいろな質問をした記憶があります。

その中で、子どもの将来の夢を聞いた流れから、「お父さんは、大きくなったら何になる?」という質問をしたことがありました。

子どもなりに、親の適職というか、どんなふうに見えているのかなと興味があったのでした。

答えは、

お手紙屋さん

でした。

なんとなく気がついて、郵便屋さんのようなひとかな?と思って聞き返すと、そうじゃないよ、と首を振られてしまいました。

お手紙を書くひとだよ。

とのこと。子どもながらの根源的な単語だけで構成された職業の神々しいこと(笑)ちょっと感動してしまいました。

いまや、このnoteで毎日更新しているけれど、その時のことをよく思い出します。いま僕は、お手紙書いてるのかな?誰に読んでほしいのかな?そんなふうに考えて書いたとき、その投稿は僕に力を与えてくれるような気がします。

振り返ってみると、モンブランや読んだ本の話は、誰かにシェアしたい気持ちから(その割には暑苦しいものがあるけれど)。

今年から始まった“創作大賞感想”は、その最たるものかも知れません。書き手に感謝を伝え、読み手にはおすすめする、僕自身が読むことと書くことの距離の近さを感じた日々でした。

そのほかにも、夏休みシーズンのWFPのチャリティーエッセイコンテストや、ブックサンタなども、いわば投稿のネタとして書くことができました。

お手紙を書く、とは本当に手紙の形式で綴るものだけでなく、エッセイや書評という形でも実現できるものかも知れません。

今年は、今まで画面の中の名前と文字だけだった方々が、目の前にひとりの人間として立ち現れるようなことを体験できた年でした。

いま考えても、どう考えても、幸せなことです。

毎日投稿していると、僕の場合は、なかなかうまく書けないなぁということがほとんどです。

理由はいくつもありそうですが、それを言い訳にして書かないでいたら、その時の気持ちや見えた景色を忘れてしまいそうです。それが悔しくもあり、残念でもあるのかも知れません。

書いてよかったと思うとき、それはスキが多くついたときよりも、どなたかからコメントや帯(Xでの紹介文)をいただいたときです。

投稿企画に参加することで、普段なら考えなかった、見えていなかったことを言葉にできることがありました。

コンテスト用にと、普段とは比べ物にならないくらい時間をかけて書いた投稿もありました。

時間が経って、また読み返したとき“書いてよかった”と感じられるのも楽しみです。

今年も、たくさんの方に読んでいただきました。人生で、2万回もスキと伝えてもらえることなど滅多にありません。ほんとうに、ありがとうございます。

よく読んだクリエイターさん、もちろんお三方だけではなくて、たくさんいました。僕自身、読んでもらって嬉しいことは重々承知しています。

確実に、全部、というのが苦手なので、無理なく楽しく読み続けていきたいと思います。

まだ、今年は残っていますが(笑)、活動記録を見ながら考えていました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました! サポートは、子どもたちのおやつ代に充てます。 これまでの記録などhttps://note.com/monbon/n/nfb1fb73686fd