見出し画像

やればできるの感覚を手に入れた「私の高校受験」

 私は小学校の教諭をしています。教育の中で大切なのは、非認知能力であるという事を最近は様々な著書で書かれています。非認知能力とは簡単に言うと、数値で測ることのできない人間的な力を言います。例えば、コミュニケーション能力、がんばる力などが挙げられます。確かに、社会に出て活躍している人を見ると、コミュニケーション力に長け、粘り強く目標へとたどり着く力が身に付いている印象があります。そして、この非認知能力を育てていくために大切なのが、自己肯定感、自己効力感、自己有能感と言われたりしています。
 それぞれの意味を簡単に説明すると以下のようになります。

①自己肯定感・・・自分のことをありのまま受け入れ尊重する感覚
②自己効力感・・・目標に向かって、自分にはできると信じることができる 
         感覚
③自己有能感・・・誰かに必要とされているという満足感

 これらの大切な感覚を得ることが非認知能力を育む上では大切です。私は、自分が何かをする上で、なんとなく「頑張ったらきっと上手くいく!」という感覚を持っています。その根底にあるのが高校受験の体験です。今回は、私の高校受験の体験をnoteに書いていきたいと思います。

1. 勉強なんて分からなくていい

 私は小学生のときも勉強があまり好きではありませんでした。好きなスポーツをしたり、趣味の釣りを楽しんだりしていて、勉強は二の次でした。また、視力も悪くて黒板の字が見えにくく、それでも眼鏡をかけることを拒み続けました。眼鏡を拒んだ理由は、単純に恥ずかしかったからです。そのため、黒板の字が見えないまま過ごし、勉強が全く分からなくなりました。そんな状態が小学校高学年から中学2年生まで続きました。中学校のテストも5教科の合計が200点~300点前後だったりしましたが、別に困ることもありませんでした。勉強なんて分からなくても、日々の遊びは楽しいし、全く問題なしでした。なんならテスト期間中も釣りに行ったりしていました。両親には多少怒られた記憶はありますが、勉強が分からなくても平気でした。

2.無謀な目標を持った中3の夏

 勉強なんてどうでもよかった私が、勉強に関する目標を持ったのは中学3年生の夏でした。そろそろ部活も終わり、将来のことを考える友人が、「医者になる!」や「京都大学へ行きたい!」などと言っていたのがきっかけです。友人が「京都大学へ!」と言ったときに、私もそこに魅力を感じました。なぜなら京都は、私の住んでいる都道府県からは離れていて、知らない土地に住んで好きだった釣りを楽しみたいと思ったからです。そこで友人にこう聞きました。「京都って釣りできるかな?」と・・・。今思えば、釣りはどこでもできるし、なんてアホな質問だと思いますが、友人から返ってきた答えは「めっちゃできるでしょ!」でした。それを聞いた私は、「僕も京都大学へ行く!」と答えたことを覚えています。そこから、京都大学は学力が高いことを知り、それなら高校も進学校へと目標を持つようになりました。

3.数学9点、英語6点の夏

 中学3年生で、5教科の合計点が200点~300点前後だった私が無謀にも進学校を目指すわけですが、まずは人生で初めての通った塾で洗礼を浴びました。中学3年生の夏に部活を引退し、友人とともに町内の有名な進学塾に入塾することにしたのですが、そこには入塾テストがありました。テストの点数によってクラス分けをするのです。そして、点数によって座席も決まります。その入塾テストの結果が散々で、100点満点のテストで数学が9点、英語が6点という散々な結果でした。周りの友人が私のテストを見たときに、「それはやばいでしょ。」と言っていたことを覚えています。正直恥ずかしかったです。私自身これはやばいなって思いました。そして、ここから勉強スイッチが入りました。

4.7か月で3年分の学習をした高校受験

 これはやばいと思った私は、夏休みから必死に勉強しました。小学生5年生の算数で習う「円周の長さの求め方」を中学3年生の私は知らなかったし、中学1年生の英語の内容もよく分からない状態からのスタートです。夏休みから、中学1年生の教科書や参考書からやり直しました。分からない問題があれば恥を覚悟で塾や学校の先生に聞きにいきました。長期休みには、毎日の学習計画をしっかり記入し、毎日どこまで学習するかを計画しました。毎日計画した通りに学習できたかをチェックしていきました。なんとなくタスク処理のような感覚でしたが、これが私にはとても楽しかったです。
 そんなことを続け中学3年生の冬前には5教科の合計点が450点を超えたことを覚えています。周りの先生からも「人が変わったようだね。」と言われました。本当に頭がパンパンになるくらい勉強をしたし、必死になりました。受験を受ける前日には、これだけやったのだからきっと大丈夫。これ以上はできないという思いになり、前日はほとんど勉強をせず、気になったことだけ調べるくらいでした。
 夏休みから受験の日まで約7か月で、本当に中学3年分をやり直した感じでした。

5.高校受験の為の勉強は自分のためになったのか

 いよいよ、高校受験の合格発表。緊張しましたが、目標としていた高校に合格することができました。高校受験で「これ以上はできない!」そう思えるまで勉強したこと、そして目標を達成したことが、自分の中の「目標に向かって、自分にはできると信じることができる感覚」である自己効力感に繋がっています。
 さて、では、この学習が自分の学力に繋がったかというと、私はそうではないと思っています。テストに出るところを丸暗記し、詰め込んだ学習は、その場しのぎの学力であって、そこから物事を考えたりすることには繋がってこなかったというのが私の実感です。やっぱりしっかりとじっくりと学問と向き合うからこそ学びになるのだと痛感しました。コツコツやれる人ほど強いと感じました。
 でも、「自分がこれはしたい!」、「これをしなけらばやばい!」となったときに力を発揮する素地は身に付いたと思っています。ですから、今興味あるものが見つかるとそこにグッと入り込んで学ぼうとする自分がいます。


 最後になりましたが、私は教師です。子どもが「やらないとやばい!」や「これはもっと勉強したい!」、「これは乗り越えたい!」と思う感覚を持って自分から主体的に何かをするきっかけを与えることが大切だと思っています。その感覚を持って頑張ればきっと大丈夫だ!と私の経験から感じています。だから大切なのは、いかにそのような感覚になって取り組むことができる環境を作るかです。「やらされ感」は私の経験からすると力になりにくいんだろうなと思っています。子どもの心に火をつける大人になるにはどうしたらいいのだろうと考える毎日です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?