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リグーリアそぞろ歩きストーリー 第3話

彼女の思い出のかけらを味わいに

主な登場人物:
ナタリア(アメリカ人女性・60代半ば)(主人公)
トーコ(語学学校の日本人女性の友人・30代)

「みんな、昨日はどんなことをしたのかしら?」
 
イタリア語講師のエレナは、いつものように授業の始めにわたしたち生徒に問いかけた。みんなが少しでもイタリア語で話す機会を持つようにと、授業を始める前のウォーミングアップなのである。
わたしは、旅行も兼ねてジェノヴァの語学学校のイタリア語コースに2ヶ月分申し込み、1ヶ月が過ぎたところだ。母方の祖父母はイタリア人だったが、子どもの頃を除き、家で母はイタリア語を話さなかったので、わたしは挨拶程度のいくつかの言葉ぐらいしか知らなかった。わたしと夫のジェームズは旅をするのが好きで、イタリアにも数回訪れているが、ようやく今になって、自分のルーツの一部であるイタリアの言葉をもう少し学びたいと思い、在住するサンフランシスコの語学学校へ、1週間に1度通い出したのが半年前のこと。ジェノヴァの学校では下から2番目のクラスに振り分けられた。
 
「昨日、わたしはNoliノーリに行きました」
「あら、ノーリに行ったの?ひとりで?」
「いいえ、トーコと一緒に行きました」
「そうなの。では、ナタリアはどうしてノーリに行ったのかしら?」
「パオラがわたしにノーリに行って!と勧めたから。パオラはサンフランシスコの学校のイタリア語の先生です」
 
月曜から金曜の午前中4時間、学校で授業を受けた後、午後や週末を使って、わたしはジェノヴァとその周辺を周っている。毎日たいてい宿題が出されるので、それが多い時には、近いところを散策するぐらい。いくつか予定の候補を用意しておき、その日の天侯や諸々の状況に応じて、どこに行くか、何をするかを決める。昨日は幸い宿題はそれほど多くなかったのだ。
数日前、トーコにサヴォーナ県のノーリに行こうと思っていることを話したら、彼女も興味を示した。トーコは上のクラスにいる日本人の学生だ。授業の後、色々なクラスの学生が複数で昼食を食べに行ったりするのだが、わたしたちはその機会に知り合った。その後、時々休み時間に話したり、ふたりだけでも昼食に行ったりしている。わたしには、サンフランシスコの学校にもイタリア人を夫に持つルミという日本人の友人がいるのだが、日本人女性とはなんとなく気が合うのかもしれない。
 
昨日、13時に授業が終わった後、わたしとトーコはバールで簡単にパニーニなどを食べると、ジェノヴァ・ピアッツァ・プリンチペ駅でサヴォーナまでの切符を購入し、事前に調べておいたRV(レジョナーレ・ヴェローチェ)快速に飛び乗った。各駅停車に乗るとサヴォーナまで1時間10分弱かかるが、この快速だと4駅しか停車せず40分強でサヴォーナに着く。
元々、ひとりでもノーリには足を運ぶつもりだったが、同行者がいるとおしゃべりしているうちに時間はあっと言う間だ。それに、わたしたちは、学校の先生からの言いつけに素直に従ってイタリア語で会話をしているのだから、話す練習にもなるというわけで、一石二鳥/one stone,two birds。
サヴォーナに着いたら、そこからはバスに乗ることにした。駅前のバスターミナルから20-30分毎に出ていて、ノーリまでは30分ほど。バスは途中から海岸沿いのアウレリア通りを進んだ。
 
旅行も兼ねて、ジェノヴァの語学学校にショート留学をする旨をパオラに告げた際に、彼女はジェノヴァからも訪問しやすい場所をいくつか教えてくれた。パオラはジェノヴァと同じ北イタリアのピエモンテ州トリノの出身だが、夏のバカンスで家族と何度もノーリには滞在していたそうだ。海岸沿いにある中世の街並みや建築物が残された小さくて可愛い村だと。
 
「ノーリって、“I borghi più belli d'Italiaイタリアの最も美しい村”に入っている村なんだって!アントニオが言ってたよ」と、トーコが学校の講師に聞いた情報を教えてくれる。
「そうなの?それは楽しみね」
 
わたしたちはノーリのサイトからガイドマップを入手して、スマートフォンから見ることができたが、バスを降りてから、ツーリストオフィスでも地図とガイド冊子などをもらうことにした。わたしは、まずは英語のものを受け取った。英語圏出身者は、何かと楽だ。ただ、少し考えて、やはり勉強のためにイタリア語版もいただくことにした。今のわたしのレベルでは、イタリア語でガイドの文章を読むのは大変だとは思うのだけれど、イタリア語でも散策で訪れる場所の名称を確認できるし。
そして、早速、わたしたちは散策を始める。
ジェノヴァの旧市街も古いと言われているが、ノーリの街並みはまた異なる雰囲気。石を積んだ壁や赤い煉瓦が目に入る。
 
「赤地に白い十字は、ノーリの紋章なのかしらね」
「へぇ……あっ、じゃあ、白地に赤い十字のジェノヴァと反対ね」
 
ところどころにその場所の説明書きの看板が出ていて、ああ、ここは旅行者が訪れる場所なんだなぁと思われた。なんでもノーリは1193年から1797年まで小さいながらも独立した自由国家だったそうだ。
薄暗いポルティコを進んで行き、頭上にフレスコ画が描かれたアーチを抜けると、高さのある古い塔が見えた。
 
「Municipioムニチ-ピオ……あ、コムーネ/村役場ね」
 
塔の隣りの建物に記されている文字を見て、トーコが言った。
その役場前の広場には、先ほど話していたノーリの紋章と、その他に4つの紋章が足元に見える。説明書きによれば、1202年にジェノヴァ共和国と同盟を組むことにより、ジェノヴァ・ヴェネツィア・ピサ・アマルフィに続く、5番目の海洋共和国を主張するようになったと。この5つの紋章は、そのことを意味しているそうだ。
並ぶお店の軒先を何とはなしに眺めながら歩みを進めていくと、また高い塔が見えてきた。その先を行くと、建物の下の部分は石の地の色そのままであるため古そうで落ち着いた雰囲気だが、上の部分はグリーンとレッドに塗られていてカラフルで可愛らしい教会がある。その上下のギャップが面白いが、Oratorio di Sant’Annaサンタンナ(聖アンナ)小礼拝堂で、18世紀の建造と記載されていた。この辺りでは新しい方の建造物になるのだろう。
 
「ねえ、見て。通りのプレートにもNoli V Repubblica Marinaraノーリ・5番目の海洋共和国って書いてあるわよ!」
「まあ、ノーリは海洋共和国の一員であることをそんなにも強調して!本当に重視しているのねぇ」
 
わたしたちは、思いがけずこの小さい村の誇りに触れ、興味深く思った。
 
並ぶ建物は、今の時代、さすがに全てが中世からの様相を保っているわけではないのだが、古い建築物と現代の建物が融合して街並みに馴染んでいるところが、イタリアらしいと思われた。
14世紀建造のPorta/Torre San Giovanniサン・ジョヴァンニ門/塔のアーチを抜け、少し城壁沿いに歩いてみた。高台の丘の方に視線を向けると、さらに古そうな防壁が続いていて、その先の上の方には要塞が構えていた。Castello di Monte Ursinoモンテ・ウルスィーノ城だそう。わたしたちは、海の方向へ向かって、戻るように歩いた。
 
「この橋、古いわね。ここは、昔は川が流れていたのね、きっと」わたしはトーコに言った。
 
その古い橋の近くに、先ほどの礼拝堂とは異なり、全体的に石造りで、さらに古い様相で素朴な雰囲気の教会があった。Chiesa di San Paragorioサン・パラゴーリオ教会といって、12世紀の建築物だ。
 
「この教会、1890年から国定建造物に認定されているんですって!」
「ああ、そう?質素な雰囲気だけど、なんとなく風格が異なるわよね。わたし、けっこう好きだわ、この教会」
「地図を見ると、この先にも、大きめの教会があるね。行ってみましょうか?」
 
100メートル強ぐらい歩くと、建物自体が大きい教会があった。Chiesa di San Francesco d’Assisiアッシジのサン・フランチェスコ教会で、13世紀から17世紀にかけて建てられたものとのこと。教会施設以外に、修道院も隣接されているそうだ。
 
わたしたちは、一通り、教会を外部から眺めた後、海岸沿いのプロムナードまで出て、歩いた。パオラは、この町で、この海で、家族と夏のバカンスを過ごしたんだなぁと、思いながら。彼女にとっては、それはきっと大切な思い出のひとつだったのだろう。わたしがジェノヴァに行くと伝えたとき、目をキラキラと輝かせて、あれほど熱心に「ノーリをぜひ訪れてね!」と勧めたのだもの。もちろん、わたしは今この村で彼女とまったく同じ体験をしているわけではないのだけれども、ここに来ることで、ほんの少しでも彼女の思い出の雰囲気を味わうことができてよかったと思った。早速、パオラに伝えなくては。「ノーリに行ったわよ」と。
 
 

#創作大賞2023


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