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複数性の未来 │ 21_21 DESIGN SIGHT 「FUTURES INSIGHT展」

オンラインクロストークには何度か参加していたものの、六本木design sightに行くのはほぼ一年ぶり。

一人で行って、帰り道で感想を共有する相手がおらずキャパオーバーしそうになり、スタバで一時間半くらい唸りながらなんとか考えたことを文章化しようとする。こういう時間も豊かでよい。

過去・現在・未来は一直線ではない

今回の企画は「FUTURE "S"  INSIGHT」展、つまり複数の未来について考える、というもの。
展示の中では、いろんなバックグラウンドを持つ、いろんな職業の人がFUTURES COMPASSという5W1H拡大バージョンみたいなツールを使って、各々の過去とは?現在とは?未来とは?を考えていた。

同じ「未来」について考えているけど、未来についての価値観はおろか、近い十年後の未来のことを考えている人もいれば、100年後、もっとそのあとの未来を想像している人も居る。トピックをか何についての未来?自分?家族?もっと大きな話で地球?生態系?

未来は一直線上ではない。問いを変えた瞬間その人自身でも考えや意見が変わってくる。

このツールで、未来はひとつではなく、視点を変えることでいくらでも「複数性」にできることが可視化されてた。

ここからは、そのFUTURE COMPASSで印象に残っている作品や文章と、考えたこと。(ほぼ展示から話は逸れて自分語り)

Where Futures Mean?で考える「観光」と「場所」


100年後の人間にとって、リアル(場所)の担う意味は何か
https://2121futuresinsight.jp/creator/placy/


最近、「場所の意味」が薄れてきてる。

VRゲームやARの登場で注目を浴びる「仮想現実」、さらにコロナ渦で現在は当たり前の存在になったZOOMの存在。
技術の発展とウイルスの流行が相まって、「場所」に内在する意味の薄まりを感じる。上手く言えないけど、「お取り寄せグルメ」なんかもそう。餃子は宇都宮で食べてこそだし、信州そばは長野で食べてこそだと思ってる

こんな時代錯誤(?)思考だけど、やっぱりその土地に訪れて、「予期しないこと」が起こるのも観光の醍醐味であって。その土地に実際に足を運んで、人と話して、違う言語や食文化に触れる。そこでは必ずしも楽しい物見遊山的な体験だけができるわけじゃなくて、その土地が抱えている問題を知るとか、百聞は一見に如かずならぬ「百見は一訪に如かず」状態になると思う。その部分が、「場所の担う意味」なんじゃないかな

だからこそ、100年後の人間にとっても、「観光」の定義は場所の移動を伴うものであってほしいと切実に思う。

When will the Future Start? と「考える」ということ

私が想像した「人間らしい」未来はこんな未来である。地球中心な視点があたりまえな世界。政治と市民とアートが近く、お互いに建設的な意見を交換し合える世界。~アートが素晴らしいのは、考えること、を楽しませてくれることだろう。

https://2121futuresinsight.jp/creator/emiko-ogawa/

この言葉がすとん、と落ちた。

アート作品にももちろん意味は内在するが、重要なのは「各人がその作品を見て何を思ったのか」ということだと思う。受け身の姿勢で鑑賞するのではなく、作品を見た自身が考え、その考えを何かしらの行動に移すことが出来ればさらにいい。今回の展示の場合は「未来を考える」。展示を見て、未来を考えて、そのあとの行動を変えることが出来たら。

自分の身近な十年後の未来であっても、もっとその先の2121であっても―どんな切り口?どんなスパン?―「考え続ける」姿勢が一番大事。でも私は、考えた後に何か行動が変わってるだろうか。次段階にはまだ行けていない気がする。


車に乗車して、過去―現在―未来を行き来する作品で流れた、「前方未来、後方過去、ともに視界良好です」の音声を思い出す。乗りながら、どっちも全然良好じゃないけども…と思ったけど、今「良好じゃない」と思っても、「全部ひっくるめたら」の長い目で見ればもしかしたら良好なのかもしれない。

未来を考えるとはこういうことなのか?


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