相も変わらずASDについて
こんばんは、相変わらずニートのmonioです。
以前はADHDについてまとめましたが、今回はもう一つ私が抱えている障害、ASD通称アスペルガー症候群についてまとめます。と、言っても私の脳内で考察されているものなので 一切学術的根拠はないものとします。(ここが一番重要)
発達障害、アスペルガー症候群について(ざっくりVer.)(一個人の考察)
では、アスペルガー症候群通称、アスペとはどんな障害なのか? 自閉症や自閉症スペクトラム障害、ADHDと同様、ヒトの脳の発達の障害ですね。
ただ、よく注目視される動作や、知能、言語についての発達は定型発達の方と変わりません。
では、なにが障害なのか? 簡単に言えば、コミュニケーションや社会性についての発達、といえばわかりやすいのでしょうか? 少し、言葉が長くなりますが、アスペルガー症候群というのは「成長とともに身につくはずの対人スキル、人同士が関わる際に無条件で発生する絆、社会の中にある暗黙のルールなどを理解できない」という言葉が適切なような気がします。
なぜ、こんなに曖昧に表現しているのか? それは、私自身がアスペの傾向があるもので「社会的コミュニケーションや対人関係、社会の暗黙のルールを必要ないと感じているから」ですね。今回はまとめというより学術的な観点や他者から見た「アスペルガー症候群」ではなく、アスペルガー症候群を抱える本人から見た意見、考察になります。
発達障害というものが大衆でも聞くようになってから、アスペルガーはコミュニケーションが取れない、話が通じない、何を考えてるかわからない等々、こういう記事をたくさん読みました。まず、これについて考えましょう。
思春期だった時の私は「周りの人と同じことをして、はみ出ないように、友達は多いほうがいい」という考えで生きていました、社会がそういう風潮だったからですね。もとより、こんな性格であり、他人よりちょっと個性的だった私はクラスでも学校全体でも浮いているような存在でした。ただ、不思議なことにいつも周りに人はいたんですよ。それは男女関係なく、クラスでも明るくて活発的な方だったからでした。もう過去のことなのでその時のことはあまり思い出せませんが、ずっと感じていたことは「こちらが好意的であれば向こうも好意的である」ということですね。
小学校中学年までの思春期に入るまでの私、そして周りの定型発達の児童は、表裏があまりありません。なので、好意は好意であり、敵意は敵意、文字通りそのまんまなのです。
ただ、高学年になると、生物学的に思春期に入ります。そうなると、自然と男女の違いや男女間でのトラブルなどが起こります。
ここでひとつ「アスペルガー症候群の人間はコミュニケーションに対して定型発達の人間とは違う」ということを、頭に入れておいてください。
今まで一緒にサッカーや鬼ごっこをしていた人間たちが、急に一緒に遊ばなくなる、急に女の子だけの集まりが増える、またその集団は数あればあるほど多種多様。
生物学的女性は、まずこの時期に性別について認識します。その後、今までは普通に遊べていた男の子と一緒に遊ぶのが恥ずかしくなる。それが思春期の始まりです。つまり、周りの女の子たちは「自身の性別について認識し始め、周りの男の子たちを異性として感じ始める」のです。
人間の本能的に男性と女性で惹かれあい、そして夫婦になり子をなして自分の遺伝子を残そうとします。これは人間の本能なので、当たり前のことなのです。
アスペである私は、その時期に「男性を異性として認識していなかった」ため、今まで通りに遊んで過ごしていました。勿論、男子とも女子とも遊んでいました。ここでまず、定型の発達と違ったのでしょう。そこからは、完全なる転落劇でした。女子からの嫌み、それを避けて生きていれば、今度は男子からの容姿や性についてのやっかみ、その後すぐに人を信用できなくなりました。ひとつ前の記事で記述しておりますが、私は通信制高校に通うことになりました。
理由は明確、対人関係がうまく築けず、自分自身を責めるようになり精神病になってしまったからです。
それでは、本題のアスペルガーはコミュニケーションが取れないといわれる理由についてまとめましょう。
つらつらと私自身の過去について書きましたが、頭に入れてほしいのは「思春期になるまではなんともなかった」ということ。さらに、成人した今でも「コミュニケーションをとる必要がある場所では何ともない」ということ。
ここが恐らく当事者と他者との認識の違いになります。
私、もといアスペルガーの方でも「コミュニケーションの取り方がわかっており、必要性があれば」普通にコミュニケーションが取れます。
恐らく私以外にも、アスペだけど普通にしゃべることができ、普通に社会に出ている方はたくさんいます。その方たちは軽度、または生きていくうえで社会のコミュニケーションが必要と思い学んできたのどちらかです。
ここで「は?」 と思われるかたが多いと思うので、一度止まりましょう。
社会的なコミュニケーションの必要性、という言葉。おそらく、定型発達の方は普通に生きていたら考えない言葉だと思います。
しかし、私は頻繁に考えます。むしろ人と話す際は必ず考えます。
ここが障害とされているのではないか? と、思います。他人とコミュニケーションをとる際に必要、不必要なんてものがあるのか?あるんです、少なくても私の中には。
それでは、その言葉の意図を解剖していきましょう。
他者とのコミュニケーションというものは、感情的欲求を満たす行為です。恋愛や友情、家族間どれもそうでしょう。しかし、私の中では他者とのコミュニケーションで得る欲求は知識欲によって満たされることが、最近解明されました。なにか物足りない、満たされない、暇だなぁ、という感情を得た後の行動は「脳に新しい知識を入れる」ことで満たされることが分かったのです。
と、いうと淡泊ですが、正直な話をしますとちゃんとした友達ができるまでは「人間との会話の中で新しい発見」を得るために人とコミュニケーションをとっていました。おそらく、ここが定型発達者との違いなのです。
新しい発見とは、見識、考え方、表現の仕方、感情、その人間について…様々な発見がありました。当時の私は面白いなとおもって、いろんな人の話を聞き、周りの他者についての見識を深めていました。するとどうでしょう、自分のことは何にもわからなかったんですよね。
自分の好み、趣味、得意分野、不得意分野、また発達について。思春期の時期に周りの子達が自我を確かにしていく中で、私はそれをしなかった。これがまず自尊心の欠如につながります。なので、対人関係がうまく築けなかった際に自分自身を責めてしまったのです。周りの子達のいいところをちゃんと見てきてしまったが故に「じゃあ自分に落ち度がある」と責めてしまった。
そうこうしているうちに、他者と関わることでえるコミュニケーションの必要性やコミュニケーションから得る感情的癒しなどを、思春期のうちに養うことができなかったのです。
これを打ちながら、新しい見解が出たのですが小学校で「自分について考える」という時間がありました。おそらく、そこで普通の子たちは自分について知り、さらには自分の良さなどを知っていったのでしょう。私からすると、謎の時間でした。
長々と書きましたが、今回はいったんまとめにはいりましょう。
アスペルガー症候群はコミュニケーションが取れないのか?
・必要性があれば学び、そして理解して取れるようになる
・必要性を感じなければ、必要ないものとして頭から抜け落ちてしまう
・アスペルガー傾向のある子は興味がなければ自分への見解を深めることができない
です。
申し訳ないことに、文字を打つことに飽きてきてしまった(またノンストップ3000字)のでまとまっておりませんが、いちアスペルガーの人間の思考の分析と見解として受け取ってください。
また1番初めに書きましたが
「学術的根拠は一切ないものとします」
ここが1番大事なので最後にも付け足しておきますね。
自分のことがよくわからなくて困ってる、または社会に出たいけどどうしたらいいかわからないというアスペルガーの方は
・自分について深く知る
・社会に出る必要性を見つける
・何度でも書きますが、信用できる友達を作る(無理にとは言いませんが、できれば人生が一転します)
ことができれば、すぐにでも解決します。
ちなみに私は「働きたいけれど、大衆的サービス業を私がやる必要はない」と思っているので、いろんな仕事を調べながらニートをしています。
それでは、今日はここまでで。お相手は長々文章を書くのが趣味なmonioでした。
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