突然だが、ツインレイという存在に出会った。2

 話は遡って、私が小学生の頃。周りの女子達はみんなこぞって楽しそうに恋バナをしてた。誰が好きで、彼が好きで、付き合って。そんな話を楽しそうにしていた物だから、私もそうなるんだと思っていた。
 けれどどれだけ待っても、どれだけ考えても、男子を好きになることはなかった。

 代わりに小学五年の頃にクラスで一番仲のいい子が標的にされて嫌がらせを受けていた。その時点で「人間ってめんどくさいんだなぁ」と子供ながらに思った。
 小学一年から六年まで同じクラスで、趣味が同じの男友達がいた。これだけ長いこと一緒にいるんだから、私はきっとこの人のことが好きなんだと、そう自分に言い聞かせていたらいつの間にかそれは『執着』になっていた。

 ここで一度ツインレイと言うプログラムの話に戻る。
 ツインレイと出会うと必ず女性レイは『執着』と『依存』を手放す作業をしなくてはいけない。何故なら執着で出来た愛情も依存から始まる愛情も、俗に言う『無条件の愛』ではないから。
 これは現在の私の見解であるが、仮にこの男子のことを『偽ツインレイ』だと考えることにした。
 勿論、過去の私はそんな話は知らない。

 偽ツインレイの彼—ここではaとしよう—とは、あまりにも距離が近かった。
 私自身が男女関係なく仲良くしていたのもあったが、aを好きな女の子達に疎まれる程、おそらく距離が近かった。
 休み時間にはグループでサッカーをしたり、漫画やアニメの話をしたり、時には他愛もない喧嘩をしたこともあった。(担任の意向により授業中に二人で話し合いを設けさせられて和解した)

 その時の私は、aのことがきっと好きなんだと信じていた。

 その後地元の中学に上がり、中学一年でのクラス発表で自分と同じクラスにaの名前があるのを確認した。
 七年連続で同じクラスなのは、運命なのではないだろうか? そう勝手に思っていた。
 しかし、この頃にはもう私は対人不信になっていた。

 ツインレイのプログラムが、もし、この頃から始まっていたのであれば……偽ツインレイのaは私への確実な試練だったのかもしれない。
 対人関係から生まれるエゴ、妬み嫉み、執着心、それら全てを私はこの頃には『気持ち悪い』と、感じていたから。
 中学の時は、対人から目を背けて自分の好きなこと、美術に没頭した。
 授業中には落書きばかりし、寝たり、喋っていたり……今思えばどうしようもない劣等生でしかない…と思うが、何故だか周りに人は絶えなかった。
 さらに言えば担任からの信頼も厚かった。
「落ち着きがないけど、〇〇は……」
 三年間、担任との揉め事は一切なかった。

 それからして、中学を卒業する頃には対人不信は悪化し、生きている人間のこと全てが怖くなっていた。
 早くこの世からさよならしたくて堪らなかったが、誰にも相談は出来なかった。誰からも、親から見ても笑顔の絶えない子だと思われ続けていた。
 今思うと、今『生きてる』ことが一番の奇跡である。

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