もん次郎

©Monjiro  コロナ禍で人生がかなり変化した♂。写真・動画撮影が大好きです。強い…

もん次郎

©Monjiro  コロナ禍で人生がかなり変化した♂。写真・動画撮影が大好きです。強いHSP傾向。うつ病の経験者。

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自分と他を別つ奇跡

唐突ではあるが、私の「元」カノは少々変わった芸術家タイプの女性だった。重厚感のある絵の具で油絵を描き、時に体中を墨汁まみれにして書道を嗜む。 そこまでは良い。 だが話の核心はここからだ。 油絵や書道をする時の姿である。 『裸(はだか)』 英語:naked, nudeブラジャーも、ショーツも、すべて脱ぐ。 生理がきたらどうするのだろう…?そう思っていたある日の夜、いつものように裸になって油絵を描き始めたその時、前がチラっと見えた。 タンポンの紐…。 そのあたりは、し

    • 世の中を良くしよう、という言動が、 いつの間にか、世間の人々の分断と対立を 深める行為になっていることは、よくある。 未だ溶けぬ、汚れの混じる雪山のように、 冷たさと泥付いたそれが、 虚しく在ることに気づかず、 幾度も、 正義の剣を振り下ろし続ける、 悲しくも哀れな現実。

      • 心配、という世界は、 あくまでも自分の頭の中で 勝手に想像し創り出しては、 勝手に憂う産物。 その創作による映像の対象は、 必ずと言ってよいほど、 広義に「自分ではない」人たち。 故に、心配を他者へ対する無償の愛情と同義と 錯覚し易いが、 本質はかなりエゴイスティックである。

        • 今、 ぎっくり腰で頭の中は「痛み」でいっぱい。 不思議なことに、余計な煩悩は消滅した。 美しいと思えるものは、美しい。 助けてほしいことは、素直にそう思える。 痛みの中で考えられることは、 これくらい。 でもそれで 今という瞬間を生きるに必要十分だ、 と痛感する。

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        自分と他を別つ奇跡

        • 世の中を良くしよう、という言動が、 いつの間にか、世間の人々の分断と対立を 深める行為になっていることは、よくある。 未だ溶けぬ、汚れの混じる雪山のように、 冷たさと泥付いたそれが、 虚しく在ることに気づかず、 幾度も、 正義の剣を振り下ろし続ける、 悲しくも哀れな現実。

        • 心配、という世界は、 あくまでも自分の頭の中で 勝手に想像し創り出しては、 勝手に憂う産物。 その創作による映像の対象は、 必ずと言ってよいほど、 広義に「自分ではない」人たち。 故に、心配を他者へ対する無償の愛情と同義と 錯覚し易いが、 本質はかなりエゴイスティックである。

        • 今、 ぎっくり腰で頭の中は「痛み」でいっぱい。 不思議なことに、余計な煩悩は消滅した。 美しいと思えるものは、美しい。 助けてほしいことは、素直にそう思える。 痛みの中で考えられることは、 これくらい。 でもそれで 今という瞬間を生きるに必要十分だ、 と痛感する。

          切り取られた言葉は、 時代背景により、 多種多様に解釈され、真意が散乱する。 言葉から感じ取るイメージを 個々人の頭で膨らませるからだ。 そのイメージは、 時代背景の影響を受けて生成される。 故に解釈は、経過と共に、良くも悪くも変遷する。 まるで、生き物のように…。

          切り取られた言葉は、 時代背景により、 多種多様に解釈され、真意が散乱する。 言葉から感じ取るイメージを 個々人の頭で膨らませるからだ。 そのイメージは、 時代背景の影響を受けて生成される。 故に解釈は、経過と共に、良くも悪くも変遷する。 まるで、生き物のように…。

          荒天の後は、空を仰ぐが一興。

          荒天の後は、空を仰ぐが一興。

          自らが注いだ水は、波紋とともに広がる。 その水に毒を仕込めば、 他の存在は、落命する。 その水が清白であれば、 他の存在は、輝きを灯す。 水質は、本質である。 注いだ質の通りに、いつかは現実へ反映され、 うわべの取り繕いなど、呆気なくも崩れ去る。

          自らが注いだ水は、波紋とともに広がる。 その水に毒を仕込めば、 他の存在は、落命する。 その水が清白であれば、 他の存在は、輝きを灯す。 水質は、本質である。 注いだ質の通りに、いつかは現実へ反映され、 うわべの取り繕いなど、呆気なくも崩れ去る。

          「私」が何を見て美しいと感じるかは、 人により様相は違っていいし、 違って当たり前。 美しいと感じたもの自体は、 「私」の一部であり、 自分を映し出す鏡。 「私」を知りたければ、 周囲の存在へ抱く自分の感覚を、 素直に見つめて認識することだ。 そこに自分がいるのだから。

          「私」が何を見て美しいと感じるかは、 人により様相は違っていいし、 違って当たり前。 美しいと感じたもの自体は、 「私」の一部であり、 自分を映し出す鏡。 「私」を知りたければ、 周囲の存在へ抱く自分の感覚を、 素直に見つめて認識することだ。 そこに自分がいるのだから。

          言論のテクニックに酔い痴れる不幸

          個人レベルの話が、 いつの間にか、 国レベル・世界レベルの話へ変化させることで、 自分個人が問われぬよう、逃げる。 そんな人は多い。 または、 難病や特異的な体調、 障碍の事例を出して哀れみ、 いかにも万人の事をグローバル的に、 優しく、想像力溢れる意見を持っている人間だと アピールし、尤もらしさで逃げる。 自分を変えようとせず、 世の中が、 国が、 他人が、変わってくれることに 期待ばかりをしている言論好きが、よくやること。 人生を生き抜くとは、 自分を軸に生きること

          言論のテクニックに酔い痴れる不幸

          定石に酔うだけか、多様な人間模様を見つめるか…

          本日は、3.11 東日本大震災の発生から10年という日であった。 私の知り合いに一人だけ、地震が切欠で福島から移住してきた方がいる。ご家族を亡くされてはいるものの、北海道へ来れて良かったと、私の顔を見てはそう話す。 私はその方の存在をふと本日思い出し、考えていた。 マスコミから流される情報は、辛辣な思いをして、これだけ嫌な思いをして、未だに癒えぬこの思い、、、という定石ばかりが流れていた。 涙がポロリ…、そんな構成になっているものが多い。 別にそれを批判しているわけ

          定石に酔うだけか、多様な人間模様を見つめるか…

          教育で人の本質が炙り出される

          私たちは時間経過とともに、避けては通れぬ必要性に迫られる事柄がある。それは、人に教え育むという「教育」である。 この世には大きく分けて二通りの教育者がいる。一つは「教員免許を持つ」教育者。学校の先生がその代表だ。しかし世の中には、「教員免許を持たぬ」教育者というものが多数存在する。それが二つ目の教育者である。 例えば、アルバイトを3ヶ月以上行なうと、必ずと言ってよいほど「後輩」が出来る。仕事場に1年以上いると、新入社員が入ってくる。そうなると、先陣を切って仕事をしている自

          教育で人の本質が炙り出される

          こんなにも冷めた目線と、温かみのない心で、 単なる光源を見つめている自分の真実に 一抹の恐怖を感じた。 すべてが冷めきっている。 人が腐るとは、 こういうことなのかも知れない。

          こんなにも冷めた目線と、温かみのない心で、 単なる光源を見つめている自分の真実に 一抹の恐怖を感じた。 すべてが冷めきっている。 人が腐るとは、 こういうことなのかも知れない。

          綺麗だと思わせたら、人は集まり、 人が集まれば、外出の自粛を促される。 目を奪われる光景を歓迎し、 同時に拒絶する。 こんな相矛盾する感情が交錯する世で、 輝くイルミーネーションを見て、 何を思うか試してみたが、 私の中に宿るものは、 単なる光源がそこにあるだけだった。

          綺麗だと思わせたら、人は集まり、 人が集まれば、外出の自粛を促される。 目を奪われる光景を歓迎し、 同時に拒絶する。 こんな相矛盾する感情が交錯する世で、 輝くイルミーネーションを見て、 何を思うか試してみたが、 私の中に宿るものは、 単なる光源がそこにあるだけだった。

          他が創り出す「事実」と、 存在自体が抱える本当の「真実」は、 ほとんどが乖離する。 分かった気になり、 得意気に分析・認識するそれが、邪なのに気付けず、 自他を無下に傷つけていることに、なかなか気付けない。 ただ生き抜き、死に逝く存在に羨みを抱いた、 午後のひととき。

          他が創り出す「事実」と、 存在自体が抱える本当の「真実」は、 ほとんどが乖離する。 分かった気になり、 得意気に分析・認識するそれが、邪なのに気付けず、 自他を無下に傷つけていることに、なかなか気付けない。 ただ生き抜き、死に逝く存在に羨みを抱いた、 午後のひととき。

          我が手中に入れ込むことは歓迎するが、 手放すことは容易ではない。 買い入れるよりも、 捨てることは、何倍もの力が必要だ。 人間の一番の苦しみは、歩みを止めること。 将来に憂いを抱かず、過去を悔いることなく、 今という瞬間を強く意識し、行脚する。

          我が手中に入れ込むことは歓迎するが、 手放すことは容易ではない。 買い入れるよりも、 捨てることは、何倍もの力が必要だ。 人間の一番の苦しみは、歩みを止めること。 将来に憂いを抱かず、過去を悔いることなく、 今という瞬間を強く意識し、行脚する。

          変わるを選ぶか、従来を貫くか

          正直なことを言うと、私は人前では笑顔で接するようにはしているが、心の中は憎しみと怒りの業火が燃え続けている人間である。決して消えることのない炎を、未だに消すことができない。 自己啓発で簡単にも、憎しみと怒りをマネジメントしろと…、もしくはその方法論をツラツラ書かれているものを目にすることは多いが、マネジメントというレベルで抑えられるほどのものではないのは、自分で分かっている。 自分に矛先を向ければ向けるほど、実際に何かを燃やしたくなる衝動というものが走るくらいなのだから。

          変わるを選ぶか、従来を貫くか