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小乗と大乗、修行と称名、臨済宗と曹洞宗

仏教思想のゼロポイント、最後の巻末辺りに、テーラワーダ(小乗)は修行によるガツンがないと解脱して涅槃に行けないが、大乗は日常生活で阿弥陀如来に帰依し称名念仏すれば浄土に連れていってくれる。その流れに禅ふたつの派閥もあるんだ、というのが面白かった。
臨済宗では公案が覚りに必須科目。なかには答えた途端、気を失って、ふと気づいたら覚っていたと。
曹洞宗ではあんまり深く考えず、座禅と作務、掃除、洗濯、草刈、皿洗いを極まったところに覚ると。
小乗はクシャトリア中心とした釈迦のようにエリート層が自らの完成を目指したのに対して、大乗は社会の一層の都市化、大衆化のなかより多くの人を救い楽にしたい、というなかで、エリートっぽくなくなり、バーを低く設定してくれてる。
私の地方でも臨済宗は武家の流れの家系。鎌倉以来のエリート層。お寺の敷居も高い。武芸、学問、修行による完成がふさわしい風格。
曹洞宗は商人、農民。地味な日々の生業を真面目に積み重ねた暁に完成がある、と。豊川稲荷は曹洞宗の大きな出城で、かつて豊川稲荷のトップが人事異動で永平寺トップに昇格もあった。豊川稲荷は商売繁盛の神様。永平寺東京支店の麻布長谷寺は西麻布、六本木のハイソナンパ街の真ん中に。
臨済宗はテーラワーダ(小乗)に面影が似て、曹洞宗は大乗に似る。いずれの禅も大乗は大乗だが、どこまで行っても修行による自己の完成か、他力による一切の救済を待つか、揺れてますね。
私の好みは、常識の積み重ねでは、他人も自分と同様心があるんだとは理解できない。だって、他人の頭の中なんてわかるはずないじゃないか、でもそれでは縁起は分からず自己中のママ、とか。ニュートン力学しか普通は目に見えないが、素粒子物理学で世界は動いてるということを理解するには飛躍が必要、とか。
ガツンで軌道から外れることなしには、縁起は分からず諸法無我は得られない、という立場かな。

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