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自動車専門商社→自動車メーカー本社労務課→アメリカ工場工務部→本社技術部→中国工場(成都)→中国本社(北京)→本社技術部→ハウスメーカー(名古屋、東京)→ようやくスローライフ

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手塚治虫ブッダと小此木啓吾の日本人の阿闍世コンプレックス

    • Q.なぜ唯識思想は大乗仏教の救いの思想に繋がるのか A.一人一宇宙だから

      唯識が大乗仏教の慈悲に繋がるのは一人一宇宙だから、という答えを横山紘一さんの「やさしい唯識」(NHKライブラリー)に見つけた。 唯識思想ではただ識のみが存在し、識以外に自分も外界も存在しない。 すべての存在と認識するものは、意識の最も底にある阿頼耶識の投影である。 人はみな、ひとりひとり、阿頼耶識から生じたものを世界、宇宙と認識し、そこから抜け出ることはできない。これを「一人一宇宙」という。一人ひとりは別々の宇宙を持っているということだ。お互いの眼前に「あり」、同じように見

      • なぜ空の思想は大乗仏教において多くの人に救いを与える根本思想と言えるのか?ChatGPTの答えはよかった

        龍樹は、古代インドの哲学者であり、彼の空の思想は、大乗仏教の重要な基礎となりました。空の概念は、個々の実体や永続するものの存在を否定し、あらゆるものが相互に関連し、依存し合って存在するという理解を表しています。なぜこのような空の思想が、小乗仏教ではなく大乗仏教の根本思想として位置づけられるのか、その理由を論じてみましょう。 多元的な解釈と包括性: 大乗仏教は、一般的に多元的な解釈と包括性を重視します。空の思想は、この包括性の中核を成すものであり、あらゆるものが相互に関連し、

        • 諸法無我(3)よく整理されたお話をみつけた

          「空とは何でしょう? ―中観派の教えを学ぶ」という東大斎藤明先生のお話がよく大乗仏教や空、諸法無我について整理されていて、わかった気がする。以下抜き出しつつ自分として理解してみる。 釈迦が修行で気づいたことは、苦しみは過度に自分自身に執着することから生じるのだと。でも諸行無常であり、諸法無我だから、こだわり執着する対象もこだわってる自分もないよ、ということで無我、非我を説いた。しかしそのためには出家して、布施のみで生き、財物を一切所有しない、という厳しい戒に従うことが求めら

        手塚治虫ブッダと小此木啓吾の日本人の阿闍世コンプレックス

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        • Q.なぜ唯識思想は大乗仏教の救いの思想に繋がるのか A.一人一宇宙だから

        • なぜ空の思想は大乗仏教において多くの人に救いを与える根本思想と言えるのか?ChatGPTの答えはよかった

        • 諸法無我(3)よく整理されたお話をみつけた

          諸法無我(2)。「未来は決まっており、自分の意思など存在しない」を読んで

          この本の最初にリベットの実験。手首を動かそうとすると、手首が動く550ミリ秒前に脳波(準備電位)が出て、それから200ミリ秒経って自覚的な意思が「手首を動かそう」と思い、それから350ミリ秒経って手首が動いた。この意味するところは意思より前に脳が反応しているということはなんだろう。ここから、自分の意思なんか存在しなくて、本能というか、自然が自分を動かしている、のではないか、ということの実証実験となっていると。 次に、この本には唯識が出てくる。親鸞の正信偈に出てくる天親菩薩が考

          諸法無我(2)。「未来は決まっており、自分の意思など存在しない」を読んで

          諸法無我(1)。「未来は決まっており、自分の意思など存在しない」をこれから読む

          清澤満之が大谷大学を辞めて最後、愛知県大浜の西方寺に副住職として入り、結核を病んで浜風として寺に伏して暮らすようになってから。ミニマルポッシブルな生活を営むことで意識の上では極めて初期の原始仏教的な禁欲に自らを律するが、自分のものなど無い、ということで妻子と縁を切り(西方寺は奥さんの実家のようで、死ぬまでそこに起居してるし、昨年お会いした現在の住職は満之のお孫さんだが)、さらには病で自らの体も自分の意思でどうにもならないことで、無我の真実を実感したと読んだ。そうなんだ。心臓や

          諸法無我(1)。「未来は決まっており、自分の意思など存在しない」をこれから読む

          仏教の流れについて(2)無知だったこと、今ようやく成る程、と

          廃物毀釈について腹に落ちた。これまで齧って来たことに加え佐藤哲朗、星飛雄馬、岡本直人諸氏の対談を聞いて、そうか、と。これまでは明治新政府の欧化政策のなか、ヨーロッパ王権がカソリックや国教会によって権威付けられている仕組を取り入れて、王政復古とセットで国家神道を新政府に導入するに際し、邪魔だから、さらに神仏習合の下、仏教僧侶の下流に置かれた神道家の積年の恨みもあって、寺や仏像が破壊されたとのみ理解して来た。しかし、梵我一如、国土草木悉皆仏性、ひとはみなそれぞれに仏性を備えており

          仏教の流れについて(2)無知だったこと、今ようやく成る程、と

          仏教の流れについて(1)無知だったこと、今ようやく成る程、と

          ヒンドゥー教10講から。 空海の密教は全く正当なタントリズムだと。ヒンドゥー教の今日に残るタントリズムの儀式作法と空海が招来した真言宗の儀式作法は全く同一であると。ミシェール·ストリックマンは1972年学会のため訪日したがこのことにショックを受けて5年京都にとどまり密教を研究した。1300年以上も前に書かれた中国のテキストを通じ知っていたことが突然京都で目の前に現れた、と。インドの中世シヴァ教の聖典と中世仏教のタントラは全く同じもので、後者は中国から日本に伝わり、真言宗として

          仏教の流れについて(1)無知だったこと、今ようやく成る程、と

          釈迦の仏教から大乗、阿弥陀如来に来る流れ

          保坂俊司氏のインド宗教興亡史で、今日までの仏教の成立の流れについて、これまで不思議だったことがつながったように思う。 インド社会の都市化にともないバラモン教で飽きたらない新興層に向け仏教ならびに六氏外道と仏教側が呼ぶウパニシャドの沙門新宗教が数多く並び立った(ジャイナ教やヨーガなど)。シャカは自らの解脱のみを目指していたが、梵天の依頼でちいさなサークルで教えを広めた。没後アーナンダの記憶など中心に経典化し、スリランカへの布教がタイなどのテーラワーダ(長老派、小乗仏教)として今

          釈迦の仏教から大乗、阿弥陀如来に来る流れ

          文豪春秋、御堂関白記 面白かった

          文豪春秋、御堂関白記 面白かった

          小乗と大乗、修行と称名、臨済宗と曹洞宗

          仏教思想のゼロポイント、最後の巻末辺りに、テーラワーダ(小乗)は修行によるガツンがないと解脱して涅槃に行けないが、大乗は日常生活で阿弥陀如来に帰依し称名念仏すれば浄土に連れていってくれる。その流れに禅ふたつの派閥もあるんだ、というのが面白かった。 臨済宗では公案が覚りに必須科目。なかには答えた途端、気を失って、ふと気づいたら覚っていたと。 曹洞宗ではあんまり深く考えず、座禅と作務、掃除、洗濯、草刈、皿洗いを極まったところに覚ると。 小乗はクシャトリア中心とした釈迦のようにエリ

          小乗と大乗、修行と称名、臨済宗と曹洞宗

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったことの最後に

          著者は最後に大乗を定義している。 独覚の人は自分だけで涅槃に行く。最初の釈迦はそうしたかった。しかし仏陀は梵天に頼まれて、理解しついてくる人には門を開こうか、と。テーラワーダになると、船は出るくらいの人々が涅槃に。それが大乗になると、涅槃よりこの世、物語の世界の苦を乗り越える方に重点が。涅槃は輪廻転生の苦からの解脱。死んでも死んでも続く苦は、苦しい生の入り口になる生老病死。物語の世界での苦は尽きない煩悩、もっともっとの満足できない苦しみからの解脱。なんかこのふたつの苦はちょっ

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったことの最後に

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 5

          この世すなわち物語の世界と、涅槃すなわち物語の外の世界なんだと。 オヤジ、涅槃で待つ、という遺書を残して自殺した沖雅也。当時、涅槃ってなんだ?と。自分ですら釈迦入滅の涅槃図、涅槃像からブッダの死としか理解していなかった。また、自殺した人間が涅槃に成仏することはない、とカトリックまがいの説も多かったが、佐々木閑さんのブッダの教えをYouTubeで聞くと、釈迦は自殺した方も解脱するのであると。 この世は、自我が作り上げた物語の世界、これは時間空間的に、人類、生物、自然が作り上げて

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 5

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったことの4

          解脱には思考だけでは難しいと書かれている。アーナンダーは釈迦の遺訓を確認する会議の前日まで悟れず、苦しみ、あーもうダメ、っとバッタンきゅうーになって頭がまだ地に着かず足も浮いた状態で解脱できた。比丘尼シーハーは7年も8年も修行しても煩悩が去らず、もう死ぬしかない、と首を括る縄に頭を通そうとした時、悟ったと。佐々木閑さんのYouTubeのヴァッカリやゴーディカのお話も似ている。 何か大きな衝撃を受けることが解脱の助けになると。 私ごとだが、現役人生の後半最後の方で、大きなショ

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったことの4

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 3

          100ページくらいから Papanca 戯論、分別の相、イメージ、物語、苦なる世界、これを勝手に作り上げ、それを怖れ、悩み、苦しむ。 本当にそう言ったのですか?いや言ってはいないが、それが本音、本心のはずだ。影に怯える。 一生をかけて得るものを得て、安全なところに移して、怖れていた影の影響から逃れ、しかもこれ以上求めず、徐々に欲や世界を小さくして行けばもう大丈夫、という境地が解脱かなぁ。 我執が被害妄想して苦なる世界を作り上げてる。苦なる世界は私の外には実際にはない。イン

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 3

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 2

          40ページからの感想。 苦、をunsatisfactoriness と訳す、というのはワカル。不満足というより、満たされない、もっともっと、まだだめですか?堪忍してよ、ギミヤブレイク。と、言う意味なんですね。 でも、終わりのない不満足、は輪廻転生の世界観で、現代日本人の人生は死ぬまでの暇つぶし(中田考はどうせ死ぬこの世は遊び人は皆と言う)であれば苦しくない、と魚川祐司さんは言ってて、日本人はもうみんな解脱か?だが日本人はあの世を信じなくなったが、人生100年時代と言われる

          仏教思想のゼロポイントを読みながら思ったこと 2